プレゼント

 カーテンの隙間から差込んでくる春の光に誘われるように目覚めた。今日は日曜日だから朝寝坊しても大丈夫だよね、そう思って再び目を閉じた。
 意識がほんの少しだけ消えかかっていた時だ、零の声に僕は引き戻された。
「ごめん、寝てた?」
「うん、まだ寝ててもいいかなぁ…なんて思ってさ。」
「…聖、起きてくるかな?」
「そろそろ、乱入してくる時間だね。」
 フフッと笑った。
「陸の寝顔って可愛いんだ。」
 零の指が僕の唇の輪郭を辿っている。
「…可愛いなんて言われたって嬉しくない。」
 そう言ってその指を咥えて舌を使って舐めまわした。零はされるがままにそれを楽しんでいた。
「陸…聞いて欲しいんだけど。」
 目だけで答えた―なあに?―。
「僕はあきらちゃんを――自分の母親を愛していると思っていた。」
「その話は聞きたくない。」
 僕は舐める指を変えた。一本一本丁寧にゆっくり舐めまわして自分の気持ちを押さえた。
「この話を陸にしないと僕は…トラウマから開放されない。」
「トラウマ?」

「――分からなかったんだ、ずっと。」
 大きくひとつ、深呼吸をした。
「陸に会いたくておばあちゃんの家に通っていた。同情かと思っていた、だって陸には当然のように母親が存在しないのだから。兄弟だけど実紅とも夾とも違う陸、そのうち気付いた、『僕は陸が可愛い』ってことに。」
 ――『可愛い』って、さっきから飛び交っているなぁ。
「あきらちゃんのことは好きだったよ母親だから。でも涼ちゃんが事故に遭わないでずっと手を握っててくれたらあんなことはしなかった。この人から陸は生まれたんだなって漠然と思って…気持ちを摩り替えていた。陸につながる一番手近な人だったしね。涼ちゃんがあきらちゃんの元に戻ってきて僕の居場所はなくなった。心の持って行き場を探したんだ、探して探して…辿りついたのはやっぱり陸のところだった。苦しくて苦しくて、どうしようも無かった。陸の側から離れていたって苦しくって。そんな時だよ、剛志に会ったのは。クラスメートから始まって友人になってバンド仲間になって…恋人になった。『好きな人がいる』って言ったのにさ、『それでもいい』って言うんだ。」
 僕は身を起こしてベットから降りようとした、それを背後から抱きしめられて阻止された。
「そのまま聞いてて…。彼と肉体関係を結ぶ気なんてなかったんだ、大事な友人だって思っていたんだ、その時でも。ってそれも言い訳だな、キスだってしたし抱き合ったりもしたし。そうしたら『入れたい』って言われて、それだけはいやだって…変だろ、他の人と抱き合っておきながらまだ陸のこと考えていた。なのに僕は彼を受け入れた。快楽を貪った。陸への思いを断ち切る一番の方法だったから。」
 零の想いが僕の中に溢れてきた。
「あの時、初めての日、僕が言ったでしょ『零の気持ち知っていた』って。あれははったりだよ、あぁでも言わなきゃ零は心を開いてくれないって分かっていたから。」
 僕の身体に絡み付いていた腕を解いて振り向く、零はベットの上に胡座をかいて座りなおす。
「ねぇ、言って、僕のことどう思ってる?」
「どうって…好きだよ。」
「愛してる?」
「うん」
「ちゃんと言葉にして言って。零は、あんまり言ってくれない…。」
「愛してるよ。」
「どれくらい?」
「えっ?」
「僕はどれくらいか言えるよ。ねぇ、どれくらい?」
「例えようがないくらい…じゃだめ?」
「僕はその倍、いつでも零の倍だけ愛してる。」
「なんだよ、それ。」
 僕は笑顔を作った。…そっか、そういうことなんだ。でも大丈夫だね、零。
 それ以上話を続けようとする零を僕は抱きつくことで止めた。
「僕はあなたの腕の中で一番幸せになれるんだから、これ以上なにも欲しくない。」
 本当だよ、僕は零に抱かれている時が一番幸せだし気持ち良い。
「零は、欲張りだよ。」
 零の首に腕を回してキスのおねだりをしていたら、あぁ、闖入者だ、「おはようっ」て無邪気な声が降ってきた。

