the man of one's dreams
 コンビニの飲料水コーナーで零が腕組みをしてうなっている。
「どうしたの?」
「なんで…こんなに種類があるんだ?」
 …何が?


「だからっ、別に種類がたくさんあるのは分かっているって。メーカーが一杯あるし、それぞれ数種類作っているのもCMで知っている。だけど同じメーカーの同じブランドなのに種類がいくつもあるのって、競合してしまうんじゃないかって思っただけなんだよ。例えばうちみたいなバンドは日本中に掃いて捨てるほどあるけど、ファンの子たちはどうやって選んでいるんだろう…とか考えちゃったらあそこでああ言うせりふになっただけなんだってば。」
 自社ライブホール『SEcanDs』の練習室で休憩中、僕が零にさっきの話を蒸し返した。真っ赤な顔をして必死で弁明された。
「零」
 剛志くんが微動だにせず声を発した。
「恋愛と、一緒だよ。色々味見してぴったりのものを探す。」
「恋愛って味見するの?」
 いけないっ、僕ったら話の腰を折ってしまった?
「一杯、したほうが人間としての器が大きくなる…と零が言っていた。」
「剛志っ、余計なことを陸に言うなったら。」
 やっと、顔を上げたと思ったら不敵な笑いを口元に浮かべている。でもそれがカッコいい…なんて心ときめかせてしまった僕は浮気性なのだろうか?
「一回で好みの味を見つけたらそれはそれでいいんじゃないのか?なぁ、剛志。」
 隆弘くんが助け舟を出してくれた。
「…隆弘、見つけたのか?好みの?」
 ニヤリッ
「さぁね。」
 そう言うけど口元の緩みは収まらない。
「き…」
 聞きたい!と続けたかったけれど、零に止められた。
「言いたくないならいいや。その代わり、邪魔されても文句言うなよ。」
 隆弘くんは途端に飛び上がった。
「ごめんなさい、言います、言わせてください、聞いてください。」
 …前から思っていたんだけど、零は隆弘くんに何をしていたんだろう?


「『まさき』ってどんな字を書くの?」
「それは本人に聞いて。会うまでの秘密。」
「いつ会える?」
「明日のライブに来る。呼んでる。終わったらこっちと合流するように言っているし。」
「どんな人?」
 僕はずっと質問攻め。
「陸、隆弘に語らせろ。言いたくてウズウズしているんだから。」
 その人は隆弘くんの住んでいるマンションからそんなに遠くない場所に住んでいた。住んでいるというのは語弊があるかもしれない、正しくは職場兼仮住まいだ。
 職場で寝泊りすることが多く、殆ど実家には帰っていないらしい。
 実家には両親と兄弟がいるのだがちゃんと自分の部屋もある。
 自分が家を建てたといっても過言ではないと豪語している、結構自信家のようだ。
 職業も年齢も性別も、当日までのお楽しみ…と言われると興味津々な僕だった。


「斉木くん、買い物に行きたいんだけど付き合ってくれる?」
 練習の後、僕はいつも通り斉木くんを誘って楽器屋に行くつもりでいた。
「あ!斉木くんの都合は大丈夫?」
 斉木くんはニッコリ笑って、
「大丈夫です」
と、答えてくれた。
 横目で剛志くんの表情を確認したけれども怒っている様子ではなかった。
「剛志くんに許可取ったほうがいいかな?」
 すると斉木くんがくすくすと笑い始めた。
「陸さん、今まで通りで良いって、言ったじゃないですか。でも…楽器屋に行くならついてくるって言うかもしれません。」
「いいよ、神保町に行くつもりなんだけど、キーボードもあると思うし…」
 楽器を購入するときはギターにしか興味がないので他のものがあるかどうかさえ覚えていない。
「大丈夫です。」
 そう言ったけどちゃんと斉木くんは剛志くんに話をしていた。
「で?僕は放置?」
「うわっ!!」
 突然背後から羽交い絞めにされたので慌てて大声を発してしまった。
「零はこの後仕事でしょう?」
「そうだけど…つまんないじゃないか、僕だけ知らないなんて。」
 零のこんなところは可愛いと思う。
「零は楽器いらないし、斉木くんギターに詳しいし…ちょうどいいんだもん。」
 斉木くんはアマチュアバンドでボーカルをやっていたけれども、ギターも兼任していたからギターに関しては色々知っていて買い物に行くときは相談にのってもらっている。
 店員さんに相談してもいいんだけれども、自分たちの音は身内の方が分かっているからね。
「実家に置いてあるギター、少し処分しようと思うんだ。」
「そうなんですか?だったら僕に少し譲ってください。」
 なんて会話、斉木くんしかしてくれない。
「…僕も行っていいですか?…」
「…都竹くん?」
 今日はなんだかドキドキすることばっかりだなぁ…どうして突然都竹くんったら付いて来る気になったんだ?いつもは断固拒否して帰っちゃうのに。
「…斉木先輩は陸さんの家に頻繁に行くんですか?僕なんて数えるほどしかないのに…」
 …都竹くん、来たことあったっけ?まぁ、いいか。
「うちに、来たいの?来る?子供がいて煩いけど…」



