兄、弟
 泣いていたのを悟られないように、枕に顔を押し付けて寝た振りをした。
 零が隣に身体を滑り込ませ、ほんの少しだけ躊躇して、僕の背中に「おやすみ」と囁き眠りに落ちていった。
 それを確認して僕はベッドから抜け出し、キッチン側のバルコニーの手摺に身体を預け夜空を見上げた。
 東京の空には星が数えられるくらいしか見ることができない。いつか、零と二人で行った伊豆の別荘からは降るような星の瞬きを見ることが出来たのに。
 零に抱かれながら、手の届きそうなほど近くに見られる星をつかまえられたらと願った。あの星はきっと零だったんだ。隣にいるのに決してつかまえておくことの出来ない、星。
 こんなに罪悪感を抱くなら夾ちゃんとセックスなんかしなければよかったのにと、自分を戒める。
 ずっとずっと、零以外の人とも合意の上でセックスしたら、どんな感じなんだろうって興味を持っていた。
 どうしてこんな興味を持ったのか分からないけれども、そんな気持ちを抱くのは零のこと本当は愛していないのかも知れないという疑問もあった。
 誰でも良かったわけじゃない。僕のこと好きだって言ってくれて僕も身を委ねる事の出来る人…って漠然と思っていた。
 多分、隆弘くんじゃないかなって感じていたんだけれども、いつも隆弘くんには誰かしらそばにいた。僕のこと好きだって言ってくれる割には肝心なときになると突き放すんだ。
 でも…どうして夾ちゃんだったんだろう…。
「夾が、かなり前から陸に興味を持っているのは薄々気付いていたんだ。忘れていた僕が悪い。…何か、あったのか?」
 いつの間にかベッドから零が起きて来て、背中から抱き締められた。
 頭を左右に何度も振り続けた。
 零に嘘をつき続けても夾ちゃんは話をつけるって電話で言っていた。
「不安…だった。」
「何が?」
 あの時と同じ。夾ちゃんもこうして僕の耳元で囁いた。身体の奥から変にくすぐったい感じがした。
「震えてる…寒いのか?だったら…」
「僕、夾ちゃんに抱かれた。」
 このまま、零の腕が僕の首を絞めてくれたらどんなに楽だろうと思っていた。なのに零はただ優しく抱きしめていてくれた。
「そんな、気がした。洗濯機の中にさ、シーツと枕カバーが入っていたんだ。洗って乾燥がかけてあった。あれは夾だろう?陸が倒れたから替えたって言うのは辻褄が合わないって問い詰めようと思っていたんだ。」
 零は気付いていたんだ。
「僕は陸を責められない。だって…愛しているんだ。夾を問い詰めようとは思ったものの身体の関係を持ちましたなんて言われたらどうしようと逡巡していた。僕にとって夾は弟なんだ。言っておくけど僕は陸を弟だ何て思ったことは一度も無い。ずっと君は僕の恋愛対象だ。その陸を一度手に入れてしまったら、もう放すことなんて出来ない。陸が僕のことを嫌いになって夾が良いと言うのなら…」
 零の腕が僕の身体を抱き上げた。
「ここから二人で飛び降りる。誰にも渡さない。」
 僕は零の腕の中で俯いて泣くことしか出来なかった。
「泣かなくて良いから、腕を首に回してよ、流石に重いな。落としそうだ。」
 躊躇いながら腕を回す。
 零の唇が僕のそれに重なる。だけど僕は受け止めることが出来ずに再び俯いた。
「だから、気にしなくて良い。僕だって…陸と一緒に暮らし始めてからも剛志と何回か寝たから。」
 え?