 零は優しすぎるよ、だから悩むんだ。僕みたいにずうずうしくなっちゃえば良いのに。
 何に対してもじっくり考えてから行動する、多分それはママとの事が原因なんだろう。あれからだもの、零が無口になったのは。
 この半年で聖はすごく明るくなって子供らしく笑う、僕はこんな聖に会いたかった。無邪気で明るくて悪戯っ子で…それは子供の頃の零。僕に色々教えてくれたいい兄貴だった。
 太陽の下に出ることも人の前に立つことも自分を特別だって思わなくて良いことも全部零が教えてくれた。
 プシュッ…
「あーあ、陸何やってんだよ。」
 いけないっ、ぼんやりしていたら火にかけていたミルクが吹き零れた。
「僕そのベロベロやだっ。」
 …僕だって嫌だよ。でもこうなっちゃうと手の施しようがない…。
「聖ちゃんそこにいたんなら声掛けてくれれば良かったのに。」
 おいおい、それは責任転嫁。
「だって陸ずっと鍋見てたじゃないか。」
 そう言えば視界に入っていた。
「寝ぼけてるんだよ、こいつ。」
 …零に言われたくないっ、ちょっと睨み付けて…止めた。別の鍋を出してきてミルクを温めなおす。
「やろうか?…僕の、せいだろ?」
 ううん――と、首を振る。違うよ、ぼんやりしていただけ。
 僕は零のために何が出来るだろう、それを見つけたい。
「お腹空いたーっ。」
 …聖が叫んでいる。

 午後から実紅ちゃんが来てくれて僕達は仕事に出かけた。仕事って言ったって今日は打ち合わせだけだから(それも急に決まって呼び出された。)5時過ぎには戻れるだろう。
 最近良く実紅ちゃんは家に来てくれる。短大って暇なのかな?
「今朝、ごめん。」
 車のエンジンをかけながら視線を外したまま零が言う。
「夢見たんだ、嫌な夢。気付いたら陸がいなくなってて独りぼっちだった、寂しくなって泣きそうだった。でも目が覚めていつものように横にいたから、安心しちゃて馬鹿なこと口走っちゃったな。」
「…馬鹿なことじゃないよ、嬉しかったよ。…もしかしたら僕のことは弟の延長線上にある感情なのかと思っていたから。僕が見ていたのはいつも零だけだった…違うな…零が僕の目を零にしか向けさせないように仕向けたんだ、そうだろう?」
 ちょっとびっくりしたように目を見開いたけど、すぐに口元に微笑を称えた。
「うん、そうかもしれない、分からなかったんじゃない、気付かない振りをして陸に近づいて…ただ、陸を壊したくなかった、たとえ僕がばらばらに砕け散っても陸だけは守りたかったんだ。」
「守ってくれなくても大丈夫だよ、僕は黙って着いて行くから。転んだら自分で起きて走って着いて行く。」
「そうだよな、陸は思っていたよりずっと強いから。」
「…あんまり、待てないよ。」
「分かってる。」
 本当に分かっているの?もう、そろそろ限界だよ…そろそろって10年くらいかな。
「聖の誕生日にはでっかいケーキを買ってこようね。」
「陸の時はもっと大きいのって言うんだろう。」
「ううん、僕はもう一生分貰ってあるから。」
「なんかプレッシャーだなぁ。」
 いつもの零に戻ってるね。よしよし。
「じゃあ、もっと大きいケーキ買ってもらおう。」
「プレゼントは陸の一番欲しいものをあげるからさ、期待してて。」
「うん。」
 車が駐車場から走り出した。