「ねーねーりくちゃんっ、せいちゃんがね…」
「もうっ、拓ちゃんはいつも家に来ると陸にべったりなんだからぁ〜」
 …どうして今日に限って実紅ちゃんがいるんだろう?子連れで。
「ごめんね〜陸。」
 言いながら笑っている。
「…本当に子供が一杯いるんですね。保育園みたいですね。」
 都竹くんはまわりをきょろきょろしながら珍しそうにしていた。
 僕は買ったばかりのギターを防音室に放り込んで、寝室で着替えをしていた。
「ちょっと待っててね、今お茶入れ…」
と、叫びながら背後を振り返ると、
「ここで、零さんと一緒に寝るんですか?」
都竹くんが立っていた。
「おわっ、びっくりした。」
 都竹くんはニヤッと笑った。…僕の心臓、もつかな?
「うん、一緒に寝てるよ。」
「毎晩?」
「寝室だからね。」
「…貸してください。一晩でいいです。」
 都竹くんはまじめな顔で僕に訴えた。
「一回で、いいんです。」
「何…を?」
「一緒に、寝てみたいんです、零さんと…」
 あのぉ…それって…
「零くんはね、陸としかえっちしないんだよ。」
 聖がやってきてフォローのような墓穴のようなことを言ってくれた。とほほ…。
「え…えっちって…」
 途端に都竹くんは真っ赤な顔で否定した。
「ち、違いますっ。ぼ、僕は零さんの部屋で一緒に寝られたら幸せだなって…決して邪な気持ちでは…」
「一緒に寝たいって言われたら、誤解するよ誰だって。」
 僕は一応文句を言ってみた。
「零は…僕のだから駄目。」
 ささやかな抵抗。
「はい。」
 寂しそうに頷いた。
「陸さんみたいに、ギターが上手になりたかったんです。そうしたら零さんの隣に立てるかもしれないって。だけど斉木先輩もそう思っていたらしくて、斉木先輩が駄目なら、僕も駄目だなって思って…」
 都竹くんは本当に零のこと大好きなんだね。
「辰美は陸さんが大好きです。本当に寝ても覚めても陸さん、陸さんなんです。ギターの音はすっごいカッコいいとか、脚が長くてカッコいいとか、美人なのにステージでは笑わないとこがポリシーを貫いててカッコいいとか、本当にカッコいいところを一杯知っています。僕は…零さんが好きで憧れてて、だけど何処がカッコいいとか言えないんです。だって正視できないんです。」
「うん、分かる。僕も昔は零のこと、全然見られなかった。顔見るとドキドキするから病気かと思った。」
「えっ、違うの?ドキドキするのは病気じゃないの?」
 聖が本当にびっくりしたという表情で聞き返してきた。
「聖、誰かの顔を見るとドキドキするの?」
「うん、ドキドキして息が出来ないの。」
「誰?聖のドキドキの相手は?」
「教えられないよね、聖くん。」
 今度は都竹くんが助け舟を出した。
「えへへ。」
 …ちょっと待て。
 都竹くんの顔を、見る。
 小さく首を傾げて不思議そうに僕を、見る。
「零のこと、好き…なの?憧れじゃ…なくて?」
「あ…それは…」