「ラジオで一緒になった日だよ。林さんも帰っちゃって二人っきりになったら口説かれた。一回くらい良いかなってその一回が何回かになっていた。」
「ずる…い」
 僕は泣きながら上目遣いに零を見た。
「やっとこっち見た。愛してる。僕がずるい人間だって陸は百も承知だと思っていた。嫌なことからは直ぐに逃げる、良いことだけやっていようっていつも思っている。陸は僕のもの、だけど僕は勝手なことやっている…たまに陸が羽目を外すと心の広いようなこと言っているけど本当は今すぐ押し倒して僕の方が夾よりずっと良いってこと、身体で知らしめてやりたいって思っている。抱きたい、陸を抱きたい…一晩中泣かせてこんな思いをするなら二度と他の人間に身体を許したくないと思わせたい。」
 再び、零の唇が下りてきた。躊躇いながらも僕は受け止めた。唇はゆっくりと移動して、耳朶を甘噛みした。
「陸が浮気したって僕は放さない。僕には陸が必要なんだ。」
 耳元で、囁く。
 そうだ、零は僕を口説くとき、いつもこうして耳元で吐息を吹きかけるように囁きかける。
 夾ちゃんもそうだった。
「分かったなら今夜は寝かせない。夾の匂いを消し去って僕の匂いを陸に覚えこませなきゃ、また夾にほだされるかも知れないからね。とりあえずシャワーを浴びて身体を温めようね?」
 僕は黙って頷いた。



「自分で出来るから…」
「だーめ、今日は全部僕がするから。」
 そう言って零は僕のパジャマのボタンを外し始めた。
「少し恥ずかしい思いをしなさい。」
 ストンと、肩からパジャマの上着が落ちた。
 零の指先が僕の胸の突起を捕らえる。
「やらしいな、こんなに勃ってる。」
 指で弾く様に弄ばれている。だけど僕は羞恥心で声が出せない。
 散々指先でいたずらした後今度は舌で優しく舐め始めた。さっきまでの痛みが快感に変わっていく。
「んっ…」
「感じるんだ…やらしいな、陸は。」
 もう一つの突起部を指先で弄んでいたと思ったら又舌でチロチロと舐め上げる。その間にパジャマのズボンが落とされた。
「下着の上からも硬くなっているのが分かるんだけど…」
 そう言われて始めて気付いた。下半身は異常に熱を持っていた。
「あいつ、医者呼んでないな。自分で勝手に病状語ったな。陸は淫乱だから直ぐに身体が反応して熱を持つんだよ、陸知っていた?」
 小さく首を左右に一回だけ振った。
「だけど…朝からだるくて何もする気が起きなかったし、熱も微熱だけどあったし…」
「だから言っただろ?陸は淫乱だから。僕が抱いてあげないと熱を発散するときが無いんだよ…って別にそんなのは根拠も何もないけどさ、多分そうだよ。」
 でも思い当たる節があった。
 夏にコンサートツアーに何箇所も回っていた頃、一週間くらいで熱を出して倒れたんだった。解熱剤が効いてリハーサルには支障が無かったんだっけ。てっきり軽い熱中症だと思っていた。
「あっ」
 危なく大声を出すところだった。聖が起きてきたら言い訳が出来ない。
 それでも零の手は容赦なく僕を攻め立てる。ゆっくりゆっくり熱を帯びてくる。
「シャワー、浴びようね。」
 突然、手が離れて浴室に誘われた。
 僕一人だけ素っ裸のままペニスは欲望に蜜を垂らして天井を見上げていた。
「いやだ…」
「少しは罰を与えないと陸が困るだろう?…心配はしていたんだ、陸は触れたら直ぐに反応するから。耳から首筋に掛けてが性感帯だしね。」
 顔が火照った。
 だから僕は耳が弱いんだ。
「夾、さっきの僕みたいに耳元で囁いただろ?『君が好きなんだ』とかって。いつ気付かれたのかな?」
 スポンジでボディーソープを泡立てながら自問自答している。
 石鹸の泡を手ですくって僕の身体に塗り始めた。肌の上をなでる様に滑っていくのでくすぐったい。
 僕は思わず身を捩った。
「我慢しなさい」
 僕はちょっとだけ前のことを思い出した。
 まだ聖が幼稚園に通っていた頃。
 深夜に仕事から帰ってきて二人でお風呂に入りながらこんな風にじゃれ合って洗いっこしたことがあった。最近は一緒に風呂に入ることも少なくなっていたし、義務のように毎晩セックスしていた気がする。
「陸…僕のこと好き?」
「うん」
「うんじゃなくて…ちゃんと言葉にして。」
「好き」
「愛してる?」
「愛してる。」
 零のこと、愛してる。偽りは無い。
 突然、感情が昂って涙が溢れてきた。
「だって…零…聖と行ったきり帰ってこなくて…僕…このまま捨てられちゃうのかなって…零の子供だって…その、女の人と一緒に…行っちゃうのかなって…不安で…でもそんなこと言ったら…零を困らせるって…仕事も全然一緒にならないし…都竹くんも…忙しいって言うし…夾ちゃん来てくれて、安心して…」
「分かった、分かったから泣かなくて良いから。ごめん、陸を不安にした僕が悪かったから。」
