恋愛偏差値
 零がラジオの生放送で週に一回夜、家を空ける。
 僕はセミレギュラーなので月に一回。その日は聖が一人になるから、加月家に預けたり、斉木くんに泊まってもらったりしていたんだけど、
「ねーねー、いいでしょ〜?」
と、彩未ちゃんに泊まりに来てもらうと言ってきかないのだ。
「次の日、あやちゃんも学校だからね、無理を言ったら駄目」
「でも、あやちゃんのお母さんは良いって言ったもん」
 なんだか最近わがままになった気がする。
「聖、彩未ちゃんは女の子だ、何かあったら悪いけど今の聖じゃ守れない。その自覚はあるんだろ?」
 コクン
 不詳不精頷く。
「今まで通り斉木くんに来てもらおう?」
 途端に目の色が変わる。
「斉木くんがいたらあやちゃんがお泊まりできる?」
 …別の意味でやばくないか?
「そうだな…いいかな」
 え?
「あの二人、顔見知りだし斉木くんが彩未ちゃんをどうこうなんてことになったらうちにはいられなくなる。だから大丈夫だよ。」
「どーこーって何?」
 聖の質問責めが始まった。
「悪戯しないかってこと」
「悪戯?イジメじゃないの?」
 零が不敵な笑みを浮かべる。
「僕が夜、陸にしていること」
「せっくす?斉木くん、あやちゃんとしちゃうの?」
 なんだか勘違いしている。
「斉木くん、あやちゃんのこと好きなの?だからせっくすするの?」

「わかった、斉木くんには言っておく」
 これ以上聖にふしだらな言葉を連呼させるわけにはいかない。
「聖、人前であんまりセックスは言わない方がいい」
「なんで?いけないことなの?いけないのはやっちゃいけないの?」

「人間には羞恥心って感情がある。『性行為は恥ずかしいこと』としてインプットされて生まれてきているから人前や誰彼構わず交わったりしないし、言わないんだ。でもこれは動物として生まれてきたからには本能として備わっている。動物の本能と人としての羞恥が闘っているからややこしいんだ」
 聖には理解できていない表情だ。
「零、それじゃ難しくてわからないよ。」
「今はわからなくてもいい、でも理解できるまではやたらと人前では言わないこと。」
「はい」
 返事を聞いて零は嬉しそうに笑って聖を抱き締めた。
「解らないことは今みたいに僕や陸に聞いていいんだ。今度のラジオの日はとりあえず斉木くんに聞いてからだからな、彩未ちゃんのお泊まりは。」
「解った。」
 聖は零の背に腕を回して力いっぱい抱きついた。
「零くんありがとう」
 聖が幸せ一杯の表情で腕に力を込めた。


 後でこっそりと聖が僕に耳打ちした。まだまだ零くんには勝てないんだよね―って何か賭け事でもしているのかな?
 聖がもう少し子供っぽくあるよう、心の中で祈った。



「いいですよ。」
 斉木くんは絶対に良いと言ってくれることを零は分かっていて頼むんだ。
「彩未ちゃんも一緒だよ?」
 念を押すように聞く。
「遅くても11時には寝かせますから安心してください。」
 じっと斉木くんの瞳を見つめ、僕は決心した。
「よろしくお願いします。」
 その時、聖が企んでいたことを僕は後日、斉木くんから聞かされるまで全然気付かなかった。


 深夜に戻った時はみんなそれぞれにすっかり夢の世界に行っていたのを確認したので、とりあえず安心して(零は何とも思わなかったらしい)僕たちも束の間の仮眠タイムを取った。


