「単独の仕事全て…ですか?」
斉木くんは困った顔でスケジュール表を見つめていた。
「一年先まで無理です。」
「なら都竹を必ず陸のそばに置けないか?」
更に眉間の皺を深くして思案中だ。
「都竹くんはマネージャーなんです。付き人じゃないんです。四六時中一緒にいるわけにはいきません。」
「だったら誰かいないか?」
零が少しイライラしながら問い詰める。
「いないことはないですけど…陸さんのシンパですが構いませんか?」
「構うに決まっているだろう?」
ついに零が怒鳴りだした。
しかし斉木くんも怯まない。
「陸さんは子供じゃないんですからそんなに管理する必要がないと思います。」
「あるから言ってるんだろう?頭の悪い奴だな!」
それに斉木くんはカチンと来た…とは本人談。
「なら、仕事なんてさせないで家に閉じ込めておいたらどうです?果たして陸さんを納得させられるか、見物ですね。」
…こうして二人の喧嘩が始まった。
「…零、聖は?」
零は僕の両手首を布製の紐で縛るとベッドヘッドにくくりつけた。
「あきらちゃんに預けた。」
それだけ言うと黙々と作業を続ける。
両足首はそれぞれ布製の紐で縛られベッドの脚に固定される。人の字みたいな格好だ。僕は身動きひとつ許されない形にされた。
「さてと…」
カッターナイフの刃がカチカチと音を立てて繰り出される。零の顔は冷酷な笑みを浮かべていた…。
カッターナイフの刃が僕の着ているピンクのシャツ…ヴィクトリアン調のひらひらが沢山着いている…の裾に中から当てがわれビッという鈍い音と共に切り裂かれた…。
「OKです」
手にビデオカメラを持って今のシーンを撮影していたのは零のマネージャー、辰美くん。
「次は恐怖に怯える陸さんを撮ります。」
非常に張り切っている。
次の新曲用に作成しているプロモーションビデオだ。
「何だか僕だけ貧乏クジ引いたような気がする。」
みんなそれぞれかっこいいシーンを用意されているのになぁ。
零なんかモデルの女の子と雨の中相合い傘だからね。
「貧乏クジとかじゃなくてオフィシャルウェブサイトでアンケートをとった結果なんですけど。」
ホームビデオを片手に喜々として話す辰美くん。
「なぁ、この間裕二さんのとこに面接に来ていた少年は直ぐに使えそうかな。」
少年?
「どうですかね?オレらに負けず鼻っぱしらが強いですけど。」
ふーんと言い残し零は黙りこんだ。
撮影は滞りなく進んでいたのだが突然玄関ドアが開いた。
「ただいま〜」
聖だった。
当然、部屋への通り道のドアが開いているので覗き込んできた。
「何して…あ!また零くんってば陸をいじめてるぅ〜って辰美くんだぁ。」
辰美くんの姿を確認して聖は仕事関係でこんなことをされているのだと理解した。
「陸さん、今の顔良かったです!」
ちょっと狂気じみた目付きで辰美くんが目の前にいた。
「聖、今日はあきらちゃんとこに行けって言っただろ?」
零が珍しくきつい口調で問いただす。
「だってぇ〜零くんがそんなこと言ったときは絶対何かあるんだもん!僕だけ仲間外れはやだもん。」
手足を拘束された姿で言うのもなんだけどやっぱりうちの子が一番だなぁ。
「どんな風に陸をいじめるの?僕もやりたい!」
「おいっ!」
…零より先に突っ込んでしまった。
苦笑しながら辰美くんが拘束を外してくれた。
「じゃあ聖くんも関係者だから手伝ってもらっていいかな?」
辰美くんは言うが早いかビデオを脇に置いて次に使う衣装を手にした。
「天使の役?」
本当は僕がやるはずだったんだよね。…ってあれれ?今回の役はアンケートって…それじゃあ拘束されるだけ?とほほだね。
喜色満面で着替えてきた聖は天使の衣装でくるりと一回転するとにっこり微笑んだ。
聖はお芝居が上手い。僕なんか間の取り方とか聞いていてむかむかするけど聖は難無くこなしてしまう。演技者の才能があるのかな。
「聖君、陸さんが見とれているよ。」
辰美くんが僕を見てにやりと笑った。
「陸さんって聖くん大好きですよね?夾さんにも優しい笑顔だし、やっぱり零さんの兄弟だから自然と優しくなるんですかね?」
零の、兄弟…?
まさか…!
わざわざ意識したことはないけど…。
「また零のことか…」
撮影が終わったその足で実家に駆け込みそのままパパの部屋に押し掛けた。幸い在宅だった。
「だから実紅ちゃんの兄弟ってみんな好き?特別?」
僕にとっての夾ちゃんって何かを知りたい。
「零のことはまあ…良い子だとは思う。だけど陸を真っ当な道から外した張本人だからな…差し引きゼロかな?夾君は何だかいつも含みのある発言をしてくれるから微妙なんだ。人間的には好きな部類なんだが…」
「僕は実紅ちゃんも夾ちゃんも好き…実紅ちゃんは女の子だからえっちはできないけどね。」
するとパパの表情が一変した。 「夾君とは、できるのか?」
え?
