涙の理由
「行ってきまーす」
 陸がいつまでも着いてきて何をやったらいけない、これを着ていけって僕に色々言ってくれるんだけど、みんないつも聞いているから分かっているんだよね。
 今日は学校の遠足。
 ママと陸の戦いは簡単に陸が勝った。
 理由は簡単。
「ねぇ聖、遠足のお弁当何が食べたい?」
とママに聞かれたから、
「陸のおにぎり。」
と答えた、それだけ。
 本当は零くんのサンドイッチが好きなんだけどこれは秋の遠足まで我慢。
 僕の学校は春と秋に遠足がある。
 春は歩いて行けるところ、秋はバスで行くところ。
 それぞれに楽しい。
 だけど遠足の楽しみと言ったらお弁当なんだ。
 陸のお弁当はカラフルで見た目が可愛い…陸そのもの。
 クラスメートと敷物を広げてお弁当を広げたときの優越感は並大抵ではない。
 ママのお弁当は…まぁ…ね。
 先生は相変わらず陸ファンを公言しているので僕のお弁当を楽しみにしている。
 ひとつくらいならおにぎり、交換してあげようかな…と思うけど、賄賂になるのかな?
 まぁ、成り行きにまかせるか。



「聖、気付くかなぁ…」
 僕は少し罪悪感に苛まれた。
 お弁当、おにぎりはちゃんと僕が握ったんだけど…寝坊しちゃっておかずは零に作ってもらったんだ。
「気付いても言わないよ、あの子は。」
 寝坊の原因を作った奴が平然として答える。
 相変わらず、零の性欲は尋常じゃない…言っちゃあなんだけど、僕もかなり強いと思う、なのに全く疲れた感じがない。
「零ってさぁ、エネルギー補給、僕からしてない?」
「できないって。」
 そう言って笑うけど絶対あやしい。
「僕は遠足のお弁当、いつもばあちゃんが作ってくれるんだけど必ずたくあんが入っていて臭かったんだ。朝、こっそり抜いてじいちゃんにあげてたんだ。」
 パパは結局料理は出来なかったな。
「涼さんは料理好き?」
「いや、若いころは何もしなかったよ。」
 今は少しずつやるようにしている…というか、ママが病気の間はずっと頑張っていたんだよね。ギターを習いに行っていたとき、時々作ってあげたことがある…パパには内緒だから零にも内緒。
「じゃあ、実紅ちゃんと夾ちゃんはどうしていたの?」
「…おばあちゃんが来てくれた、涼ちゃんかあきらちゃんか、どっちかの、だね。」
 あぁ、そうか。零のおばあちゃんは二人いるんだ。
「僕たちはみんなおばあちゃんの味で育ったんだね!」
「…ごめん、僕はあきらちゃんだよ。病気になってからは自分で作ったけど。おばあちゃんの弁当は知らない。」
 零が拗ねている…可愛い!
「今まで、自分は普通だと思っていたことが実はスゴく恵まれていたって知った。弁当のこともだけど…こうして陸と一緒にいられることも普通に感じているけど違うんだ、もの凄くラッキーが重なり合って出来上がっている幸福なんだなって。神様を信じているワケじゃないけど感謝している。」
 拗ねていたわけじゃなかったんだ、零が感じた幸福を噛みしめていたんだね。
「人間は幸せに鈍感なのかもしれないね。野生の動物だったら毎日食事ができるなんて不可能だけど、人間は三回も食べる。知ってる?クリオネって一生に一回しか食事をしないらしいよ。流氷の下でしか生きられない、短い一生を精一杯生きているんだなぁ…ありがとう。」
「え?」
「僕を聖を、ACTIVEを愛してくれてありがとう。」
「やだなぁ〜照れくさいよ。」
 僕は零に背を向けた。だって嬉しくて泣きそうだったから。


「陸のうそつきっ!おかずは零くんが作ってあった!先生楽しみにしていたのに…おにぎりだけで我慢してもらったんだからね!」
 我慢?