 朝食の席では聖が上機嫌だった。
「まーくんがね、」
 まーくん?学校の友達かな?
「あやちゃんと友達になったの」
 なんで?
「良かったな、女の子の友達増えて。僕は斉木くんって僕と同じ趣味だと思ってたよ。」
 零?まーくんって?
「陸、もしかしてまーくんのお名前、知らないの?」
 聖がなんだか得意満面で聞いてきた。
「ん?」
 とりあえずごまかしたつもり。
「陸さん?」
 なんとなくわかった。斉木くんの名前ね。斉木…ん?なんだっけ?
「斉木祐一(さいきまさかず)」
 …知らなかった。
 斉木くんはご丁寧にもテーブルの上で漢字を書いてくれた。
「ゆういちじゃないんだね。」
「初めてお会いした日に教えたんですけど。」
 しまった!
「ごめん」
「いいです、陸さんの中では僕は名字だけの存在みたいですから。」
 斉木くんが俯いた。

「そんなことなぃ…ごめんなさい。」
 素直に謝るのが一番だ。
「ところでまーくん、次もお泊まり保育、お願いできるかな?」
 零は"まーくん"が気に入ったらしい。
「僕は構いません。」
「ありがとう。じゃあそういうことだから。」
 なにが?
「あやちゃんはいらない。男と女が一つ屋根の下で何度も一緒に泊まったらそれだけで勘ぐられる。あやちゃんはまだ高校生だ、僕にはあやちゃんの安全を守る義務があり、その中に風評も含まれる。いいね?」
「はい」
 彩未ちゃんは納得して頷いた。
「まーくんとあやちゃん、キスした?」
 聖が唐突に斉木くんに質問した。
「はぁ?」
 しまった、声にしてしまった。
「だって、まーくんがあやちゃんに好きって言ってたもん。」

「聖くん、違うんだ、それはね、」
「やだ、私は聖くんが好きって言ったのよ。そしたら祐一さんも聖くんのこと好きだよって。もう間違えないでよね?」
 彩未ちゃんは至極当然といった表情で聖に説明した。
「え?そうなの?僕モテモテだね?」
 えへへっと、嬉しげに笑う。
「じゃあ私はそろそろ失礼します。」
 彩未ちゃんが立ち上がった。
「また聖と遊んでね?」
 声を掛けると、大きく頷いた。

「あやちゃん、バイバーイ」
 本当に嬉しそうに手を振る姿がなんとも言えず可愛い。
 僕は彩未ちゃんを家まで送るつもりで玄関まで出た。
「近いから大丈夫です」
と、断る彼女を無理に車に押し込んで数分間のドライブ。
「聖がさ、最近あやちゃんに迷惑掛けてない?」
「全然!私は…陸さんのファンだからすごく嬉しいです。…」

「ありがとう…でも本当に無理を言ったら断ってね。」
 バックミラー越しに見た彼女の表情に嘘はないと思う。
「聖くんが大好きなのは本当なんです。陸さんのファンがきっかけで聖くんと知り合えたのは幸せでした。」
 嬉しそうに微笑む彼女に僕はホッと胸をなで下ろした。ちょっと年上だけど、聖の友達だから。
 しかし!帰りがけに斉木くんのことを聞かれたときは正直焦ったよ。
 聖に言われた「せっくすするの?」が現実になる?とか思ってしまった。

 でも
「あの人、レベルが聖くんと同じで小学生が二人になったかと思っちゃいました。」
とクスクス笑うから、この二人の関係がこれ以上発展することはないのかな…と思ったらちょっぴりがっかりしちゃった。
 だってさえより絶対に彩未ちゃんの方が斉木くんにはお似合いだから。


