宿題提出
 昼下がりの事務所会議室。
 ずっとフランスへ行ったきりの初ちゃんと隆弘くん。遂に帰国となりました。
 つきましては緊急会議。
 パパからの宿題提出と相成りました。


バタバタ…

 廊下をけたたましく走ってくる逞しい足音。
「かいちょー!」
 初ちゃんの付き人、花島大助くん。
「大助、いきなりどういうつもりなんだ?」
 斉木くんがたしなめる。
「すみません、でも大変なんです。初さん、『メンズun/un』の専属モデルのオファーがありました。」
 誰も驚かない。
「メンズun/unですよ?」
 仕方がないので反応してあげた。
「初ちゃん、かっこいいもんね〜」
 誰も否定しない。
「会長の宿題が出来ていなくても今日の打ち合わせには出席して下さいと伝えておくように、いいか?」
 花島大助くん(みんなフルネームで呼ぶんだよね)は俯いてしまった。
「やばいっす…すごいやばいっす」
 ぶつぶつ言いながら初ちゃんを迎えに行った。
「だってあいつら、フランスの有名なファッション誌のモデルしたんだろ?」
 零の問いに、
「うん、ジョリーとか言う名前かな?その日本版。」
と、答えた。
「『Je suis joli』(ジュスイジョリ)が女性誌だからだろ?」
「え?」
「ホント?」
 剛志くんの呆れたという口調の発言に二人で大仰な位驚いた。
「全く、自分たちのことしか考えてないからなぁ、おまえら。」
「いいのか?そういう口きいてて?」
 零と剛志くんのやりとりはおもしろい。だけどそれは一度心を通わせたことがあるからこそのやりとりなんだと実感するときもある。斉木くんも同じ事を思う時があるんだそうだ。だから過剰に反応してしまう。
 今だって背後から物凄い殺気を感じる。
「さぃ…」
「祐一、今朝テーブルの上に置いたCD-Rどうしたっけ?」
 僕が声を掛けるのを待っていたかのようなタイミングだ。
「車に積んでました。畑田さん、あの…僕は陸さんのマネージメント担当ですから。」
「分かってるよ。だけど俺のプライベートはマネージメントしてくれるんだろ?」
「いくらくれますか?金額によります。」
「俺の一生」。
「すごっ」
 は!思わず声が出てしまった。
「剛志、いい加減…」
「お前がバカみたいに嫉妬丸出しにしているからだろ?」
 斉木くんは見る間に顔を真っ赤にした。
「そんな…」
「イヤなら辞めろ。オレは元彼と仕事する道を選んだんだ、我慢しろ。」
 はーん、又もめたな、二人。
 今まで頬杖ついて黙って見ていた零がぽつりと、
「僕たちもこんな風に見えるのかな…アホ丸出しだ。」
 丸出しの大安売りだな。
「陸も嫉妬していいよ?」
 何を考えているんだか、零はいきなりそんなことを言い出した。
「僕、嫉妬するかもしれないけど最近、考え方を変えたんだ。だってさ、付き合うって凄い労力が必要だよね?そんなことも含めて一緒にいたいと思ったんだからやっぱり相手に感謝しなきゃいけないかなぁ…って。それは零を認めてくれたんでしょ?自信を持っていいと思うよ、斉木くん。」
 いきなり水を向けられた斉木くんはびっくりすると思いきや意外とちゃんと聞いていてくれた。
「数々の修羅場をくぐり抜けた陸さんが言うんだからそうなんですよね?」
 修羅場?何がだろう?
「全然、僕なんか修羅場なんてものには入らないよ。けどこの間、零のボーイフレンドだった人に会って色々考えたんだよね。付き合うって言ってもらえるのは難しいことだったんだよ。僕なんかもしかしたら職も失っていたかもしれない。」
 するとその場にいた全員が顔を上げ、
「それは陸だけじゃないっ」
と、間髪入れず突っ込まれた。
「だから嫉妬という感情はあるけど我慢…違うな、怒りという感情ではなく納得できる状態には出来る自信はある。」
 剛志くんが僕の顔をじっと見つめた。
「陸、大人になったな。」
 そう言うと頭をポンポンと優しく撫でてくれた。
「…そんなこと毛先ほども思ってないだろ?」
 相変わらず頬杖ついた状態の零が絶妙のタイミングで口を挟む。
「そんなことないさ、あーんな艶っぽい顔見たら誰だってそう思うさ。」
「つ、剛志くん!」
 ニヤリ、不敵に笑った。
「そそそ…そんなに…つつ艶…」
 斉木くんが途中で言葉を詰まらせた。
「そーか、あれは俺しか見てないんだよな?オンエアもシルエットらしいしな。」
 ドラマの話と言うことはわかっていても恥ずかしい。
「陸」
 零がもの凄く冷静に僕の名を呼ぶときは危険なんだ。
「次にラブシーンを撮る時は事前申告するように。僕が着いて行く。」
 うわぁ〜、相当怒っている。
「零さん!大丈夫です!僕がついてますから。」
 斉木くんが自信満々で立ち上がったのだが、
「ダメだっ!」
と、一蹴されてしまった。
 でも幸いなことにこの後ドラマの撮影にラブシーンはない。
「陸さん。」
 そこに手元の資料に視線を落としたままでドアまで辿り着いた都竹くんが真剣な表情で僕を呼んだ。
「この音、変です。」
「え?」
 都竹くんが手にしていた資料は僕の譜面だった。
「ここからいきなりこんな風に変わるのは気持ち悪くないですか?」
「でもそこで変調しないと感情が散逸するんだよね。」
 都竹くんは悩んだ。
「感情が散逸?」
 突っ込みどころはそこかい!
「んー、僕の気持ちが入りきれないと言った方が妥当かな?」
「はぁ…」
 変調の理由を聞かれても答えられない。たまたま拝滋さんのCDにあったからなんて…口が裂けても言えない、のに。
「田澤拝滋って知ってる?その影響だよ。」
 零がさらりとバラしてくれちゃった。
「誰…ですか?」
 都竹くんに散々拝滋さんについて説明した。持っている知識総動員で。
 そして、初ちゃんも隆弘くんもなかなか現れなかった。


