深夜。
ブブブッ
と小さくモーターのような音が聞こえた。
眠い目をこすりながら手探りで音源を探し当てるとそれは零の携帯電話だった。
小さな表示には
〔夾〕
とある。
零の起きる気配はない。
少し悩んで僕は電話に出ることにした。こんな時間に夾ちゃんが電話してくるのにはわけがあるのだろう…。
『もしもし』
「ごめんね、零が起きないから僕が代わりに出たんだけど…今起こすから」
『ん、ならいますぐうちに来るように言ってくれる?陸ちゃんには悪いけど一人で。』
それだけ言うと切れた。
ママに何かあったのだろうか?でもそれなら聖も、僕にも何か言ってくれるはず。
「零、起きて…」
身体を揺する。
零は両腕を伸ばして僕を抱き寄せる。
「また欲情した?」
「違…っ、夾ちゃんがいますぐうちに来て欲しいって零の携帯に電話があったんだ」
零は僕を抱き締めたまま首を傾げた。
「夾が?」
しばらく考えていたけどベッドから降りると「寝てて」と言い置いて着替を済ませてすぐに出掛けて行った。
帰って来たのは外が明るくなってからだった。
「陸…暫く聖と二人でここに居て欲しいんだ…陸と付き合う前に関係を持ったことがある子がさ、僕の子供とか言って幼稚園に通っている女の子をあっちに置いて行ったんだ。」
「零が育てるの?無理だから、止めた方がいい。」
言いながら自分が情けなくなった。
聖を引き取りたいと言った時皆に反対されたけど無理を通したのは自分だ。
「家に、連れて来てよ…」
でも、僕にその子を愛する振りをしろと言われても、無理だ。
零はとりあえずと言って実家に帰って行った。
暫くしてママが聖も居た方が良いとか言って連れて行った。
僕は、取り残された。
零がいなくなって一週間、聖がいなくなって三日経った。
仕事もない日。
なんで零が帰って来ないのか納得いかないまま、たった一人でこのマンションのリビングに一人きりでぼーっと座っていた。
こんなときに限って、零は取材やらCM撮りやらが入っていて、僕と現場が一緒にならない。丸々一週間本当に会っていないのだ。
いつもは、誰かがいて僕のそばで笑っていてくれた。
僕の、家族。
零が今預かっている子が零の子じゃないのは、疑っていない、本当に。
疑ってはいないけれど、零が過去に身体の関係を持ったというリアルな現実を突きつけられ、嫉妬という醜い感情が零れ落ちていた。
寂しい。
何もやる気が無くて、頭もボーっとしていて…念のため熱を測ってみたらほんの少しだけ、いつもより高かったのだけれどもこんなのは病気のうちには入らないくらいの37度2分。
ピンポーン
そんな時玄関のチャイムが鳴った。
零が聖を連れて帰ってきたのだと思ったからドアを開けて飛び付いていた。
「おかえり」
「ども」
「うわっ、夾ちゃん」
二人ではなく夾ちゃんがそこにいた。
「ごめんね、期待を裏切って。」
ドアを閉めながら夾ちゃんはいつも通り優しく微笑む。
「零ちゃんが帰らないのは僕のせいだよ。」
あれ?夾ちゃんいつから零のこと名前で呼んでいたんだろう?前は兄ちゃんだった気がする。
「上がって良いよね?」
言うと靴を脱いでさっさとリビングに移動した。
僕は一人が寂しかったから急いであとを追った。
「今日は休みだって零ちゃんが言ってたからてっきり家に来るかと思ったよ。」
あ!その手があった。
「でも僕には丁度都合が良かったんだ。この間、都竹くんがいたから話を合わせたんだけど陸ちゃんだけにはちゃんと事実を伝えておこうと思ったんだ。」
冷蔵庫からグレープジュースを取り出し、コップに注ぐ。
「えっと…あやちゃんのこと?」
「そーそー。あれ違うから。」
手盆で勘弁してもらってグラスをテーブルに置き、隣に座った。
「違うって?」
突然、背中を叩かれた。
と思ったら夾ちゃんに力一杯抱き寄せられていたのだ。
「脳神経がいかれているのかとマジメに疑った…愛してる。」
え?
「僕からママを奪っていったのは陸ちゃんだと信じていた。だから恨んでいるんだと思った。」
夾…ちゃん?
「好きなんだ、君が。」
ええっ!
「ちょ…待って…」
「待たない、陸ちゃんが頭の中で整理しちゃったら僕なんか相手にしてくれないだろ?陸ちゃんが言ったんだよ、恋は理屈じゃなく突然降って来るんだってね…。」
好き?僕を?