「陸さん。」
 数時間後、事務所で会った斉木くんが僕に耳打ちしてきた。
「聖くん、陸さんが大好きなんですね。夕べもずっと陸さんの話ばっかりしていました。」
「本当に?全然知らなかった。家ではいつも零くん零くん言ってて、僕にはおねだりする時にしか甘えてこないから嫌われているんだと思っていた。」
 斉木くんはとってもびっくりした顔で僕を見返した。
「いつ泊まりに行っても陸さんの話ばかりしていますよ?現場ではどうしているのか聞きたがりますし。」
「へぇ…知らなかった。」
 ちょっと意外だった。
「で、どうして今回彩未ちゃんを呼んだかが分かったんですよ。」
「なになに?」
 僕は興味津々だった。
「彩未ちゃんを呼ぶって言ったら絶対に陸さんが反対する。でも零さんは僕を呼べば良いって言ってくれるはずだって言うんですよ。」
 …するどい。
「どうしても彩未ちゃんを僕と会わせたかったんだそうです。何でだと思います?」
「んー…分からない。」
 全然検討もつかないよ。
「彩未ちゃんと僕は好敵手なんだそうです。つまりライバルですね。」
「なんの?」
「恋の。」
 恋?
「だったら彩未ちゃんと僕をくっ付けてしまおうと企んだみたいです。」
 ふーん…。
「聖、好きな人がいるの?」
「はい。」
「誰?」
 僕は斉木くんの胸倉を掴みかける勢いで問いただした。
「僕からは言いません。聖くんが陸さんに話すまで、待ってて下さい。」
「え〜っ」
 斉木くんも知っているのに…ずるいっ。
「で、彩未ちゃんの件ですけど、暫く二人で聖くんの動向を確認するため、とりあえずお友達からってことになっています。」
「それでいいの?」
「…陸さんは零さん一筋だし、さえさんは手が届きませんしね。」
 それって、ただ単に彩未ちゃんが気に入ったってことでは?
「聖くん、付き合ったらセックスするんだよって言ってました。」
 げっ!!
「ご・ごめん、そのことは帰ったら良く言い利かせるから。」
「どうしてですか?聖くんは『大好きで大好きで、ずっと一緒にいたい気持ちで一杯になるから、溶け合うんだよ』って言ってましたよ。奇麗ですね。」
 聖…。
「溶け合うって素敵だなって思ったんです。男ってついつい『入れたい』って思っちゃうんですけど、純粋な子供時代にならそんな奇麗な言葉も使えるんですね。確かに、一瞬でも溶け合うって思えますよね。」
 斉木くん…。
「そうだね。身体もだけどその時は心も溶け合っているかもしれない。」
 溶けて、一つに固まっているのかもしれない。
「この間、あんなこと言ったばかりですけど、彩未ちゃんのこと、真剣に考えてみようと思います。」
 …彩未ちゃんはどうなんだろう…難しいかもしれないよ…とは言えなかった。


「まーくん、甘いな。って言うか経験ないんじゃないかな?」
 えっ?何の?
「振られたことないって言っていたんだっけ?怪しいなぁ…」
 零はどうしても『斉木くんセックス未経験説』から脱しない。
「勝手に決めつけたらいけないって。」
 零がやけに強気な発言をした。
「だってあいつ、僕には勝てないって言ったんだよ?」
「それがどうして未経験になるのさ?」
 僕は不満で一杯だ。
「同じボーカリストで勝てないとなったらそれはオーラだね。」
 ソファの背に両腕を預け胸を張って言った割りには根拠が分かりにくい。
「まーくんにはオーラがない。それは人間としての幅の違いだね。」
 そんなもんなのかな?
「三人くらい女を抱いたら深みが増す。」
「抱いたの?」
「うん」
 胸を張って言われた。なんか…ムカついた。
「…斉木くんに聞いてみる」
 携帯電話を取り出した。
「ちょっ、待って!!」
 零に抱きすくめられた。
「ごめん。調子に乗りすぎた。」
「凄く…悔しい。だって僕はずっと!!」
 身体は両腕で塞がれ、言葉は唇で塞がれた。
 わかってる、零が冗談で言ったことくらい。だけど、悔しいんだ。
 今はこの腕が僕を抱きしめてくれるけど、昔は違う人を抱いていた…。
「斉木くんも、寂しいんだよきっと。」
 寂しい?
「どうして?」
「斉木くん、陸が好きなんだろ?だけど陸は僕に夢中じゃないか。それって辛いと思うよ。」
 …うん。
「誰でもいいんだと思う。陸とは違う人なら。だから女の子なんだ。僕は、そうだった。」
「うん…」
 そうだね、寂しいね。
「仕方ないなぁ…じゃあ二人の間、取り持ってあげようかな。」
「うん、そうだね…って、おいおいっ、余計なことは…」
 零が何か言い続けていたけど、僕は決めちゃたもんね。ふふんっ。