「なんで先生が我慢するの?」
 すると先ほどまでの勢いはどこへやら、借りてきた猫のごとく大人しくなってしまった。
「ん?正直に言ってご覧?」
「えっと…先生、陸に会いたいのを我慢してるんだ、父兄だから会えるって思っていたけど、学校行事はパパかママだし、運動会も零くんしかいなかったし…。もの凄くがっかりしているのが分かるから、せめてお弁当を分けてあげたいなって思ったんだ。陸に会わせてあげたいけど、陸は有名人だからそういうのはよくないんだって…でもね、先生、陸が好きなんだ。ファンだったけど恋しちゃったんだ、きっと…。」
 聖が僕に言いたくなかった理由がわかったよ。
「ごめんね、寝坊しちゃって。」
「うん。零くんも陸に恋しちゃってるもんね。」
!!
 顔から火が出そう…。
「それでね、今度家庭訪問があるんだ。昨日プリントをもらったんだけど、やっぱりママに渡すのがいいのかな?だけど先生は普段どんな風に生活しているのかを知りたいって言っていたから、ここにきてもらうのが一番良いんだよね…」
 確かに去年までは涼さんとママにお願いしていた。それが正しいと思っていたから。
「そうだね、聖はいつもここで暮らしているんだからここに来てもらったほうがいいよね。零、いいよね?」
 零は少し、考えていた。
 聖はリュックサックの中からお弁当箱と水筒を取り出してキッチンのシンクに置くと部屋に走っていって、家庭訪問のお知らせと書かれたプリントを持って戻ってきた。
「…うん、その方が、いいのかな…いい…んだよな、うん。」
 零は悩んでいる。
「先生は聖がここで生活していることはご存知なんだし、今更涼ちゃんに頼むのも変だし…じゃあ、そうしようか。」
 プリントを見るとお母さんが働いている人も居るので、出来るだけ家庭の事情を優先する…と書いてあった。
「スケジュールの空いている日を連絡すればいいのかな?」
 聖がプリントの最下部を指差して、ここに先生が来ても大丈夫な日を書いて…と教えてくれた。
「じゃあ…来週の火曜日は完全にオフだから、この日だったら大丈夫。」



 月曜日の夜。仕事から帰ってきて…。
「…」
 こんなことだと思った。
 聖の家庭訪問、今年は僕たちのうちに来てもらうこと、日にちは火曜日だと伝えたときから、なんとなく予測は出来たんだ。
「ねぇ、零。どうして加月の家はあんなにきれいになっているの?」
 信じられない。
 いつも僕が必死で片付けているのに…。全部ぐちゃぐちゃにして行ってくれたよ。
 明日の午前中は掃除に明け暮れそうだ。
「うちは全部あきらちゃんがやっているよ。多分、陸の片付け方が気に入らないんだよ。僕の部屋もそうだった、好きなように片付けておくと学校から帰ってきたらあきらちゃん好みになっていたんだ。」
 これがママの趣味か…。
 カーテンには得体の知れないマスコットのようなものがぶら下がっているし、リビングのテーブルには果物の乗った大きな籐製のかごが置いてある。
 キッチンの入り口にはやたらとひらひらした小さいのれんみたいなのが掛かっている。(零曰く、カフェカーテンでは?とのこと)あまり必要性を感じられない。
 極めつけは玄関のスリッパラック。やっぱりレースが一杯ついたゴスロリ風のスリッパが五足も置いてあった。
「これを先生に使ってもらうのかな?」
 流石に聖も不安げだ。
「…全部明日、ママに返してくる。」
「それは止めたほうが良い。陸があっちに行っている間にあきらちゃんはこっちの手入れに来るはずだ。入れ違いになって陸が負けるのが目に見えるようだ…。」
 なんだか、ママと僕って嫁と姑みたいじゃないか?嫁…っていうのもなんだけど…。
「別に、僕はママのやることが嫌なんじゃなくて、今まで通りでいいんだって 思っていて…」
 ママは、寂しいのかもしれない。
 実紅ちゃんと夾ちゃんが大きくなる段階を、全く知らないでいるから。
 だったらせめて聖だけでも、成長していく過程を目に焼き付けておきたいのだろう…って行き過ぎだけど。
