「零のばかっ」
言い放つとそのまま車のキーを掴んで外に飛び出した。
きーっ、ムカつくムカつくムカつく!
闇雲に車を走らせた。
ここが一体何処なのか、全く見当もつかない。
段々車が増え、渋滞になる。
近くに大きな駐車場があり皆そこへ入っていく。
行く当てがないのでとりあえず着いて行くと、そこは競馬場だった。
ざわつく場内。
しかし大声で騒いでいる人はいなかった。
入り口で入場券を買い中に入る。
しかしどっちへ行ったらいいのか全く見当がつかない。
とりあえず人の流れに着いて行ってみよう。
道行く人々は手に手に新聞と赤ペンを握って色々書き込みをしている。そうか、新聞がいるのか。さっき、入り口でおばちゃんが売っていたっけ?ま、いいか。
どんどん中へ進んで行くとガラスドアが現れた。
右手にグッズが売っている。当然馬のぬいぐるみが沢山ならんでいた。帰りに聖に買っていこう。
ドアを入ると正面に階段が見えた。人の波がそちらへ続いていたので迷わず進む。
階段を上がり切るとそこは、レースコースを見渡せるスタンド席だった。
ドドドドッ
ワーッ
馬の走る足音と観客の声援。
その声は馬名を叫ぶ人、人の名を叫ぶ人、ひたすら「走れ」だの「行け」だの叫ぶ人と様々だ。
馬が走り終えるとため息が一斉に漏れ、あっと言う間に声はなくなった。
小さな紙が飛び散り、ひたすら新聞をめくる音がするだけだ。
なんか、ライブ会場にきてくれるファンの女の子達に似ている。お目当ての人(馬)がステージ上に居るときはここぞとばかりに叫んでいるけど、居なくなったらあっという間に現実に戻って行く。 「陸?」
背後から知った声が僕の名を呼んだ。 「カズくん?」
意外な顔だった。 「又無防備に馬券買いに来てるんだね。」
僕の服装のことを言っているらしい。 「ま、ここで芸能人追い回す子はいないだろうから、ね。」 「初めて、なんだ」
カズくんは意味が分からなかったみたいだ。 「ちょっと、嫌なことがあって車に乗ったら流れ着いたんだ。」
照れながら答えた。 「買い方、知らないとか?」
「全く」 「よっしゃ、いっちょ派手に行きますか?」
カズくんに手を引かれて電車の有人窓口みたいな所へ連れてこられた。 「このマークシートを使って馬券を買うんだ。…新聞も持ってないのか…はい、次は4レースだからこのページで、この中から好きな馬選んだらいい。まずは名前が気に入った奴でいいよ。」
名前が? 「スペシャルレインボー」
特別な虹。だけど零の名前が入っている。 「あと2頭位いけそうだよ。」
んー 「アクティブレッドとトップカケル」
ACTIVEなんて嬉しい。あとは駄洒落みたいな名前がついていたけど験をかついでみたんだ。
「馬の名前の上にある番号と同じ番号を塗りつぶして…いくらかける?」
言われてドッキリした。お金…小銭入れに500円位しか…ポケットを探ると、今月の光熱費が入っていた。…これ、使っちゃえ! 「いくらが妥当?」 「いくらでも。」 「うーん一頭3百円位かな?」
「セコイ!!」
そうなの? 「馬連ボックスにしといたから。」
うまれん?ぼっくす?なに? 「んー、と。一着と二着になったら当たりだよ。」 「ふーん。」
単純なルールなんだ。何がおもしろいんだろう?
「陸、あっち行こう。」
手を引かれて連れて来られたのはさっき通ったショップ。 「とりあえず、キャップ買おう。あまりにも無防備だ。」
ふーん。
僕は知らない馬の名前が入ったキャップとマスコットが付いたボールペンを買った。 「さて、そろそろ発走だ。陸の馬は2-7-15だからな。」
ふむ。
つまり。馬には名前と番号が付いているのか。 「今日はレイちゃん、調子いいみたい?」 「絶好調だよ。パドック行く?」
隣に居た女の子が奇声を発しながら走り去る。
「陸って、零が好き?今の女の子が言っていたのは蓼科令貴(たてしな れいき)騎手。騎手のファン。レイってだけで反応してる。」
僕は慌てて否定する。 「違うよ。今朝喧嘩したからさ、いたらいやだと思ったんだよ。」
零は競馬なんかしない。たぶん。聞いたことないし。 「いいよ。分かってるから。」 「何のことだか、分からないよ。」
まだ、カズくんには言えないよね? 「ま、いいよ。色々事情があるんだろうし。実はさ、白状すると陸を利用しようと思ってた。俺さ、好きな人がいるんだ。」
カズくんの告白の間に、ファンファーレが鳴っていた。 「陸はゲイだって気付いたから、利用しようとした。でも両思いだから駄目だな。零は怖いしなぁ。」
ゲートが開いて、馬が一斉に飛び出した。 「マサの弟なんだ。」
マサはかずくんの所属グループ『dis』のメンバー。
「もともと俺と奴はクラスメートだった。なのに兄貴なんか連れてきたんだ。」
カズくんはレースなんか見ていなかった。遠い瞳で今ここにいない愛しい人を見つめていた。 「あいつには夢があるんだ。それを俺が壊しちゃ、いけないんだ。」 「どうして壊しちゃうの?目指す道が違っても一緒に頑張ることは出来るのに。」
馬達は最後のコーナーを回って客席正面のコースに入っていた。歓声が大きくなる。
「あいつの夢はマイホームパパだからさ。平凡にサラリーマンになって結婚して子供を持つ…少女趣味だよな。」 「彼の夢はそれだけなのかな?他にないのかな?あればそっちを叶えてもらったらいいよ。一つくらい、諦めても生きては行けるからね。」
ゴール板を最初に抜けたのはスペシャルレインボー。アクティブレッドがその後からゴールした。 「人間が思い描く夢なんて、かなりの確率で叶わないよ。」
電光掲示板が到着順位を告げる。 「…万馬券だ…43万だよ?」
ん?