「あ、そうだな、うん、触られるのは平気。パパと同じ。」
ふー、危ない危ない。 「女の子には触られるのもダメ…か?」
「うん」
「もしかして、陸の性処理を俺がやってたのが原因なのか?女の子には触られたくないなんて…」
パパが自分の責任を少し感じてくれたから教えてあげよう。
「原因なんて多分ないと思う。気が付いたときには零が好きだったんだ。パパがママを好きだったみたいにね。」
パパの初恋物語は何度も何度も聞かされたのでよく知っている。
「女の子って存在が苦手なんだ。守ってもらうのが当然って顔して男の隣にいる。もっと自分に自信を持って生きられないのかな?」 「それはあきらのことを指しているのか?」
「ママも含まれてる。だけど僕も中学の時に女の子とデートしたことはあるんだよ、何もなかったけどね。それをふまえてもやっぱりイヤだな。…というのは多分言い訳。零を好きって言う事実を正当化させたいだけ。」
パパはリビングのソファから立ち上がるとキッチンへと消えた。
しばらくすると良い香りが漂ってきた。
「この間ロケに行った時に泊まったホテルでさ、上手いコーヒーを淹れるマスターがいてさ、無理矢理教えてもらったんだ。」
そういうと目の前に大振りのマグカップを差し出された。 「いいんじゃないか?好きなのは仕方ないし。零も受け入れたし。たださ、」
パパは僕を正面から見据えた。 「自分で性処理することを禁じたのは悪かった。」
え…? 「零が抱いてくれない日はどうするんだ?」
う…
「俺がやってやったように自分でできるのか?…若いから、持て余すこともあるんだろう?」
僕の目は明らかに泳いでいたと思う。
「そんなことで零と喧嘩するようなことがあるなら…俺がしてやるから。」
僕は慌てて首を左右に振った。
「大丈夫、僕はそんなに性欲が強くないから。」
父親に言うセリフじゃないな。 「それに、僕が零を抱く日だってあるし…」
更に父親に言うことじゃない。
「第一、零にしか欲情しないんだ。」
致命的…。だけどこれは、嘘。
急いでマグカップを口に持って来た。 「ん〜いい香り…っちっ」
慌てて飲み下した液体は思ったより熱かった。 「大丈夫か?」
「うん。」
「妬けるな。」
パパ?
「陸はもう、零のものなんだな…俺の腕の中で可愛くあえいでいた陸じゃないんだな…」
あの…感慨に浸る場所が若干違うのでは…。
「女はさ、ひとつの恋に決着をつけないと次にいけないけど男は一度に複数が可能なんだ。だけど二人は違うんだな。」
「パパだって。」
ずっとママのことだけ愛していたじゃない。
パパが笑顔になった。
「オレはあきらと実紅と陸にしか反応しないけどな、陸は零だけなんだ。」
だけ…?
「抱きたいのは、零だけ。」
それを聞いてパパはなんだか満足気に頷いていた。
そう、僕をその気にさせるのは零だけだ。 「だけどね、零以外の人に抱かれるのは駄目なのかな?」
パパには意味が分からないようだった。
「俺が高校生の時、あきらと婚約していたときだな。あきらは涼とデートしたんだ。その日は一日二人がセックスしている姿ばかりが頭に浮かんでた。」
パパが寂しく笑った。
「零が陸と誰かがセックスしているのを想像しながら胸を痛めている姿を想像したら身体であろうと浮気は出来ないだろ?結婚ってそういうものだよ。」
そっか…僕は、零のことを考えてあげてはいなかった。いや、考えている振りだけして、自分の好奇心のほうが先に立ってしまっていた。
あ、もしかして零が剛志くんと寝たって言ったのはウソ? 「夾くんから好きって言われたのか?」
え?
「図星か…さっきから兄弟がどうの…とか言っていたからそうかな…と思ってたんだ。」
パパはずっと両手で握り締めていたマグカップをテーブルに置いた。 「あの二人は声が似ている。実紅もあきらと声が似ているんだ…」
似ている…?それはこの間も零に指摘された。夾ちゃんが零と同じように、僕の耳元で囁いていたんじゃないかって。それが原因じゃないかって…。
「好きだって気持ちは案外当てにならないもんだね。」
「そんなこと無いんじゃないかな。好きな気持ちが深いと似ているものにも愛情を抱いてしまうんじゃないかな?身代わり…かな?」
身代わり?
