クラッシック大全集
 最近、なんだか様子が変なんだ、二人とも。

「ただいま〜」
 聖が学校から帰って来た。
「お帰りなさい」
 ドラマの仕事が休みなので一日家の中を片付けていたんだよね。
 聖が帰って来たら買い物に行こうともくろんでいた。
「スーパーマーケット?買うもの決まっているなら店長さんに電話すれば持ってきてくれるよ。」
 なんか…聖がオヤジ臭い。
「それはもうお願いして持ってきてもらった。ミキサーを買いに行こうと思ったんだけど、行かない?」
「行く!」
 急に元気になった聖。電気屋に何か目的があるのかな?


「これ!」
「おかえり〜」
 雑誌の取材を終えた零が帰って来るなりリビングに飛び込んできた。
 そして聖がかけているBGMを指して、
「高かっただろ?」
と聞いて来た。
「うん。十万円だった。もの凄い散財。」
 僕は苦笑した。
「でも聖がクラッシックに興味があったなんて知らなかったよ。」
 聖は電気屋に行きたかったのではなく、隣のCDショップに行きたかったんだ。
 そこで世界的に有名な指揮者が棒を振っている海外の楽団演奏のクラッシック全集を見ていた。欲しいのかと聞くと違うと言う。
 でもずっと眺めているから値段を見たら十万円だったんだ。だから言えなかったらしい。
 良い音楽を聞くことは情操教育にいいから思い切って買った、カードで。
「実はさ、陸がドラマの撮影中、田沢拝滋さんのオケチケットもらってさ、二人で行ってきたんだ。」
 田沢さん?あ、このCDの指揮者だ。
 すると聖が目をキラキラ輝かせて、
「スゴく良かったんだ。」
と、ため息と共に呟いた。
「へー、良かったね〜。」
 僕はクラッシックにあまり興味がなかった。聞いても音が平坦でつまらなかったんだ。
「拝滋おじちゃんがね、またおいでって言うから次は陸も連れてきていいって聞いたらいいよって。」
 あらら…。
「チケット高いのに。」
「交換条件があるんだもん。」
 え?イヤな…予感。
「陸とのセッションだってさ。」
 オーケストラと?
「無理無理!」
「剛志くんもいるよ。」
「そういう問題じゃないんだ。僕はあんまり協調性がないから…」
 すかさず零が割り込んできた。
「音楽的に幅を広げる意味ではいいと思うけどな。」
 うわぁ〜!
「わかったよ、明日ドラマの撮影があるから剛志くんにも聞いてみる。」
「もう聞いた。陸がいいならいいってさ。」
 手回しが早い。
「なら、いいんじゃない?」
 そういうしかないでしょうが、この場合。
「やった!」
「スケジュールは…都竹に確認しなきゃ!」
 どうやら零も田沢さん信者になったらしい…。
その日から、我が家はクラッシック一色になったんだ。
 早速防音室へ移動、サラウンドでCDを聴いた。
「もっともっと凄いんだよ!本物は。」
 聖が嬉々として話し続ける。
「ACTIVEもカッコいいけど拝滋おじちゃんもスゴくカッコいいんだぁ〜。」
 さっきから凄いの連発だ、よほど気に入ったんだろうな。
「僕も指揮者になりたい!!」
 あー、ついに来たか。
「聖、指揮者はすべての音を理解しないとなれないんだ。まずはピアノのレッスンからだよ。」
「パパに教えてもらう〜」
「大学教授に教わらないと就職先が見つからないよ。」
「そうなの?でもおじちゃんは普通の先生に教わっていたんだよ。」
「…それは天才だからだよ。」
 本当のところ、天才という言葉は好きじゃない。だけど一時の思い込みで職業を決めるのはせっかくの可能性をつぶしている気がする。指揮者の可能性は…とりあえず横に置いておこう。
「じゃあ、どうして陸はパパに教えてもらったの?陸も天才?」
 あ…。
「涼ちゃんはそう言ってたよ、陸は天才だって。」
「違うよ、全然。」
 下心満載で涼さんに楽器を教えてもらっていた自分を客観的に見せつけられた気がして動揺した。
「あ、そーか、零くんに会いに行ってたんだ、そっか。」
「そうなの?」
 聖…。
 図星過ぎて否定することも出来なかった。
「パパがそう言ってたよ。」
「涼さんが?」
「うん、『今思うといつも零のことを気にしていたな』って。」
 わあ…。
 もう顔を上げることすら出来ない。
「…それは、僕としては複雑だな。」
 え?零、それは?
「僕がいなきゃ陸がギターを弾くこともなかった、そうしたらこんな仕事もしなかった、だから…誰かに言い寄られたりそばに近づいたといってやきもきすることもなかった。でも弾いてなかったら…今の関係もなかった…そう考えると僕って偉かった?」
 もうっ、もう零ってば!