 分からない…僕には分からない。
「零、わかる?」
 ふふんっと笑ったきり返事がない。
 ライブが終わって練習室に集まったメンバー・スタッフ一同は、隆弘くんの新しいお友達を紹介されて戸惑っていた。
 髪は真っ黒でベリーショートヘア。
 ブランドのロゴが入ったTシャツに黒のジャケット。
 ジーンズはブルーでストレート。
 顔は、綺麗だ。隆弘くん面食いだ。
 背は、高い。
 声は、低い。
 だけど…とっても中性的で男性なのか女性なのか分からないんだ。
「物書きをしています。だから人の交流が極端に少なくて。今度音楽関係の話を描きたいと思っていて、丁度ゴミ回収日に隆弘くんに会ったんです。ラッキーでした。」
 話し方も別に特徴があるわけではないので分からない。
 でも、聞けない。
「まさきさんはどんな字ですか?」
 僕がモジモジしている間に都竹くんが質問していた。
「馬に砂、喜ぶで馬砂喜です。父が昔、世田谷の馬事公苑で騎手養成過程を受けたんだけど背が高くて落ちたんだそうです。それくらい競馬が好きだったから僕にこんな名前をつけたらしいです。」
 僕!!
「馬砂喜さんは学生さん?ですか?」
「いえいえ、もう五年も前に女子大を卒業しました。」
 女子…大?
くくくくっ
 喉の奥で押し殺した笑い声がしていたが遂に
ぷっ
と、噴出した…のは馬砂喜さんだった。
「ごめんなさい、全部嘘です。」
 笑いながら謝っている。
「僕、劇団員なんです。俳優の卵ってやつですけど。今は女の子になりきっているんです、そういう役なんですよ。隆弘くんに初めて会った日も僕は朝からスカート穿いてゴミ出ししていました。」
 剛志くんがじっと隆弘くんの顔を見ていた。
「つまり…隆弘は女装の馬砂喜くんを女の子だと信じた…ということだな?」
 言葉にはしなかったけれど隆弘くんの唇が「そう」という形を作っていた。
「僕も実のところ男の子か女の子か悩んでいたんだよね。」
 僕は素直に感想を言っただけなのに、
「大丈夫です、陸さんは男装しているんですよね?」
だって!!腹立つ。
「陸さんはどこをどうとっても男です。あなたACTIVEのライブを見たこと無いんですか?今のライブ、見ていなかったんですか?あんなに…あんなにカッコよかったのに…失礼です!!」
と、かなり語気を荒くしていたけれど間に入ってくれたのは辰美くんだった。
「ACTIVEのメンバーはみんなカッコいいんですっ」
「はいはい、分かったから、もういいだろう?」
 興奮している辰美くんを連れて、都竹くんはステージの方へ行ってしまった。多分後片付けの手伝いをさせるんだろう。
「零、辰美に何言ったんだ?かなりヒートアップしてるじゃないか。逆効果だぞ。」
 剛志くんは辰美くんに関して零から何か聞いているみたいだ。後で問い質してみようっと。
 取り残されてきょとんとした表情の馬砂喜くんは素のままでいるとちゃんと男の子だ。
「ごめんね、バタバタしてて。打ち上げはここでやるから隆弘くんと一緒にちょっと待っててね。隆弘くん、後はよろしく。」
 僕は打ち上げの準備を手伝うためにスタッフの輪の中に入った。