 泡だらけの僕をパジャマを着たままの零が抱きしめる。僕は零の背中に腕を回して思い切り抱きついた。
 胸の内に沸いてきた負の感情をなかなか消し去ることが出来ずに僕はただ泣きじゃくった。
 零は黙って僕の背中を擦ってくれていた…んだけど。
「あ…」
 するり…と、零の指が後ろの窄みに侵入した。
「そんなに可愛い反応するから、我慢が出来ないじゃないか。」
 指がゆるゆると抜き差しされる。動きに合わせて僕の腰が揺れ始めていた。
「そっかそっか。」
 言いながら零は指を二本、三本と増やしていった。
「あ…あぁ…」
 ぬぷん
 指が抜かれた。
 零はパジャマのズボンを少しだけずらして猛々しく天を突いているペニスを僕の窄みに押し当てた。
「いやんっ、痛いっ」
 石鹸でぬめりがあった指と違って零の欲望が溢れ出ただけでは不十分だった。
「ちぇっ、入らない…」
 名残惜しそうに零はペニスをパジャマに押し込み、手荒く僕にシャワーの湯を浴びせると、担ぎ上げるようにして浴室から連れ出した。
「零、濡れちゃう」
「どうせどろどろにするからいい。」
 かなり過激なこと言っているのに僕は納得していた。
 寝室のベッドに落とされると、オイルを手にした零が片手でパジャマを脱いでもどかしそうに自分のペニスにオイルを塗りつけ、僕をうつ伏せにひっくり返してオイルでべとべとになった指をアナルに突き入れた。
「あぁんっ」
 僕は寝室という安心感からか思い切り声を上げていた。
「ん…キツイッ」
 零は性急にペニスを挿れてきた。
「あっ…んっ」
 抽挿のリズムに合わせて腰が揺れる。
「はぁ…んんっ…いいよぉ…」
 零は息も荒く抽挿を繰り返す。
「あぁ…はぁっ…」
 駄目、こんな感じちゃ…。だって僕はつい数時間前に夾ちゃんとセックスしたのに…。同じ場所で零を受け入れるなんて、こんな、零を裏切った身体で愛してもらおうなんて間違っている。
「あはっ…んっ…」
 心とは裏腹に身体は歓喜の悲鳴を上げ、喘ぎに変える。
 ずるりと、零のペニスが僕の中から逃げ出した。
「お仕置き、しないとな。」
 うつ伏せに脚を大きく開いて腰を突き出した姿勢のまま放置された。
「昔、僕が使ったものだから安心していい。この間ちゃんと手入れもしたしね。」
 何?
 勃起して充血しきった僕のペニス。それが根元で冷たい金属で戒められた。
「ペニスリング。射精をさせない道具。」
 そんなもの、零は昔使っていたの?そのことに気を取られていて肝心の自分のことを忘れていた。
 くるりと姿勢を仰向けに変えさせられ、脚を抱え上げられた。
「自分で、脚を抱えてごらん。そしておねだりしてみなさい。」
「おね…だり?」
「入れてくださいって。」
「入れて…ください。」
「そんな涙目で言われたら入れないわけにはいかないな。」
 零は僕の上に覆いかぶさるとさっきより重量感を増した物を僕の中に突き入れた。
「あんっ」
 正常位で挿れられるとポイントをゴリゴリと擦られる様に抽挿が繰り返されるのであっという間に達ってしまうんだけど…。
「あ…あっあっ…いやあっ、痛い、リング…痛いよぉ…」
 根元に嵌め込まれたリングは血管を浮き立たせて蜜を垂らし、更に質量を増しているのに爆発することを戒めているのだ。
「今夜は寝かせない。達かせてやらない。」
「あぅっ…あっあっあっ…」
 僕はもう、ただ獣の様に感じるままあえぎ、身をよじって悶えた。
「陸は女の子みたいに中だけで感じるんだよな。」
「いやっ、いやっ…いいっ」
 僕は零の言うとおり、後ろだけで感じる。失神するほど感じてしまうんだ。
 ペニスはパンパンに膨れ上がっていた。
「壊れちゃうよぉ…」
 双眸から涙がとめどなく流れ落ちた。
「も、しない…から…ちゃんと、きょ…ちゃんにっ…あああああっ」
バチン
 激しい音を立ててリングが弾け飛んだ。
 途端に壊れた蛇口の様に僕の精液がとめどなく溢れ出した。
「淫乱…って言葉がこんなに似合う男は他にいないな。」
 ふいに投げつけられた、揶揄の言葉。
「あの時も…強姦されたときもよがった?夾に串刺しにされて喜んで泣いて喚いたの?…陸をこんなにしたのは…まさか裕二さんじゃないよね?」
バチンッ
 息が上がって酸欠の頭のまま、僕は思い切り零の頬をはたいた。
「パパは関係ないだろう!」
 フッと、自重気味に笑った。
「そうだよ、僕達には淫乱な母親の血がより濃く流れているんだ、夾も含めてね。」
 零?
「ごめんなさい…いけないのは全部僕なんだ。」
 だけど今はっきりと自覚した。後悔はしていない。夾ちゃんはいつも僕の味方をしてくれた。
 零の代わりだと言っても学年が違うのに飛んできてくれたり、帰りも待っていてくれたりした。
 夾ちゃんに何かしてあげたいと思うのはエゴだろうか?
