今夜、君を抱きしめて。

「ダメです、仕事に差し支えますから。」
「何で?」
「だって…」
「お前も陸が好きだとか言わないよな?」
「それは…」
「本気なのか…」
「違います!僕は…」
 なんで僕は流されやすい性格なんだろう…母親を恨みたくなる。母も優柔不断で流されやすい人だから…なんて今はどうでもいいことばかり頭に浮かんできた。
「なら…」
 ちょっ、待て…

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「え?」
 朝、突然小さな声で斉木くんが話し掛けてきた。
「剛志…くん?だったら僕より零か初ちゃんに聞いた方がいいよ、同級生だしね。」
 はぁ、やっぱり…と、力無くがっくりと肩を落としてとぼとぼと歩いて行ってしまった。これから仕事なのに。
「朝からヘンなんです。」
 斉木くんの後姿を目で追い掛けていると同じように追っていた都竹くんが溜め息混じりに漏らした。
 さえと何かあったのかな?告白して玉砕?
 …ふと、斉木くんは恋愛するなら守るより守られるタイプだな…なんて思っていた。
 でも、剛志くんがどうしたんだろう?
 今日は剛志くん、雑誌の仕事だしな…僕はプロモーションビデオ用衣装の打ち合わせだから会わないし。
 悩んでいると携帯電話が鳴った。相手は初ちゃんだ。
「斉木を見失うな!」
 それだけ言うと一方的に切られた。
「見失うなって、斉木くんいる?」
 都竹くんは形式的に頭をぐるりと巡らせて「いません」と簡単に返してきた。
「探してくる」
 返事を待たずに僕は会議室をとびだした。
 廊下を何メートルか進んだ所に階段の踊り場が見えた。心ここにあらずという表情の斉木くんを見付けた。
 声を掛けようと近付くと彼は誰かと電話で話をしていた。
 聞くつもりはなかった…いや、動かなかったんだから聞くつもりだったんだと、自分自身に言い訳をした。
「…わからないんです…だから…あ、それは言えま…えっ、でも…」
 いつも僕が頼りっきりになっている頼もしい背中ではなかった。切なげで小さな背中だった。
 そっと近付くと背後から抱き締めた。
 体がびくんっと揺れた。
「あ、仕事はじまるんでまた後で」
 慌てて電話を切る。
「陸さん…」
「剛志くんと何かあったの?こんなとき、零ならすぐに気付いてくれるんだけどごめんね、役立たずで」
 斉木くんの手が僕の腕に重なった。
「自分がわからなくなったんです」
 苦し気な声が返ってきた。
「好きな気持ちってそんな簡単に変われるのでしょうか?」
 重ねられた手が僕の腕をほどき今度は正面から抱き締められる形になってしまった。
「ずっと、陸さんが好きでした」
 言うと強引に僕の顎をつかんで無理矢理にキスをしてきた。
 少しだけ迷った、零に悪いかなと思った。だけど身を任せた。
 斉木くんは抵抗しない僕がつまらなかったのか、すぐに離れた。
「ヘンなんです、陸さんにときめかないんです」
 …やられ損…もとい、やっぱり恋愛の悩みなんだね。
「さえは、もういいの?」
 体がびくんと跳ねた。
「忘れて、ました」
 天下のトップアイドル、かたなしだ。
「剛志くんが好き?」
 斉木くんの体が僕から離れた。
 いままで真っ青だった顔に朱が差した。
 しかし彼は駄々っ子のように首を左右に振る。
「本気じゃ、ないんです…恋人と上手くいってないからって…」
 剛志くんが?
「もう一度聞くよ?剛志くんのことが好き?恋愛感情、もてる?」
 顔は更に赤みが増して火が出るのではないかと言うくらいにまでになっている。
「わかった」
 いままで、斉木くんにはいっぱい迷惑掛けてきたからたまにはお礼の意味を込めてなんとかしてあげる。
「陸さんっ斉木さんっ時間過ぎてます!」
 都竹くんの苛立った声が遠くから聞こえた。
 やばっ、仕事忘れてた!