「いや…だから…」
 初ちゃんと隆弘くんは飛行機の到着が遅れて夜になるらしいからとりあえず一度家に戻った。勿論剛志くんと斉木くん、都竹くんも一緒だ。
「パクったわけじゃなくて敬意を表したつもりだったんだけどな。」
 都竹くんが慌てて否定した。
「パクったなんて思ってないです、ただ今までになかったパターンだから戸惑ってしまって…」
 クスッと忍び笑いが聞こえた。
「ごめんなさい。盗み聞きになっちゃった。剛志くん、まーくん、都竹くんいらっしゃい。ただいま。」
 ついこの間まではランドセルが歩いているようだったのに、すっかりランドセルが聖の一部に溶け込んでいて見慣れた光景になっている。
「おかえり。で?何がおかしかったんだい?」
「都竹くんが可愛かったから。変なら変とストレートに言わないと陸には分からないよ。」
 うわぁ〜、聖に指摘されてしまった。
「変じゃないよ、イメージじゃなかったんだ。陸さんはメジャーコードだから、マイナーは似合わない。」
 都竹くんは聖とならすんなり話ができるんだなと感心してしまった。
「そんなこと言ったらマンネリになっちゃうよ。」
 僕は反論してみた。同じ事ばかり繰り返すのは性に合わない。
「僕は良いと思います。陸さんのマイナス面を垣間見た気がします。」
 斉木くん、マ、マイナスって?
「斉木くん、マイナスイメージはよくないという意味かな?」
 恐る恐る聞いてみた。
「いえ、今までとは違うマイナスのイメージというのは逆にプラスに働くのではないかと思ったのですが。」
 へぇ、そんなこともあるんだね。