 ゴールデン・ウイークが終わって4日後、聖の誕生日。
 聖の友達を呼んであげようかとも思ったけど、やっぱり3人でお祝いしたかったんだ。飛び入りで実紅ちゃんが来たけどさ。
「なに、聖と陸と8日しか違わないのに別々にやるの?」
 実紅ちゃんは呆れ顔。
「だって、僕のお誕生日は今日だもん。」
 唇を尖らせて抗議する。
「はいはい。あっ、これプレゼント。」
 ピンクの包装紙の中から出てきたのは、テディ・ベア。
「熊さん?」
「知らないの?外国では子供が産まれるとテディ・ベアを持たせるのよ。聖は持ってないでしょ。」
「うん。」
 それで納得したらしく『ぎゅっ』て言いながら抱きしめていた。あとで聞いたら同じ物を二つ貰ったからいらないので持ってきたそうだ、実紅ちゃんらしい。
 零が帰ってきた。なんか『青山』の有名なケーキ屋で予約しておいたそうだけど、僕は詳しくないのでよく分からない。彼はそういうことには意外とマメなんだ。
 プレゼントは昨日二人で選んで買ってきた、車のトランクに積んである。僕達が一緒に暮らし始めて最初の誕生日、これからはずっと一緒にいようねって気持ちをこめたつもりだけど分かってくれるかな。
 料理はリクエストに答えてハンバーグ、主役の意見には逆らえません。
「ママの具合はどう?」
 言ってからしまったと思ったけど、後の祭り。
「うーん、一進一退…でもないかな。あっ、知ってる?夾がね、医学部受けるって言ってるの。で今猛勉強中、私は家にいずらくってねぇ。でもパパは一人暮しは反対するし。私もここに来て良い?」
「だめ。」
 …零ったら、即答しなくても。
「意地悪。私がいたほうが便利だよ、聖の世話ちゃんとするし。」
「陸がいるからいい。」
「分かったわよ、もう泊りがけで来ないから。」
「別に良いよ。」
 …困るよ、実紅ちゃんが来てくれなくなったら誰に頼むの?
「本当に零ちゃんは私に意地悪なんだから。来るなって言われたって来てやるわよ、聖を一人に出来ないもんね。」
「…どうだか。」
「もうっ、兄妹喧嘩はやめてよね。聖がびっくりしてるじゃないか。」
 …いや、食べることに夢中になっているけど。
「プレゼント、持ってこようか、ね、零。」
 零の腕を取って連れ出す。
「何やってんだよ、実紅ちゃんと喧嘩したらだめだろう。」
 玄関を出てエレベーターへ向かいながらちょっと説教。
「うん。」
 ちょっと不本意そうな返事。
 エレベーターに乗り込むなり彼の両手が僕の頬を包みこんでキスしてきた。
「零、外ではだめだよ、いつ、誰が見ているか分からないだろう…そう言ったのは零だからね。」
「べつにばれたって良いんだ、僕は陸が好きだから…」
「聖はどうするの?聖のために隠そうって誓ったのに。」
 睨まないでよ、困っちゃう、僕。
 零は渋々手を離した。
 トランクから三つ、大きな包みを取り出して僕達は部屋に戻った。戻るとリビングが真っ暗になっていた。
「蝋燭に火をつけまぁすぅ。」
 楽しそうな聖の声。
「いい、お願いだからもう実紅ちゃんと喧嘩しないでよ。」
 耳打ちして釘をさす。
「零くん、お歌を歌ってくださぁい。」
 蝋燭の明かりの中、流れるバースディ・ソング。実紅ちゃんがいなかったらこんなことしなかったね、サンキュ。
 フゥッ
 炎が揺れ、白い煙がゆらゆらと立ち昇る。僕はそれを見つめながら胸の奥のほうに沸きあがってくる妙な感情を押し戻して、照明のスイッチを入れた。
「誕生日おめでとう、こっちは零からこれは僕から、でこれは二人からね。」
 ビリビリと包装紙を破きながら床を散らかしている。水色の包装紙から出てきた物はラジコン、緑の包装紙から出てきた物はスニーカー、どっちも聖が欲しがっていたのは知っていたからね。
「枕…」
 不思議なものでも見る様に手に取った。
「うん、今使っているのは小さいでしょ、だから。」
 聖が一人の夜、寂しくないようにって零が選んだんだよ。ごめん、一人ぼっちにして、でも僕達はいつでも聖のこと大好きだからね。
 ぎゅっ
 零が聖を抱きしめる、
「ごめん、聖に寂しい想いばっかりさせて。」
 そう言って髪に鼻を埋めた。
「零くん、僕寂しくないよ、零くんも陸もぎゅってしてくれるから全然寂しくないよぉ。」
 気付いたら実紅ちゃんの靴が玄関から消えていた。