「都竹が?」
 打ち上げ終了後、僕たちは珍しく二人で家路に着いた。都竹くんはへべれけ状態の辰美くんを背負って帰り、斉木くんは剛志くんに拉致られた。
 零はお酒を飲んでしまったので僕が車を運転中。
「うん。都竹くんは零が大好きなんだって。」
 昨夜は零がラジオに出演する日だったから朝まで帰ってこなかった。都竹くんはそれをすっかり忘れていてがっかりしていた。
 零のことが大好き…ってことは事実だけど、それは恋愛感情ではなく物凄く強い憧れだって言っていた。
 憧れと恋愛感情は似ているようだけどやっぱり違っているって遠くをぼんやり見つめながら呟いた。
 僕には幼馴染の彼女がいるんです、そう言うとポケットから彼女の写真を取り出した。笑顔の可愛い、優しそうな女の子だった。
 零さんみたいになりたかったから、高校生のときにバンドを組んでボーカルをやっていたけど、文化祭のステージで歌詞を忘れてしまってぼろぼろだった、自分は零さんのようにはなれないってその時に実感した、だけど少しでも憧れた世界に居たかったし、それが憧れの人の側だったらもっと楽しいだろうと、就職したらしい。彼女とは腐れ縁みたいだけどずっと大好きなんだそうだ。
 僕は自分が異性に恋焦がれたことがないので都竹くんの言うことが分からなかったけど、きっと僕の場合は憧れと恋が一緒だったんだろうな。
「そんなこと言ったら身内にしか感情が動かない僕はどうなる?」
 零が小さく、囁いた。
「辰美は陸にマジで惚れてるんだ。」
 ドキンとした。
「諦めさせようとしているんだけどな」
 今度は独り言のようだ。
「陸の粗探し、するところがないから駄目なんだよ、なんか欠点作ってくれない?」
 零が笑った。僕も笑った。
 だって、僕は欠点だらけだもん。
 その時、僕の心にふと不安がよぎった。
「ねぇ零、どうして辰美くんが僕のこと好きだって思ったの?」
「剛志に言われて気付いた。辰美の言動がいつも陸のことばっかりなんだ。だけどあいつ、今日の馬砂喜くんと一緒で陸のこと女の子として見ているんだよな、それが厄介なんだよ。」
 都竹くんもいつだって零のこと引き合いに出したり、この間だってあんな…零と一緒に寝てみたい…って言ってた。
「…零に憧れの人っている?」
「都竹の話?」
 零のテンションがスッと下がった気配がした。
「他の人のこと心配しなくていいって、いつも言っているだろ?」
「違うんだ。零は憧れの人と一緒のベッドで寝てみたいって思うの?」
 憧れの人って、何だろう。
 ずっと自分はこんな人になりたい、この人に近づきたい、この人を追越したいって思えるような人だと思っていた。
 僕にとっての、パパのような人。だけど僕にとってはパパだから、他人ではない。
 全く別々の生活をしている人と、一緒のベッドで寝てみたいと思うほど憧れる気持ちって…なんだろう。
「憧れの人に、抱かれてみたい…って思ったことはあった。でもそれは僕だからじゃないかな?」
 え…?
「寂しかったから。自分に目を向けてもらうにはそれが一番手っ取り早かったから。でもそれは憧れではなかったのかもしれない。」
 零が俯いた。
「涼ちゃんに、抱きしめて欲しかった。」
 …びっくりした。そっか、そういうことか。
 交差点の信号機が見え、左折したらマンションが見えるところまで来たけれども、僕の中の不安はまだ消えてはいなかった。



 翌日。
「陸さん、知ってました?都竹って夾さんと同級生だったんですよ。」
 え?
「夾ちゃんと?」
「昨日、剛志…さんから聞いたのですけど、俺らの後輩だったらしいって言ってたので今朝聞いたんです。そうしたら夾さんとクラスメートだったって白状しました。」
 僕の中で今度は何かがピンとくる音がした。
「ねえ、斉木くんは憧れの人と一緒に寝てみたいって思う?」
「ええっ!!絶対にありません。陸さんにそんなこと、思ったことありません!!」
 そうでなくて。
「でも…好きな人に関心を持って欲しくてそんなことを言ってしまうことがあるかもしれません。」
 ああ、やっぱりそうかもしれない。
「そうだよね、絶対にそうだよね?」
「多分…」
 そうかそうか。
 都竹くんをまたうちに呼んであげよう、きっと喜ぶよね。



 僕はちょっとだけ、勘違いをしていたことに後々気付くことになる。
 でもそれは夏のツアーが終わって、零の誕生日を迎えるまで、ちょっとだけ小休止…。