最後の恋
 初ちゃんがずっと夢に見ていた、ドームツアー。
 今年は夏に他のアーティストたちを押しのけて、遂に敢行することとなった。
 僕らの思いの中に、僕たちを応援してくれる皆全員に、僕たちの生の音楽を聴いて欲しいという願いがある。
 だけどそれは本当に難しくて、いつもどうやっていったら叶うのか、試行錯誤していた。
 パパが僕らのために用意してくれたライブホール『SEcanDs』で定期的にライブをやっても、やっぱり「定連さん」という特定の人たちが毎回来てくれる。
 それはそれで勿論嬉しいんだけれども、無理におこづかいを遣り繰りしているのではないか、勉強を二の次にしてバイトしているのではないか、親に頼んでチケットを買ってもらっているのではないか…などと考えてしまう。
 会場費、設備費、人件費その他掛かる経費を差し引いて設定できるギリギリのところでチケット代を設定すると、他のアーティストに迷惑をかけてしまうんだそうだ。
 一体、どうやったら僕らの気持ちは還元できるんだろう。
「5周年記念ってことで無料招待をしようか。」
 林さんが企画会議の席でぽつりと言った。
「ACTIVEデビュー5周年…って気付いていなかったのかい、誰も。」
 一斉に首を縦に振った。零との記念日は何でも覚えているのに、どうしてこんな大事な事を忘れていたのだろう。
「初が作ったホームページで募集しよう。それから雑誌とテレビでCMを流す。一部葉書での応募も受け付けよう。」
と、次々と案を出してきたということは、林さんは随分前から考えていたんだろうな。
 その企画会議から半年後の今夏にドームツアーが決定した。一年前から林さんは準備していたんだと斉木くんから聞いた。
 本当に、僕たちはいいスタッフに囲まれていると思う。



「え、柾って字なの?じゃあ、馬砂喜は芸名?」
『SEcanDs』でリハーサル中、馬砂喜くんが遊びに来た。
「うん。昔、ホクトベガっていう馬がいたんだ。牝馬だったんだけどドバイまで行ったんだ。だけどレース中に事故にあってそのまま異国の地で天国に逝ってしまった。僕ホクトベガが好きだったんだ。だから馬はホクトベガのことで砂はダートの女王だったから、喜は彼女が天国で幸せになっていてくれれば良いなっていう僕の希望。僕がこんなに競馬好きなのは、父の影響なんだ。父が騎手になりたかったって話は本当なんだ。でも僕を見ても分かるだろう?うちの家系は背が高いんだ。それであっけなく夢は散ってしまった。僕も騎手にさせたかったらしいけど駄目だったね。身長制限は無いけどさ、体重制限が守れる自信が無いんだ。50キロ前後にキープするなんて絶対に無理。」
「そっか…僕はできるかも。」
 運動神経ないから無理だけど…という部分は心の中で呟いた。
「マジで?体重そんなに少ないんだ。いいな、ジョッキーになりたかったな。僕さ、時代劇の出来る俳優になりたいんだ。馬に乗って演技してみたいんだ。ジョッキーの役もいいな。だから乗馬を習っているんだけど、なかなか上達しないんだ。馬との相性が悪いのかな。そうそう、昨日教えてもらったコードなんだけどさ、指がつっちゃうんだよね。どうしたら押さえられるかな?」
 馬砂喜くん、今度はギタリストの役だそうで、一週間前から僕の横にずっと座っている。この役のギタリストはおしゃべりでお調子者だけどギターテクニックは超一流…というなんとも僕にとっては厄介な役だった。
「陸は難なくギター弾いているのにな、なんだか悔しいよ。」
 常にポジティブな馬砂喜くんバージョン。一体、彼の素顔はどんなんだろう?
 …っていつ芝居の稽古するんだろ?