「だって夾ちゃん、今までそんなこと全然言わなかったし、おくびにもださなかったじゃないか。」
あまりにも驚き過ぎて頭の中は完全にパニックになっていた。
「陸ちゃんが、零ちゃんのこと好きだったのは子供のときから気付いていた。零ちゃんが気付かないのが変なくらい陸ちゃんはいつだって零ちゃんばっかり追いかけていた。そんな陸ちゃんを必死に見ていたのは実紅ちゃんだったよね…って陸ちゃんは気付いていなかったんだっけ?いつも実紅ちゃんはがっかりして帰って来るんだ、陸ちゃんを零ちゃんに取られたってね。その頃の僕はママも元気だったし、パパも仕事をしに外に出ていたからそれで幸せだなって思っていたから別に誰かを一方的に想ったりすることは無かった。…ねぇ、知ってる?人が恋をするときは心が寂しいときなんだよ。幸せだなぁ、満ち足りているなぁって思っている時は、恋することは無いんだよね。あ、別にこれは大学の受け売りじゃなくて僕の研究結果…ってまだまだ途中だけどね。」
僕は夾ちゃんの腕に抱き込められたまま、夾ちゃんが耳元でそっと話してくれることをじっと聞いていた。
「僕が陸ちゃんを意識していることに気付いたのは、ママが帰ってきたときだった。」
ママが帰ってきたとき…それはママが夢の中を彷徨っていた時のことだよね?
「ママの病気を治すのは僕だって意気込んで大学に入ったのに、案外すんなりとママは治って帰ってきた。これはね、僕の研究に関係しているんだけど、やっぱりパパの愛の力だって思うんだ。ママは陸ちゃんのパパ…裕二さんのこともちゃんと好きだった。だけどやっぱりパパを一番心の底から望んでいたんだ。だからパパがずっとそばで支えてくれていることを実感できたから帰って来たんだ。人間の脳って不思議だよね。」
「え?心って脳にあるの?」
「今の医学ではそう考えられているんだけど、一概にそうとも言い切れないところがあるみたいだね。それは科学の世界になるみたいだから、僕たちの守備範囲じゃないんだ、残念ながら。」
夾ちゃんの長い指が、僕の髪を梳く。なんだか夢心地でふわふわした感じだ。
「ねぇ、続きはベッドの中で…だめ?」
耳元で囁かれると、零の声にそっくりなんだ。
だから僕は上の空になってしまって、頷いてしまっていた。
「んふ…んっ」
キスはとっても優しかった。優しくて情熱的で、とっても長い時間を掛けて僕を溶かしていく。僕は頭の中が痺れてきて、何も考えられなくなっていた。
「陸ちゃんが、ママの前で泣いている姿を見て、恋に落ちた。なんて綺麗で純粋なんだろうって…」
さっきからずっと僕の耳元で囁きかける。
ふっと耳を掠める息に、僕の身体は反応する。
「んっ、あぁ…」
長い指が僕の屹立したペニスに絡まる。
「ん…っ」
更に頭の中はジンジンと痺れていった。
コトリ
と音がして、再び指がペニスに絡められたとき、ちょっとひんやりとした。だけどそれがとっても気持ち良くて硬度を増していった。ゆっくりと上下に動く掌。
「あっあっ…いやんっ、だめ…んっ…んんっ…」
僕は息を詰める。
先端から零れ落ちる蜜を指で掬われた。
そしてアナルにゆっくりと挿入された指。
ちょっと節くれ立っているその指が中を掻き回している。
「んっんっ…」
声が止め処なく出てしまう。
「いい子だからちょっとだけ、我慢してね。」
指が二本になって激しく掻き回される。
「やんっ、いいっ、気持ち良いよぉ」
あぁ…もっと欲しい、もっと痛いくらいの刺激が欲しい。
けど僕の視界は何故だかぼんやりしていて、はっきりとした画像を捉えられずにいた。
そのうちに僕のペニスが生温かくて柔らかい物で包まれた。
「ああんっ、いやぁー、すごっ、凄いよぉ…」
ぼんやりと、思った。
零がいなくなってから、自分で触ることもしなかった。そんな気分にさえならなかった。
僕が、一週間もの禁欲に耐えられるなんて、仕事でぐったりと疲れているときくらいだ。
「もう、我慢できないんだ…」
もっと、強く抱きしめて、僕の中を一杯に満たして。
熱くて硬い物が、入り口に触れた、火傷しそうなくらい、熱い塊。
ぐっ…と押し込んだけれど力の加減が分からないのか押し戻された。
「もっと、一気に…」
背中から肩に回された腕に力がこもる。
熱い塊は先端を僕の中にめり込ませるとそのまま最奥までずるり…と飲み込まれた。
「あぁ…」
身体が裂けるような感覚。
体中の関節が鈍く痛む。
ぼんやりとしたままの僕の視界には宙に浮いている僕の脚が…見えた。
「あん、あん、あん…」
僕は喘いでいた。それは、覚えている。
だけどその先が…思い出せない。
「あっ、目が覚めた。」
目を開けると焦点の定まった視界が広がった。
「聖?」
僕の顔を心配そうに見詰めている聖がそこにはいた。
「大丈夫?夾ちゃんが見つけてくれなかったら、陸は肺炎で入院していたかもしれなかったんだって。」
肺炎?