たらりらりらりら〜

 突然、斉木くんの携帯電話がACTIVEの最新曲を演奏し始めた。
「お疲れです、あ、わかりました。」
 電話を切り、一度姿勢を正した。
「林さんから二人が来たから集合するようにとのことです。」
 みんな口々にだるいなぁ〜を別の表現で呟きながら立ち上がる。
「聖も来る?」
「ううん。これからさえちゃんのドラマ観るから行かない。」
 最近、聖がはっきりと自分の意見を言って僕の提案を拒否するから何となく寂しい。
「ハードディスクレコーダーに撮っておけばいいじゃないか、行こうよ?」
 聖がイヤイヤをした。
「みんなラブラブだからやだ。」
 みんな…ねぇ?…確かに剛志くんと斉木くんはラブラブだけど…今までの聖の反応とは明らかに違うので僕は戸惑った。
「わかった、じゃあ戸締まりに気を付けてな。」
「うん。」
 零が案外すんなりと了解したのでそれ以上、僕に出番はない。
「気を付けるんだよ、出来るだけ早く帰るからね。何かあったら、」
「陸、しつこい!」
 ガーン
 聖が…聖が…。
「…いってきます…」
 ほとんど音にならない声を掛けて出掛けてきてしまった。
「聖くん、好きな人がいるんだと思います。背伸びしたい年頃ですからね。」
 カチン
 なんだか斉木くん、なんでも知っていますって口調で聖の話をし始めるから思わず反論しようと口を開きかけたとき、
「従兄弟とかみんなあんな感じなんですよ。」
と、軽く流された。
 なんだ、従兄弟か…。
「陸さんは聖くんのことになると盲目的に突き進んじゃうんですね、ちょっと意外でした。」
「なんで?だって、聖が可愛いから。」
 斉木くんがにっこり笑って頷いた。
「そんなに愛情を示したら勘違いするかもしれないですよ?」
 勘違い…その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。
「なんで、そう思う?」
 それが、夾ちゃんにも当てはまるかもしれない。
「陸さんはみんなに優しいから一度は勘違いします。本質的には違うけど外見だけは確実に守ってあげたいタイプですからね。」
 守ってあげたいなんて…零もそう言った。
「どうしたら、イメージ変えられるかな?」
「そうですね…筋肉質な身体を作っ…」
「余計な事、言わないでくれる?筋肉質の陸なんか抱きたくない。」
 突然会話に割って入ってきたのは零。良いところなのに。
「それが狙いなんですけど。」
「なんで?」
 1から説明を始めた斉木くんであった…。


「あ…」
 花島大助くんがやばいと言っていたのはこのことだったんだ。
 初ちゃんと隆弘くんはフランスに行っていた。
 だから勿論本場のクラシックにも触れて来た。
「交響曲風にアレンジしたらいいんじゃないかと思うんだ。」
 零がくすくす笑いだした。
 つられて剛志くんも。
「陸、泣きそうになってるよ。」
 言うと譜面を初ちゃんに渡した。
「……」
 すると初ちゃんも笑いだした。
「クラシックTかな?タイトルは?なんで俺達こんなにいつまでも気が合うかな?普通喧嘩とかしそうだけどな。」
「初の人望だよ。」
 初ちゃんと剛志くんが嬉しそうに冗談を言い合う。
「やっぱり、五人で音楽演る話が一番楽しいよな。」
 全員、大きく頷いた。
 僕達は、どこまでもこのメンバーで歩いて行ける、そう、確信した。