「陸の父親って俳優なんだってな…って陸の苗字、野原だったよな?まさか野原裕二?」
「そうだよ。前に新聞に出てただろ?」
「マジ?やったじゃん。なーなー、今度紹介してよ。」
 うーん…どうしよう…。
「一応、話してはおくけど…期待しないで欲しい。仕事に関してはうちの父は結構うるさいから。」
 僕は目の端で隆弘くんを探した。運悪くずっと遠くにいる。
 今、僕たちはライブツアーの最終調整に入っている。こんなにずっと張り付かれているのははっきり言って迷惑なんだけど…言えないんだよねぇ。
「陸って前にドラマ出てたよね、あれって父親の…」
「パパは関係ないから。今の事務所の考えなんだから仕方ないだろう。」
 親の七光りって言われるの、嫌なんだよね。前に零も同じことを言っていた。
 僕はパパとは違う道を歩いているんだから。同じ芸能界でも違うんだから…。
「ごめん、陸のこと誤解してた。女の子みたいだから自分の意思ではなくてなんでも誰かに決めてもらっているんだと思っていた。やっぱり男の子だったんだ。」
 うー…。
「さっきのコードの件だけど、上から順に押さえようとするから無理が出て来るんだ。自分のやりやすいようにやればいい。」
 僕は遂に堪忍袋の尾が切れた…と言う割には冷静に対処したと思う。
「じゃあ、そろそろ僕も皆と一緒に音合わせしなきゃいけないから。」
 遠まわしに帰れと言ったんだけど。
「分かった。じゃあ待ってる。」
「部外者、禁止です。」
「僕、隆弘の関係者だから。」
 ニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
「企業秘密って言葉、知ってる?特に同業者には情報を流さないようにしている。今の馬砂喜くんは役の上とはいえライバルだから。教えるわけにはいかない。」
 僕はギリギリまで理性を保って対処していたのに。
「この顔だ、ファンの女の子がキャーキャー言っているのは。確かに綺麗だもんな。」
って…なんなんだよ。
「いい加減にして下さい。」
 口を開きかけた時、背後から都竹くんが告げに来た。
「営業妨害です。陸さんは感情がすぐ音に出るんです。だから精神統一が大事なのにそんな感情を高ぶらせるようなことを言わないでください。」
 …ずっと聞いていたの?だったらもっと早く助けてくれればいいのに…ってこれは逆恨みだね、ごめん。
「関係者というのはスタッフまたは近親者の限られた人を指しています。あなたの仕事に掛ける情熱は買いますが邪魔はしないでください。今は初のドームツアーに向けて皆必死なんです。あなたが一生懸命なのはわかります、ACTIVEのメンバーが夢を追いかけているのと一緒ですから。だけど相手の陣地で自分の相撲を取らないでください。」
 う…わぁ〜、都竹くんそんな立て板に水なセリフがすらすらと良く出てくるな。
「分かっているけどさ、隆弘が良いって言うんだもん。陸だったら僕の役作りに強力を惜しまないはずだから色々相談に乗ってくれるよって。陸は優しくて思いやりのある好青年だって言ってて…痛いっ」
「だーれがそんなこと言った?」
 都竹くんが怒鳴ったのを聞きつけて、隆弘くんがステージの端から飛んできていた。
「来てもいいけど邪魔はするなと言っただろうが。全く、聖ちゃんの方がずっと聞き分けがいいよな。」
 隆弘くんは馬砂喜くんと友達になってから以前より明るくなったと思う。前はいつでも悲観的だったのに、最近は喜怒哀楽をちゃんと表現するようになった。
「陸は怒ったときには感情がストレートに出るけど、喜んでいるときは出ないんだよ。だから怒らせちゃ、駄目なわけ。」
「ええっ、隆弘くん、それって…マジ?」
 僕って…最低…。
「相変わらず、仲良しなんだなぁ、ACTIVEは。」
 突然、僕らの前に現れたのは伊那田和海、カズくんだった。