「兎に角、片付けてやる…」
 ママが置いていったものは全て外して防音室に放り込んだ。
 とりあえず、決戦は火曜日の朝だ。


「やだぁ〜ぁぁぁぁぁっ」
 ジャージにトレーナー、それにマスクをして僕は完全お掃除態勢で玄関のたたきを雑巾がけしていた。
 そこにママが合鍵を使ってやってきて、の第一声。
「何が嫌なの?」
「陸のそんな格好、見たくないっ。男の子は掃除なんてしないで頂戴。」
「そうはいかないよ、いつもは僕がやっているんだもん。零だって聖だって普段はやるよ。零は今トイレ掃除をしている。」
「そんなところ、昨日私がやったじゃない。」
「男性の多い家のトイレは毎日掃除しないと汚れがひどくなるんだってば。主婦の癖に知らないの?」
「うちでは涼ちゃんも夾も座ってするもの。」
「パパはそれ、嫌がったからね。我が家は…良いじゃないか、そんなことは。」
 全く、恥ずかしいな。
「やだぁっ、スリッパがないっ。私の専用にしたのに…」
「五足もママのなの?」
「一足に決まっているじゃない。あとは陸と零と聖。仕方ないから残りの一足来客用。」
「却下。」
「やだぁ。」
「うるさい、掃除の邪魔。」
 ママを無視して掃除の再開。
 年末の大掃除もそんなにやったことないのに、なんだかいいチャンスだから徹底的に大掃除をしようと思っていたんだ。
 なのにずっとこの調子でママは僕たちの邪魔をしてきた。
 結局先生がやってくる午後3時30分まで居座っていた。
「着替えたの?それで?」
 ママは僕に何を求めているんだろう?
「コンサートの衣装…」
「からかっているの?」
「真面目です…」
 零はずっと横で笑っているだけだ。
 ジーンズにシャツといういたってシンプルな服装で、先生を迎えた。
「こんにちわ。」
 先生にはたまに道で会う。だけど聖について何かを聞いたことはなかった。
「少しは落ちつきが出ましたか?」
 ママが先生に質問する。
「はい、最近はみんなの先頭に立って…その…」
「いたずらの相談をしているんじゃないですか?僕がそうだったから。」
 零の言うとおりだった。
「でも、ひどいいたずらじゃないです。いじめられている子を助けているようなんです、どうやら。」
 いじめ?
「いじめられている子がいるんですか?」
 僕は入学したての頃、聖がよくいじめられていたことを思い出した。
「それが、聖くんに聞いても教えてくれないんです。先生は気にしなくて良いって。出来るだけ教室に残って様子を見ているのですが、私には気付かないようなことをしているようなんです。でも聖くんにはわかっているみたいで。」
 ふーん…と零がため息のような声を発した。
「じゃあ、先生は聖が何をしているのかは知っている、だけど誰かが誰かをいじめているらしいのはわからない、ということなんですね?」
 はい、と蚊の鳴くような返事が返ってきた。
「それは故意に聖が隠しているんだから、先生は知らなくて良いです。」
「でも、それでは聖くんに何かあったら…」
「大丈夫です、きっと。先生は子供の頃、担任の先生に自分の好きな人のこと、言いました?僕は言いませんでした。親にも言いませんでした。聖も僕には言いません。母も多分知らないでしょう。そういうことです。」
「そういう、こと…ですか…」
 先生は腑に落ちないと言う顔をしていたが突然はっ、と顔を上げて、
「そういうことですね、はい。」
と、笑顔になった。
「聖は愛情に関して物凄く敏感です。自分も愛してほしいし、みんなも愛情で一杯になってほしいと願っています。だから見過ごせないんだと思います。先生も素直になってください。」
 先生はうつむくと、小さく「いいえ」と言った。
「子供たちは愛で目一杯満たされてほしいです。」
「先生、僕ね、好きになることって理屈じゃないと思ったんです。それが、たとえ報われなくても、誰かを愛したって気持ちは大事だと思います。言わないまま終わってしまったら恋心が寂しいです。」
 突然、先生が立ち上がった。
「あの!!聖くん、勘違いしているんです。本当です、私…陸さんのファンだけど本当に…」