「で?零と剛志は?」
 初ちゃんは忘れていなかった。
「家のリビングテーブルに忘れてきた。」
 剛志くんは子供の頃からピアノを習っていたので、譜面を見るより耳で覚えるほうが得意だったんだ。勿論、譜面を読めるんだけど、書き出すのは苦手…というか好きじゃないみたい。いつもごねるから。
「祐一のヤツが忘れてきた。」
 剛志くんが言ったのと斉木くんがテーブルに譜面を置いたのはほぼ同時だった。
「落としました。」
 ふーん、そういうことか。斉木くんもこの仕事を始める前は音楽活動をしていたんだ。だから譜面は読める…から、剛志くんのためにせっせと書き出していたんだろうなぁ…、なんだか…健気で涙が出ちゃうよ。…全く、剛志くんにはもう少し斉木くんを大事にして欲しいって思っちゃう。
 暫く初ちゃんが見ていたけど零の手に渡った。
「難しいね。」
「無理か?」
「まさか。僕に歌えない歌があった?問題があるとしたら剛志のキーボードのアレンジだけだ。」
 零と、剛志くんがニヤリと笑った。
「このバンドには天才がつくメンバーしかいない。」
 みんな、自分のパートには絶対の自信を持っている。
「なら大丈夫だ。」
「零のは?」
ポン
と投げ出された譜面には秋とは思えないくらい大量のオタマジャクシが発生していた。
「お前は俺らの腱鞘炎を悪化させる気かよ?」
 そうなんだよね、職業病とは恐ろしいものでみんな重症軽症に関わらず腱鞘炎持ちなんだ。隆弘くんはプラス腰痛。…なんだか僕たち、老人会の集会みたいだ。
「剛志くんと零はクラシックとは遠いね…テーマはどうしようか…?」
「アルバムのタイトルは『宿題』だそうです。」
 斉木くんが小さく答えた。
「…パパ?」
「はい、会長が…」
 全く!いつもいつも勝手なんだからー!
「いいんじゃないかな。宿題…んー、宿題…良い感じかな?」
 初ちゃんは考えた。
「テーマをどうするか…陸、何かない?」
「え?あ…学科。僕は社会。初ちゃんは歴史。隆弘くんは世界史。剛志くんが数学。零が生物。」
 初ちゃんが難しい顔をする。
「何で零が生物?」
「…譜面におたまじゃくしが一杯だから…」
 ……………
 一瞬の静寂の後、全員が笑った。そんなに可笑しかった?
「それ、いいね。じゃあ次は…」
 僕らACTIVEは、ミーティングに入ると延々と続く。
 もう暫くすると都竹くんと辰美くんがコンビニに走る。多分深夜まで誰も気付かずにあれこれと考えを巡らすんだろうな…。


「…ぁーくんは…するの?」
 ん…遠くから聖の声がする。
「…かな?」
カバッ
 僕は慌てて飛び起きた。
 夕べ、結局3時30分まで続いたミーティング。途中で初ちゃんと隆弘くんの帰国即ミーティングコンビがダウンしてしまったので、全員家に転がり込んだんだ。
 客間は修学旅行のように、雑魚寝状態だ。
 …聖の声がしたと言うことは、誰かが起きているんだね、って、寝室の扉が開いてる。
 急いでジャージに着替えてキッチンに飛び込んだ。
「あー、陸、おはよう。」
「おはようございます、陸さん。」
 キッチンに聖と並んで立っていたのは斉木くんだった。
 夕べ家に泊まったのはメンバーと斉木くんの四人。他のマネージャーさんやスタッフの人たちは事務所にある仮眠室で寝ているはず。
「みんなに朝食を作って持っていこうかと思って。」
 斉木くんは本当にスタッフ思いだ。
「僕も手伝う、顔洗ってくるから待っててね。」
「陸。」
 洗面所に向かっていた僕を聖が呼んだので振り向いた。
「ACTIVEのみんなの分はダイニングにあるからね。」
 もう、作ってあるんだ。
「…ありがとう。」
「うん。…陸、僕本当に一人でも大丈夫だから。お留守番できるから。心配しないでね。」
 そう、言っている聖の目は真っ赤だった。
 僕たちが戻ってくるまで、きっと眠れなかったのだろう。
 ごめんね。
 聖をこの家に呼んだことは、僕の自己満足だったかもしれない。聖は急いで大人になろうとしている。
 一生懸命おにぎりを握っている聖を、僕は後ろから抱きしめた。
「陸ぅ〜、おにぎりつぶれちゃうよぉ〜」
 だけど僕は聖を放すことが出来なかった。だって、泣いているのを見られたくなかったから。
 お願いだよ、聖、もう少しだけ子供でいてね。…僕の我侭だって分かっているけど、そのままの聖をもう少しだけ見ていたいんだ。