 カズくんは超人気アイドルグループのDisのメンバー。前にさえが担当していたテレビ番組の中で、ギター教室を一緒にやっていた仲間だ。
 今はコーナー自体が終了したので、殆ど会う機会が無かったけど、時々メールのやり取りをしている。
「ACTIVEのドームツアー、東京でのサプライズゲストに呼ばれたんだ。って聞いてなかった?」
 僕は声も出せずに頷く。
「なんだ、都竹くんからオファーがあったからてっきり陸からかと思っていたのにな。」
「ううん、全然知らなかった。久しぶりだね〜」
 僕の顔が自然と緩むのが分かる。僕は人見知りするからまだ馬砂喜くんとはちょっとコミュニケーションが取りづらい。
 カズくんとは偶然だけど一緒に遊びに行ったし、色々相談に乗ってもらったり、勝手に乗ってあげたりしているので気心が知れているからついつい気持ちがカズくんに傾いてしまう。
「彼が畑田くんの恋人?」
 カズくんが耳元でそっと聞いてきた。相変わらず好奇心は旺盛だ。
「うーん…どうなんだろう?」
「畑田くんは好意を持っているのは分かるんだけど、彼は…」
 カズくんの視線が僕の上で止まった。
「違うと思うよ。彼、俳優さんなんだ。」
「なんだ。陸のとこの事務所に入れてもらおうっていう魂胆か…だから畑田くんに近寄ったんだな。」
 僕もそんな風に思っていたのは事実だ。
「暫く様子を見たほうがいいと思う。」
「うん」
 …しかし。カズくんは最初の頃すっごく僕に気を遣って話していたのに今は十年来の友達みたいだ。又零がどこかでイライラしているかな?ちょっと…嬉しいけどね。




「伊那田くんの件は僕が林さんに話した。」
 リハーサルが終わってマンションに戻ってきたら、零がそんなことを突然言ってきた。
「そうなんだ。」
 僕はあまり興味がない。
「…隆弘に文句言った。どうせならベーシストの役をやれって…」
 やっぱり。
「零の心配症…。有難う。」
 確かに、最近ずっと馬砂喜くんがべったりだったから現場では元気にしていたけど精神的にへとへとだったんだよね。
「嫌なことは嫌だって言えばいいのに。」
「うん。だけど馬砂喜くんのことを隆弘くんがどう思っているかが問題なんだよね。」
「あいつは隆弘の友人。それでいいの。」
 零の左手が伸びてきて僕の腰を引き寄せ、お尻を撫で回している。
「家に帰ってきたら、僕のことだけ見ていなさい。」
「うん」
 そうだね、折角零が気を遣ってくれてカズくんを呼んでくれたんだから、僕たちの家の中では仕事場でのことは忘れよう。
 …と思っている間に、僕は下着まで足元にたぐまっていた。
「零…ったら…」
 嬉しそうに僕のペニスを頬張っている。
「あ…んっ…」
 本当に、何にも考えられなくなってしまった…。
 そのまま零にベッドに強制連行され、僕たちはしばし至福の時間を楽しんだ。



「おはようございます」
 今日はライブの最終リハーサル。現場に足を踏み入れた瞬間からドキドキしていた。
「おはよう、ごめんな、陸。今日は馬砂喜来ないから。あっちも今日から稽古に入るらしい。」
 内心、物凄くホッとしたものの、隆弘くんの次の言葉を聞いて思わず叫び声を出しそうになった。
「昨日、馬砂喜と寝た。」
 あ…やっぱり、隆弘くんは馬砂喜くんのこと…
「陸にべたべたしていたのは僕にヤキモチ妬かせたかったからって白状した。」
 え?
「あの…馬砂喜くんの方が隆弘くんに好きって言ったの?」
 無言で頷いた。
 僕としてはちょっと意外だった。
「まだ、零たちには言わないでおいてくれるかな?ツアーが終わるまで。」
「うん、分かった。」
 皆に言えないのは心苦しいけど、隆弘くんが幸せならそれでいいや。
 ACTIVEの皆が、それぞれ幸せへの道をちゃんと見つけることができて、自分たちで歩き出せるって素敵だなって、僕はこのとき本当に思った。
 だから、僕も零との幸せをもっともっと実感できるように更なるステップアップをしたいと、願った。