「戦後すぐ?海外に?一人で?」
 聖の大好きな拝滋おじちゃんは本場の音楽に触れたいと、戦後すぐ、ヨーロッパに一人で出掛けて行った。そこで当時トップレベルの大指揮者達に享受した。
 勿論、日本人だからと弾圧を受けたり、差別されたりと苦労もしたけれど彼の才能を受け入れないことの悲劇を考えたのは芸術家達だ。
「音楽は国境を無くす力を持っている。」
 彼はそう言って笑った。
「君達の音楽はステキだ。君達の世界を持っている。」
「僕たちの世界ですか?」
「そうだよ、僕が今まで聴いた音楽とは何かが違う…強いて言えば温かさがある。聖くんがこんなに慕うくらいだから君たちはとても仲良しなんだね?…素敵だね。」
 拝滋おじちゃんは(すっかり聖の呼び方に感化されてしまった)きっと、零と僕の関係に気づいたと思う。これはあくまでも勘だよ。そんな瞳をしていた。
「いつか、交響曲を作ってくれないか?編曲は僕がやるから。」
 嬉しい。全然違うジャンルの人に僕たちの音楽を認めてもらえることが。
「沢山勉強していつか必ず、お約束は果たします。」
 僕は嬉しくてつい、無謀な返事をしてしまった。


「陸、また買ったの?」
 あれからすっかりクラシック…いや、田沢拝滋という人間に傾倒している。零が嫉妬するほどだ。時間があればCDを聴いている。
「何かわかった?」
 でも零は理解を示してくれている。
「零も一緒に聴こうよ。」
 顔を見せてくれたから誘ってみたら横に並んで座り、目を閉じた。
 僕はまるでこの世の中に二人きりになってしまったかのような錯覚に陥った。
「投星機、持って来よう。」
 部屋の中央に設置すると、投影開始。
 キラキラ輝く星に抱かれてクラシックを聴きながら…。
 もぞもぞ…。
「何?」
「今えっちしたら燃えそう。」
 はぁ。全く、零にはロマンチックが欠片もないのかな。
 すると意外な言葉が発せられた。
「聖だけどさ、あまり過保護にしなくていいから。欲しい物があると陸にねだっていないか?」
 零…なんか親らしい発言だね。
「大丈夫、ちゃんと必要かどうか聞いて、さらに僕も考えてから買うようにしているから。なんでも頼めばいいと思われるのは困るからね。」
「うん。」
「僕だって聖のことはちゃんと考えているから。」
「分かってる。」
 零は僕の肩を抱き寄せた。


バタンッ
「あーくーまーっ」
 いきなり、聖が扉を開けて入ってきた。
「僕を飢え死にさせる気?寝かせない気?」
 は!
 僕らは慌てて時計を見た。
 午後十時…
「ごめん…」
 僕は急いで立ち上がり…こけた。
「ばーか、もうご飯食べたもん!お風呂も入って寝るだけだもん!ふん!」
 バンッ
 聖は後ろ手で扉を閉めた。
 後を追ったのは零だ。
「聖っ!」
 バシッ
 聖の頬を叩いた。
「陸に謝れ!」
「悪魔に言われたくない!」
「…悪魔は僕か?」
「零!」
 要点を履き違えてる。
「聖、ありがとう。」
「うん…一人は慣れているから。」
 そんなことに慣れなくてもいい…と、言いたいけどもうすぐ始まるツアーを考えると仕方がないんだ。ごめん。
「聖、ツアーだけどさ、地方は土曜日なんだ。だから一緒に行かないか?三年計画で回るから。」
「そうなの?」
と、聞いたのは僕。
「都竹くんから聞いてないのか?」
「全く。」
 やだなー、参ったなー!相変わらずなんだよね、都竹くん。
「でも聖と一緒にいられるね。」
「うん!」
 思い切り笑顔で聖が頷いた。
「腹減った。」
 確かに。
「僕は太りたくないから寝るね。おやすみなさい。」
 そう言いながら部屋に消えた。
「なんか最近急に大人になってない?」
「そうなの?」
と零が首を傾げた瞬間、
「あー!明日調理実習でお米一合と卵一個持っていくのー」
 聖が飛び出してきた。
 まだまだ…だよね?


 さて。
 必死でCDと格闘していたのは田沢さんとの約束もあるけど、パパの出した宿題が一番の難関だったからだ。
 新曲の作り方を忘れるくらいドラマに浸ってしまったからもう一度耳から感覚を取り戻そうと思ったからなんだ。聖に感謝しないとね。
 まさか…僕が行き詰っているのに気付いて助け船…まさかね。
 でも…零の血を受け継いでいるわけだし…。うーん…。