「痛いだろ?」
 手にほどよく温めたタオルを持ちベッドサイドに立ち尽くす零。
「まさか壊れるなんて思わなかった。」
 優しく僕のペニスを拭いてくれたけど途端に激しい痛みが襲った。
「ごめん。」
 零は慌てて部屋を飛び出すと掛り付けの老医師に電話を掛けた。


「何をしたんだ?私は医師だ、聞く権利はあるだろう?」
 零は観念して白状した。
「ばかもんっ!同じ男のくせにそれがどんな悪影響を及ぼすかわからなかったのか?…最悪切断だぞ。」
 零はうなだれた。
「そうしたら性転換しようかな。」
 ぽつりと僕が言ったら先生に怒鳴り付けられた。
「ふたりとも反省しなさい!」
 僕の怪我はたいしたことはないらしいが、三日間は安静を強いられた。
「薬はこれだ。」
 塗り薬だった。
「…喧嘩は、いいことがないからな。」
 先生はそれだけ告げた。


「ちゃんと言うよ、僕は陸ちゃんが欲しい。」
 零が大きく溜め息をついた。
 医師に鎮痛剤をもらい暫く深い眠りについていたが、薬が切れると同時に痛みで目が覚めた。そこには零と夾ちゃんが向き合っていた。
「陸がそう言ったのか?」
「零ちゃんに話して譲ってもらうとは言ってある。」
「陸は犬か?譲るって何を考えているんだよ。」
 夾ちゃんが自信たっぷりに微笑んだ。
「陸ちゃんは僕に抱かれることちゃんと承知したんだ。こんなボロボロにしたのは零ちゃんだろ?見ていられない、僕が…」
 零が夾ちゃんに最後まで言わせず、言葉尻を奪った。
「どこへ連れていく気だ?家はじいちゃんばあちゃんが反対するぞ。大体お前に陸は養えないじゃないか、収入もまだ最低4年はないんだろう?」
 夾ちゃんの表情は変わらない。
「零ちゃんに勝てるなんて最初から思ってない。だから弱味につけこんだんだ。正気になったら陸ちゃんは零ちゃんを選ぶに決まっているから犯したんだ。結果的には実紅ちゃんと何も変わらない。実紅ちゃんに陸ちゃんの子供を生ませなかったのは僕の嫉妬だよ。あの頃から自覚しない恋愛感情を持っていたみたいだ。」
 夾ちゃんは僕の方を見た。
「僕のせいで痛い思いをさせたね、ごめん。」
 僕が目覚めていたことに気付いていたらしい。流石医者の卵だなぁ…なんて変なところで感心している場合じゃないんだけど、なんだか妙に僕の中でこの問題は解決してしまっている、過去のことになっているんだ。
「零。僕はやっぱり夾ちゃんの言う通り、零を選ぶ。だけど夾ちゃんと寝たことを後悔していない事は分かってほしい。」
 僕は姿勢を夾ちゃんの方に向けた。ちょっと身体が痛かった。
「夾ちゃん、僕のこと、好きになってくれてありがとう。だけど僕はこれまでも、これからもずっと零だけを見て生きて行きたいって、今回のことでよく分かった。零が僕のこと、いっぱい愛してくれていることも、分かっていたけど身体で思い知らされたし、夾ちゃんと愛の無いセックスしても僕の身体はちゃんと反応するんだってことも分かった。だけどね、」
 今度は零の方を向いて、はっきり、宣言した。
「あのとき…強姦されたときは感じるとか善がるとか、そんな感覚は無かった。本当に嫌で嫌で仕方なくって、早く終わって欲しくて、僕は何も感じなかった。」
 零が僕の側に来て、抱き寄せた。
「ごめん、つらいこと思い出させて、ごめん…」
「ううん…だけど、夾ちゃんのことは大好きだから。もう一回って良い雰囲気で誘われたら拒める勇気は無いんだ、これも断っておくね。」
 零の肩がぴくりと震えた。
「陸ちゃん、僕にはもうそんな勇気は無いよ。」
 夾ちゃんが優しく微笑みながら言った。
「今度こそ、ちゃんと失恋したから、先に進める。ありがとう、陸ちゃん。」
 それだけ言って夾ちゃんは部屋を出て行った。
 多分、夾ちゃんはもうここには来ない。
 加月の家にもいないような気がする。
 それでも、僕は夾ちゃんと寝たこと、後悔しない。
「家庭の中で浮気を許すって…難しいんだからな。」
 そう言うと夾ちゃんの後を追い掛けた。きっと僕が言いたかったことを零が代弁してくれているはずだ。


 失敗を知らない人間は失敗を知っている人間より弱い生き物なんだって、誰かが言っていた。

 
せんせい
 老医師、身体が治ったら僕は又零と抱き合いたいです、今度は無茶はしません。だからお願いです、アナルセックス禁止令を取り下げてください。