零が水枕を手に寝室へやってきた。
「半日、寝ていたんだからな。」
よっこいしょ、と掛け声を掛けて僕の頭の下にそれを置いた。
「気持ち良い…」
気持ち…良い…?なんかこの言葉に引っ掛かる。
「陸ってウサギみたいだね〜、寂しいと死んじゃうかもしれないよ、大変だよ。」
「ウサギは寂しくても死なないから。」
零が聖に返すと信じられないという顔で零を見返した。
「今度、夾にお礼を言っておくよ、あいつが居間に倒れていた陸を見つけて医者に見せてくれたんだ。僕達が帰ってくるまでずっと着いててくれたらしいしね。」
居間で、倒れて?
ううん、僕はちゃんと覚えている。
二人も、みかんもいなくて寂しいな…って、テレビ見ていて、夾ちゃんが来て…好きだって言われたんだよ。
で、僕は…そう、夾ちゃんとセックスしたんだ。あれは夾ちゃんだ。
でも、何で夾ちゃんと?僕どうして…。
ううん、そんなこと考えている場合じゃない、零に…なんて言うんだ?夾ちゃんとセックスしましたって?
言えるわけ無いじゃないか。夾ちゃんは零の弟だよ?でも…僕だって零の弟だ…どうしよう、どうしたらいいんだろう。
「陸ってばまたパジャマ着ないで寝たんでしょ?だから風邪引くんだよ。」
聖が耳元で小姑のような台詞を吐いている。
「あの…女の子はどうしたの?」
僕は、心の隅のほうで悪魔のような思いを抱いていた。
「あぁ、あれね。高校の後輩でさ、ちょっと付き合っていたことがあったんだ、三股くらいで。その時何回かしたんだよね、その…」
聖の方をちらりと見る。
「うん…」
僕は先を促す。
「それでその時の子供だって言うんだけど絶対に子供の年齢が合わないんだ。で、名簿とか調べて、住所探し出してさ、行ってみたら嫁に行きましたって言われたんだよ。相手は高校のときの僕の同級生。そいつが喧嘩すると僕のことを持ち出すから腹が立って僕の子だって言い張ってそれなら僕に返すのが筋だって言って連れてきたらしい。くだらない夫婦喧嘩の巻き添えだよ。」
ふぅ…
僕は知らぬ間にため息を着いていた。
「ごめん、心配してくれたんだ。大丈夫だって言っただろ?」
「うん…安心したら眠くなっちゃった。もう少し寝るね。」
「そうだな。早く元気になってくれなきゃ…」
―もう我慢の限界―
耳元でそう囁かれた。
身体が、ぴくりと反応した。
「陸も同じらしい。」
柔らかく微笑むと、二人は部屋を後にした。
涙が、零れた。でも声を出すことが出来なかった。
僕は、零を裏切ってしまった。
夢であったらどんなにいいだろう…これが夢でありますように。何度も何度も願った。
携帯電話が鳴った。僕の電話だ。
手を伸ばして充電器から外す。通話ボタンを押して耳に当てた。
『夾だけど。具合どう?』
びくっ
身体が、反応した。
―この、声だ…―
『陸ちゃん?あぁ、電話番号?陸ちゃんが気を失った後陸ちゃんの電話から僕の電話に掛けてみた。…陸ちゃんは体温が高いのかと思ったよ、抱き合ったときとっても熱かったから。具合が悪かったのなら無理はさせなかったのに…って医学部の人間が言うことじゃないか。』
小さく、笑った。
「夾ちゃん…あの…」
『無かったことには出来ないよ。折を見て零ちゃんに話す。それで、僕を選ぶか零ちゃんを選ぶか、決めて欲しい。』
電話は、一方的に切られた。
涙が次から次へとあふれては零れる。
「ごめんね、夾ちゃん…」
例え世界に大異変があったとしても、やっぱり僕が選ぶのは零であって夾ちゃんではない。それが分かっているのにどうしてこんなこと、してしまったんだろう。
なのに、頭の隅のほうで、僕の身体は誰にでも反応するんだなぁ…と、ぼんやり考えていた。 |