「だから?」
 その日の夜、初めて剛志くんが家に来た。昼間、初ちゃんが僕に電話してきたのは、斉木くんが林さんに電話をしていたから。初ちゃんは林さんと一緒にプロモーターの所にいたんだ。そこで斉木くんの様子がヘンだってことに気付いて、ミーティングの合間に僕に連絡してきたらしい。
 剛志くんは最初、前に住んでた零の部屋から持ってきたソファを見て懐かしがったり、零の料理に喜んでいたが、斉木くんの話になった途端豹変した。
「陸にとやかく言われる筋合いはないね」
「あいつが腑抜けて仕方ないから聞いているんだ」
 零が口をだす。それを僕が目で制す。
「お巡りさんはどうなったの?」
 剛志くんには同棲中の恋人がいたはず。
「遊びじゃいけない?」
 危なく手を出すところだった。
「斉木くんは遊びで恋が出来る人間じゃない」
「恋してくれなんて言ってない。セックスしようと言っただけ」
 …単刀直入だ。
「あのさ、僕だって遊びで男と寝たけどさ、相手は選んだよ。斉木みたいなタイプは絶対に口説かない」
 零ぃ〜出来れば聞きたくないよ。
「あいつが、いいんだ。零と同じ目で陸を見てた、あいつがいいんだ。ルイとは別れた。」
 ルイちゃんとは終わったんだ…ん?
「恋人って女の子?」
 剛志くんが視線をそらす。
「僕にとっては零だけだよ、男に恋したのは。ルイは妹の友達だった」
 それから…と付け足した一言。
「ルイは警察官じゃなくて自衛官だよ」
 うひゃ〜間違えてた。
 剛志くんも最初は零の前だから言い出しずらかったみたいだけど、最後にはちゃんと斉木くんのことは考えているって白状したんで釈放してあげた。
 泊まっていけば?と言ったらこれ以上あてられるのは真っ平ごめんと返された。

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「…ごめん…なさい」
 後から抱き締められているのに、その手が徐々に上に上がってきて僕の首に長くしなやかな指がからみついた。
「…好きだって言ったよな?信じなかったのかよ?」
 指が皮膚に食い込む。
「そんなに、陸がいいのか?一回寝ただけじゃおまえの心は支配できないか…」
 支配?
 指から力が抜ける。僕はひたすらむせかえる。
 さっき、僕の首に絡んでいた指が背をなでる。
「ごめん」
 再び背後から抱き寄せられた。
「なんで、ここに来た?」
 なんで?
「もう一度寝たら答えが見つかる気がした」

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「おはようございます」
 レコード会社の会議室。昨日とは打って変わって斉木くんが元気。
 剛志くんはさっきからずっと眠そうにあくびしている。
 でもその瞳は一点から離れない。
 廊下でさえの声が響いている。でも斉木くんは微動だにしなかった。
「祐一」
 剛志くんが人目をはばからず斉木くんのセカンドネームを呼ぶ。
 斉木くんは振り返りもせずに、
「公私をきっちり出来ないならもう付き合いません」
と、平然と答える。
 隆弘くんが耳元で
「剛志、斉木くんを口説いたんだ?」
と、囁いてきた。僕は苦笑して答えた。
「剛志の恋愛に振り回されるのは今回で終わりにしたいんだけど…」
初ちゃんが大声で一人言を言った。
「悪かったよ…」
 ばつが悪そうに横を向く。
「斉木マネージャーに手を出しました。けど…マジだから。ずっと悩んで回り道したけど惚れたらしいからさ、俺が。ただいま懐柔しているところなのでしばらく見苦しいこともあるかもしれないけど見ない振りしてくれないか?」
 最後は僕に向けて言われた。
「陸さん、昨日の打ち合わせで決まった衣装ですが陸さんの分だけサイズが取り寄せになるので来週初めの入荷だそうです。」
 斉木くんは剛志くんを無視して仕事を始めた。
「祐一…」
バシッ
 斉木くんの掌が剛志くんの頬を打った。
「いい加減にしてください」
 何故か斉木くんが泣きそうな顔でたたずんでいた。
「斉木くん、剛志は昔から独占欲が強くてさ、君の気持ちを確認しているんだ。わかっていても、繰り返すバカなヤツだって思っててよ。」
 初ちゃんが間に入る。
「そういうの、いやなんです。」
 くるり、背を向けた。
「ま、それも一利」
 隆弘くんは相変わらず頬杖ついて傍観者。
「陸に、知られるのが嫌なんだろ?陸と繋がりのある女ならいつまでも関わっていられるもんな、辞令を無視して!」
 辞令?
「剛志くん、辞令ってなに…」
「新人がデビューするからそっちに主任マネージャーでまわされるんだ」
 それって出世?
「断りました。僕はACTIVE以外に着く気はありません。尊敬する加月零さんを世界に出すまで離れません」
「そーいえば初めの頃は零に着いて歩いてたなぁ」
 隆弘くんの一人言。
「剛志さん、夕べあなたと一晩過ごしてわかりました。僕は誰とも釣り合わない。」
 斉木くんが会議室から飛び出して行ってしまった。
 瞳が光っていた。