「陸の馬券。43万円だから、129万円になってる。」
へ?
こんな風に初めて買った馬券が当たると、大抵の人間はギャンブルにはまるらしい。
「ただいま〜」
朝、喧嘩して飛び出したのを忘れていた。言った後で思い出したよ。 「お帰り。」
零も何も事も無かったかのように僕を迎え入れた。 「別に、許してあげるんじゃ、ないからね。」 「ごめん、僕が悪かった。」
素直に謝られると折れるしかない。 「ん、僕も。ごめんね。」 「何?それ。」
零は僕のポケットが気になったらしい。 「光熱費。」
5万円が120万円になっていた。万馬券の後何レースか買ったけど全然当たらなくって9万円が消えていた。
手短に今日一日の出来事を話す。 「競馬?」 「うん、楽しかったよ。今度一緒に行こうね。」
零が上目使いで見る。
黙ってパソコンの前に座ると、あるサイトにアクセスした。
「ずっと言えなかったけど、たまに買ってたりする。」
それはネットで馬券が買えるサイトだった。
「始めたのは中学の時かな?その時はWINSって場外馬券売り場で買ってた。」 「違法だよ!」
「まあまあ、固いこと言わないで…」 「うー」
いけないんだよ、学生は。
「今のところ収支はプラス。ま、負けたら資金切れで終わらせるけどさ。」
自分で作成した収支表を見せてくれた。確かにプラスだ。 「そんなに上手く止められるの?」
最初は単純でつまらないと思っていたけれど、一度馬券が当たったらうれしくて仕方ない。そのうち買った馬が自分の所有になったような錯覚に陥った。
人気騎手が必ず強いとも限らなかった。 「零は馬で買うの?騎手で買うの?」
ちょっとびっくりした瞳が僕を見た。 「一日でよくそんなに覚えたな。僕は基本的に厩舎、調教師で選ぶ。」
今度は僕が驚く番だった。 「そんな買い方もあるんだぁ」 「で?頭は冷えたようだね。今朝の件、どうする?」
は!喧嘩の蒸し返し! 「絶対反対!」 「なんだ、駄目なの?」 「いやだ!」
やだよ、我慢出来ない。 「頑固だな。」
零は呆れ顔。 「クリスマスは絶対三人でやるの!ママは呼びたくない!」
「だから。最初は三人でやろう?そして実家に行って二次会。それから聖は置いてきて、こっちでふたりっきりで三次会。久し振りに二人で一緒のクリスマスに休暇なんだからさ?駄目かな?」
え?そんなこと、言っていたっけ?
「あきらちゃんも聖と一緒のクリスマスを楽しみにしている。たまには親孝行も必要だろう?」
こくん。
頷くしかなかった。
僕は、ママに対しては親不孝しかしていない。零を取り上げ、聖を取り上げ…。
「よし、いい子だ。」
零に、反論する前に抱き寄せられた。
僕は…いつだって良い子だよ。
「あっ、カズくん。」
翌週。音楽番組で一緒になったのはdis。
「陸。あれから馬券買った?」
「えーっ、だって競馬が開催していないよ?土日だけでしょ?」
「バカ言うなよ〜。競馬は地方もあるんだぜ。熱いぜ…」
遠くを見詰めて、カズくんは拳を握り締めた。
「時々、競馬場で見かける。だから通っているんだ。あいつさ、騎手になりたかったんだってさ。子供のとき父親が競馬好きで中継見ててカッコいいって思ったんだって。…マサが教えてくれた。」
耳元で囁かれた。
「カズくん。見ているだけじゃ、何も始まらないよ?傷ついて二度と立ち上がれなくなるかもしれないけど、それでもやってみなければ、恋愛は始まらない。」
「陸。」
遠くで、零が僕を呼んだ。
「今行く。じゃあね。」
「さんきゅ。ありがとな。」
カズくんは、照れくさそうに微笑んだ。
「うん。又競馬場、行こうね?」
「やだよ、あっちで睨んでいる人は怖いからさ。」
それは…零のことだよね?ちょっと恐ろしくて振り返れなかった。 「上手くいったら教えて!」
僕は急いで零の元へ走った。
カズくんのスペシャルレインボーがダントツトップでゴールしますように。
|