「聞いた話だと、今の世の中は誰か一人と決めなきゃいけないような風潮だけど、ほんの五十年前まではそんなことはなかったらしいぞ。動物的と言ったらそれまでだけど本能だからな。動物は食欲が満たされると性欲が無くなるらしい。現代の少子化問題はその飽食がもたらしたものらしいからな。」
「飽食が少子化なの?」
「日本人は二十四時間、いつでも何か食べたいと思ったらどうやってでも食べることが出来るじゃないか、コンビニもあるし弁当屋もある。だけど今でも戦争や内戦を繰り返している国の人々は、子供が沢山いる。子孫を絶やしてはいけないという、動物の本能が働くんだ。セックスして子供を増やして無事に育て上げる。日本人は腹が膨れているから性欲が湧かないんだ。テレビゲームをしていたり、漫画を読んだりしているほうが楽だろ?誰かとイチャイチャしていたら相手に合わせなきゃいけない。それすらも面倒。だから結婚しない。セックスしない。子供が減る…ということらしい。」
「へぇ…」
「ダイオキシンの成分に女性ホルモンに似た成分があるらしいんだ。それと殺虫剤、あれにも同じような成分があるらしいんだ。男性の女性化や精子の減少はそのへんにも原因があると言われている…ってこれは別に陸に言っているわけじゃないから。」
「僕って女の子みたい?」
パパは少し、考えた。
「その回答は俺には難しいな。自分の息子が可愛いのは仕方が無い。陸は俺にとって幾つになっても子供のままだから。女っぽいとか男っぽいとか、判断できない。子供っぽい…っていうのは言えるけどな。けど事務所の連中はACTIVEの誰がカッコいいか?ってしょっちゅうアンケートとっているみたいだぞ。ホームページに集計結果を出しているはずだ。」
そういうとリビングのパソコンに電源を入れた。
暫くしてACTIVEのホームページのトップ画面が表示された。
「ほら、アンケート結果。」
あらら、知らない間にホームページがかなりリニューアルされてる。初ちゃんには今、そんな暇は無いだろうし…事務所でやっているのか。
「ええっ?」
僕は思わず声を上げてしまった。
「ほらな。」
パパの言っていた『カッコいいのは?』は零・剛志くん・初ちゃん・隆弘くん・僕の順(最下位じゃん…)だったけど、『セクシーだと思うのは?』というのが僕が一位だったんだ。
「女の子からみたら陸だって立派に性的対象に値しているってことだ。」
そっか。
「僕はちゃんと男として愛されているんだね。」
「それは、零が相手か?」
「勿論!!」
パパの表情はとっても複雑だったけど、僕の心のモヤモヤは少しだけ、晴れた。
「だから!なんで休みがなくなったのか、理由をおしえろって言ってるわけ。」
辰美くんはなんだか困ったような、そのくせ嬉しそうに口角を若干持ち上げ気味にしている。
「その件に関しては斉木先輩から伝言です。『陸さんの仕事を減らすことは出来ないから誰も入れない時は零さんに入ってもらいました』だそうです。」
零が物凄く悔しそうに唇を噛んだ。 「つまり、僕自身に付き人になれと、そういうことなんだな?」
辰美くんは黙って頷いた。 「…行ってやる…やって出来ないことはないはずだ…」
斉木くんとの戦いはまだ続いていたらしい。 「零の付き人反対!役に立たない。」
僕はつい本音を漏らした。
「零がよそ見しなければ、僕もよそ見はしない。」
と、付け足しておいた。
パパとの話は有意義だった。
あれから色々考えて夾ちゃんにはちゃんと謝った。
僕は夾ちゃんを身代わりにしたんだ。誰でも良いわけではない、だけど夾ちゃんじゃなきゃいけないってわけではないということなんだと。
だけど、虫が良いけど夾ちゃんとはやっぱり兄弟でいたいと伝えた。夾ちゃんも頷いた。
「家に置いておいたら家の中でふらふらするし、外に出たら直ぐに誘惑される。そんなことじゃ僕は安心して仕事が出来ない。」
「レコーディングばっかりしていればいいのに。」
「そうはいかないだろ?」
「テレビは出ない、雑誌の取材も受けない、ライブ中心、CD中心…こんな音楽活動が出来るといいな。」
「それ、良いですね。」
辰美くんが同調してくれた。
「僕は陸さんをテレビでも見たいって言っている人たちがいるから、やっぱりメディアの仕事はあったほうがいいと思います。」
都竹くんは反対意見だった。
「うん。今すぐに、とは言わないけど、コンスタントに新しい曲は提供できて、僕達の音楽を聴きたいって思ってくれる人たちだけに、僕達の音を届けたい。そうした、僕らはみんな、大好きな人たちのために、もう少し時間を割くことが出来るからね。」
零と、もっとゆっくり時間を過ごしたい。
だって、僕に喜怒哀楽、全て与えてくれることが出来るのはこの世の中でただ一人、零だけだって気付いたから。
心も身体もぼろぼろに傷つけられても、それでも零に縋ってしまう、恋ってとっても複雑なものなんだと…。
さて…。零VS斉木くんのバトルは年末まで続いたのだった。
参考資料 藤田紘一郎著「ウッふん」講談社文庫 |