「ねぇねぇ、今日は陸の誕生日でしょ、またケーキが食べられるね。」
 いそいそと幼稚園バックを肩から掛けた聖が満面の笑みで問い掛ける。
「うん、そうだね。」
 僕は手を引いて保育園に送って行く、今日こそは迎えに来てやろうと思いながら。
「陸、」
 聖に名前を呼ばれて視線を落とす、
「僕大きくなったらいい子になるからね。」
「…?。うん。」
 なんか、わかんないけど。
 元気良く走り去って行く聖の後姿を見つめながら最前の言葉を繰り返す。…でも、やっぱり分からないなぁ。
 零に聞いたら「ふーん。」って言ってそれっきり何も言わなかった。彼には分かったのだろうか。
「陸、帰りにちょっと寄り道したいんだけど、大丈夫かな。」
「僕も行くの?」
 じゃあ、今日もお迎えは無理か、小さく心の中でため息をつく。
「ん、6時までには帰れると思うけど。」
 何故か尻つぼみの返事。
 珍しくテレビ番組の収録が3時に終わった。初ちゃんが嬉しそうに電話を掛けていた、隆弘くんもさっさと帰っていった、残ったのは剛志くんと僕達二人。
「行くよ。」
 零が先を歩く、僕は慌てて後を追う。
「零。」
 剛志くんの声に振り返った。
「じゃあ、な。」
「うん。」
 零が目で頷いた。
 再び歩き出した背中にどこへ行くのかと、聞いた。
「あきらちゃんの所。」
 ママに、会うの?
「あきらちゃんにきちんと話すよ、陸を好きだからもう何も心配しないでって。」
 …零、ママは別の意味で心配するよ、きっと。でも零は何かを吹っ切ったんだね。
 ママは変わらずにそこにいた、ただほんの少しだけ微笑んでくれたような気がするけど、気のせい、だよね。
 涼さんは、戸惑っていた。二人が一緒に暮らしているのは仕事に都合がいいからだと信じていたらしい。
「零がすることはいつも突拍子も無いことだな。あきらの事といい聖のことそして陸君との事。僕が考えもつかないことばっかりやってくれる。」
 最後にはそう言って大きくため息をついた。

「これで、何の柵も無くなったからな。」
 初めて零と二人で聖を保育園まで迎えに行った。保母さんたちが大騒ぎしてたよ、零を見て。
「シガラミってなぁに?」
 二人の間できょろきょろしながら聖が聞く。
「零がね僕にプレゼントをくれたんだ。」
「ふーん…大きいの?僕のときより。」
「うん、すっごく大きい、大きくて暖かい。」
「…お布団?」
「んーっ、そんなもん、かな。」
「違うよっ。」
 家に帰って最初に聖が、次に零が叫んだ。
「あーーーーっ、ケーキが無いぃ。」
「ごめんっ、忘れたっ。」