 ポロポロ…先生の目から涙がこぼれた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…聖くん、いつも皆さんに囲まれているんですね、いいですね…私は大学を出て地元で就職できなくて、一人で東京に残って…寂しかったんです。だけど…父兄に恋愛感情は抱いてはいけないんです。」
 先生の言っていることは支離滅裂だけど、言いたいことはわかった。
「あの…聖の担任から外れたら、一回デートしてくれませんか?僕が先生を誘ってもいいんですよね?担任じゃなくなったら。」
「はい…でも今聖くんの学年、一クラスしかないから、六年生までずっと私なんです…」
「わかりました。じゃあ聖が卒業したら。待ってていいですよね?」
 先生はボロボロ泣きながらはいと返事を返してくれた。
 …トイレ掃除は必要だったよ、ママ…と横目で合図したけど気付いてくれなかった。


「ただいま…って陸、どうしたの?」
 聖が僕の顔をみるなり飛んできた。
「聖があまりにも学校でいたずらっ子だって言われて、悲しくなってきちゃったよ…」
 ママは既に家に帰っていて、零は夕飯の買出しに行っていたので、ちょっと小芝居をうってみた。聖がいたずらっ子だったのは事実だし。だけど泣きまねをしていたら次第に気分が高まってきて、本当に涙が溢れてきた。
「だけどね、みんな好きなのにいじわるするんだよ、教科書隠したり、消しゴム取ったり。」
「好きな人のものだからほしいんだよ、きっと。」
「わかるけどそれじゃ取られた人は困っちゃうもん。好きなら好きって言えば良いのに。」
「聖の好きな人にはちゃんと言った?」
「うん。陸大好き。」
 …はぐらかされた。
「あのね、先生田舎に帰っちゃうの。だからその前に陸に会わせてあげたかったの。」
 え?
 でも確かにさっき先生は地元の学校に就職できなくて一人暮らし…みたいなことを言っていたっけ。
「そっか…じゃあ約束は早くなりそうだな。」
「何の約束?」
「先生と僕のね、約束。」
「ええ〜、わからないよぉ。」
「ひみつだから教えない。」
「…ずるいなぁ。」
と言いながらも聖はなんだかわけ知り顔だ。きっと帰る前にママに聞いてきたんだろう。
 翌日の夕方。僕は学校に電話を掛けてみた。
「先生、田舎に帰られるんですか?」
「はい。」
「じゃあ、いつにしましょうか?」
「は?」
「約束」
「あぁ、あれはだって、聖くんが卒業…ああっっっっっ、聖くんですか?田舎帰るって言ったの?」
「はい…?」
「もうっ、聖くんってばぁ…あ、違うんです、田舎には連休で帰るんです。」
「連休…あぁ、ゴールデンウィークですね。そうか…聖にやられました。そうだ、先生僕の携帯番号、教えますからメモしてください。今度自宅から掛けてください。」
「えっ、あの、その…でもっ」
 うだうだしている先生へ強引に電話番号を告げて切った。
「あれ?陸は零に内緒で逢引の電話?」
 隆弘くんが僕の電話の内容を聞いていたらしく、からかいにきた。
「逢引とは古い言い回しだね、そうだよ、僕今度、女の人とデートするんだ。」
「女の子が苦手な陸にしたら珍しいじゃん。」
「うん。可愛いから。」
 先生、もしかしたら僕はひどいことをしているのでしょうか?
 でもね、僕は先生のこと、とっても好きです。これは本当。
 だってコロコロと変わる表情、喜怒哀楽の激しいところ、すぐ泣くしすぐに笑う…僕の小学校時代、そんな先生がいたら、僕は零のこと忘れられたかもしれない。それくらい 印象的な女性だから。
 だけど僕は零と結ばれてしまったから、もう忘れることは出来ない。
 愛は理屈じゃない、心と身体が結ばれたとき、初めて理解し合える…。反発も覚える。
「陸、何?泣いてる?」
「ううん、目にゴミが…いてて…」
 なんだか最近の僕は涙もろい。ドラマを見ているだけで泣いていたりする。
「時間です。」
 斉木くんが呼びにきた。
 さてと、泣いてなんていられない、仕事仕事。