「斉木くん、仕事に戻ろう?」
 非常階段の途中で斉木くんは小さく蹲っていた。
「…好きなんです…笑って下さい。初めてだったからでしょうか?一秒たりとも忘れられない…」
「僕も零と初めてセックスした次の日、零のペニスの大きさと形ばかりが頭の中をちらついて挙動不審になったよ」
 斉木くんが顔を真っ赤にして「ヤケに具体的な例えですね」と左手で口許を押さえた。
「ねぇ斉木くんって僕のこと好きとか言ってたけど違うね?だっていつも恋の相談は僕だもん。」
 とても驚いた顔をしていたけど暫く考えて頷いた。
「好きなのは確かです、零さんみたいに尊敬じゃない、でも恋愛でもない気がします」
「やっぱりなぁ〜…ちょっと残念かも」
と斉木くんに笑い掛けた。
「さえのことも彩未ちゃんのことも斉木くんの感情としては解決したんだね?」
 その問いに迷わず答える。
「はい。…畑田さんの言う通りなんです。陸さんの気を引きたいと思って言っていました。だけど陸さんは零さん一筋なのは見ていてわかっているんです。…僕は初めから陸さんと恋愛がしたいわけじゃなくてただ好きな人…弟に関心を持って欲しかったんです。」
 昔仕事の忙しいパパにわざとワガママ言った僕と同じ。
「僕は斉木くんの弟として認めてもらえたんだね?」
 斉木くんはにっこり笑った。
 斉木くんはやっぱり斉木くんだった。

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「なんであんなことを言ったのか、ちゃんと説明するまでセックスはお預け。」
 少し間を置いて「それから…」と付け足す。
「暫く一緒には暮らせない」
 何で?と言う問いの視線。
「僕の夢はACTIVEを世界一のバンドにすることだから、少しでも前進するために好きなことを絶つんだ。」
「好き…か?…セックス」
 バシッ
 思わず頬をはたいてしまった。
「違うだろっ」
 ぎゅっと抱き締める。
 剛志が吐息のような声で「逃がさない」と言ったのを聞き逃さなかった。
「祐一、好きだ。」
「僕の何処が好き?」
 ほんの少しだけ逡巡して、でも照れながら答えた。
「目が好き。強くて、意志を持った色の瞳が好きだ。零以外の男を、こんなに恋しいと思うなんて思わなかった。」
 ずっと、静かに僕のことを見守っていてくれたこの男を、、信じてみようと思った。


 後日。
 聖くんに夜、こっそり呼ばれた。
「なに?今夜は特番で零さんのラジオは休みだよ?」
―ぁっ…―
 微かに聞こえる人の声。
「まーくんが陸を諦めたから僕からのプレゼントだよ」
 にこにこ顔の聖くん。
 それは壁に小さな穴を開け、こっそり室内を覗けるように細工がしてあった。
 そこは零さんと陸さんの寝室。陸さんは両膝をついて腕は背後へ回されバックから零さんに犯されていた。
「色っぽい…」
 呟いて思う。
 僕も彼の目にはあんな風に映っているのだろうか?なんだか照れ臭い。
「まーくんの彼氏って剛志くんでしょ?この間来たとき言ってたよ」
 終始にこにこな聖くん。
「聖くん、聖くんの一番のライバルは零さんだよ?」
 更に嬉しそうに笑うと
「平気だよ。だって僕が大きくなったら陸を下さいって言うんだよ?ドラマだとみんな好きな人が出来たらお父さんに会いに行くんだ」
 何にも疑わずに信じている顔だ。
「剛志くんもまーくんのお父さんに下さいって言ったの?」
「ううん」
 でも、彼ならすぐに逢いたいと言い出すだろう。
「何してるの?」
「うわぁー!」
 寝室にいるはずの陸さんが向かいの部屋から出てきた。
「へんなの?…聖、準備はいいのかな?」
 僕の方が何だか解らない…。
「まーくん、その穴零くんが写真貼って閉じちゃったの」
 …大胆な写真…
「撮影したのは僕だよ、その穴から」
 いかにもお手柄…とでも言いたい感じだ。
「でも零くんに見付かっちゃったから没収されたの」
 そういうとキッチンでさっきから名を呼び続けている陸さんの所へ飛んでいった。
 もしかしたら、陸さんを恋慕っている人間はライバルを間違えているかもしれない。最大の敵は、聖くんだ。

 一抜けた…