音楽の森
「うーん」
 初ちゃんが唸っている。
「うー」
 剛志くんも唸っている。
「はぁ…」
 僕は溜め息をついた。
「まだあ〜」
「飽きた。」
 零と隆弘くんはこの後、僕を含めた三人から思い切り痛い目にあった。
 ―ここはレコーディングスタジオ。
 パパからの宿題が無事形になり、レコーディングをはじめたのだけれどいざ始めてみたら一部アレンジがどうしてもしっくりいかないんだ―都竹くんに指摘された例の転調の部分なんだけどね。
 だけど僕は妥協したくないんだ。
「たいこだけにしたら?他の楽器全部止めて。三拍目からギターをいれたらいいじゃん。」
 隆弘くんの何気ない一言に、全員がぶつぶつと呟き始めた。イメージを固めているのだ。
「いいかも。」
「ああ」
 メンバー全員、無言で定位置につく。まずはドラムからだ。
 レコーディングは時と場合によるけど大抵はそれぞれの楽器毎に進める。最後に歌を入れる。この方が修正はしやすい。だけど臨場感にはかなり欠ける。だから時と場合によるんだ。
 そう、そんな時は一辺にせーので演るんだ。
 失敗した時のみんなの視線は怖いけどね。
「隆弘と陸、一緒に録らないか?」
 零が恐ろしい一言を吐いた。
「入って。」
 否応なしに初ちゃんは僕をブース内に押し込んだ。
 参ったなぁ、失敗出来ない。
「頭から行くよ。」
 外から初ちゃんがマイクを通して指示をする。
「陸、」
 隆弘くんが視線を楽譜に置いたまま話掛けてきた。
「昨日、やっとドラマを全部見たよ―エロカワだな。」
 は?エロカワ?
「何?鶏皮とかの知り合い?エロ…で始まる生き物…」
「エロチックで可愛いってこと。」
「え!」
「行くぞ!」
「あ?えっ!はい!」
 慌てて弾き始めた割には良い感じに出来た。隆弘くんはわざとあんなこと言ったんだ、僕がテンパってたから。
「よしよし。」
 赤ん坊に言い聞かせるみたいに頭を撫でながら誉めてくれた。
 メンバーにとって僕はいくつになっても子供なんだな…っていつも思う。それは多分、パパが僕を、僕が聖を大きくなっても子供扱いするのと一緒。
 だから…僕が甘えるんだ。


「陸さん。」
 斉木くんがなんだか深刻な顔でやってきた。
「テレビ番組に有名なミュージシャンを呼んでセッションする『音楽の森』って言うんですけど、知ってます?」
 少し考えた。
「んー…」
そこで聖が前に言っていたことを思い出した、
「見たことないけど聖に聞いたことがある。俳優さんが司会しているとかいう番組だよね?」
「そうです。俳優の山嵜延(やまざきすすむ)さんです。その番組から陸さんにオファーがあったんですけど…どうします?」
 えっと…僕にオファーってことは一人だよね?
「他には?」
「田沢 拝滋さんです。」
 え?
「マジ?」
 早い、早すぎるよ。
「この間お会いしたときにいつか一緒にやらせてもらえたらとは言ったけど無理だよ。」
「でも、僕はタイミングとしてはいいと思うんですけど。陸さんの曲は田沢さんに影響されているし、初さんも隆弘さんもクラッシックに感化された曲だし…。宣伝としてはこれ以上ないです。」
「うん…」
 僕もやってみたいという気持ちはあるんだけどさ、如何せん恐れ多い。
 でも、考えてみたら拝滋おじちゃんが指名してくれたんだし…少しは自負して良いのだろうか?
「受けてみようかな?」
「零さんと相談してください。返事はあとでいいです。」
 斉木くんはあわただしく去っていった。
「零って、僕の意志は無視かよ…」
「その言葉遣いは陸くんには合いませんね。」
「あ、林さん。」
 現場に林さんがくるのは久し振りなんだ。最近は総監督のように斉木くんや都竹くん達を動かしていたからね。
「とりあえず、零くんに相談してみたらいいですよ。陸くんにふさわしい回答をくれます。」
 そうなんだよね。
 零は僕より僕のことを理解してくれている。僕が零のことをそんなに理解できているかは…。
「林さんはどう思う?」
「それは…零さんに伝えておきます。」
 なぜに?


「そーいうことだったのか…」
 僕は唸るしかなかった。林さんにはめられたよ。
「零が、田沢さんを指名したんだ。」
 番組の大元の出演依頼は零に来ていたらしい。相手に指名したのは田沢さん。その田沢さんが更に僕を指名してきたのが真相らしい。斉木くんは肝心な部分をぶっとばして僕に話を持ってきたんだな、きっと。
「どうして拝滋おじちゃんは僕を指名してくれたんだろう?」
「陸が作った新曲の譜面を渡した。」
 え?
「林さんが番組からのオファーがあった時点で、僕はどうしても陸と一緒でってお願いしたんだ。だけどマンツーマンでって言われたからさ、だったら田沢さんが陸を指名すればいいんだなって気づいた。」
「あれ?じゃあ、零と一緒ってわけじゃないんだ。」
「陸、あの番組見たことないの?あれはリレー方式で相手を指名するんだよ。陸だったらきっと田沢さんと一緒に演りたいんじゃないかと思ったんだけどな。」
「うん。」
 零が僕の気持ちを理解してくれていたから、嬉しくて零の首に飛びついてしまった。
 その手を母親のような手つきでぽんぽんって叩く零の優しさが心に染みる。
「聖と僕より陸の方が信者になってしまったからさ。」
「えへへ。」
 次に、誰を指名するかなんて全く考えていなかったりする。だけど今は拝滋おじちゃんと何を演ろうか、何を話そうかで頭が一杯だった。



「先日、零君から譜面を貰ったんだけど、新曲なんだってね?」
 会っていきなり、拝滋おじちゃんが切り出してきた。
「ここの変調、こんなふうに変えてみない?」
 零が渡した譜面に、赤ペンでおたまじゃくしが書き込まれていた。
 頭の中で音を追いかける。
「…いいです、こっちの方が絶対にいいです、有難うございます。」
「補作曲に僕の名前を入れておいてね。」
 拝滋おじちゃんは笑いながらスタッフの方に去っていった。
 零はやっぱりわかっていたんだ。
 だから拝滋おじちゃんに渡したんだ。
 それを察してくれた拝滋おじちゃんに感謝してもしきれないなぁ。


 収録は対談から始まった。山嵜さんを司会に展開していく。
「ACTIVEのCD、全部聴いたんだけど、最近のキーボードの音が僕は好きだな。迷いが無くなった音だ。ギターにはまだ遠慮があるけど。どう?」
 拝滋おじちゃんは山嵜さんに同意を求めるが、彼は「私には分からなかったです」と、笑った。
「遠慮?ですか?」
「陸君は気づいていないのかもしれませんね。」
と、山嵜さん。
 僕には知らないことが多くて気づけないことがよくある。
「音って素直なんだよ。今の心が直に現れる。陸君の音は迷っている、それに仲間達は気づいていてフォローしようとしてくれている。特にボーカル、零君はずっと、そんな感じだな。」
「ずっと?ですか?」
「最初のアルバムからねずっと。」
 にっこりほほ笑みながら頷いた。
「オーケストラは全員の心が一つになって初めて音楽を奏でることができる。陸君たちだって同じでしょう?もっと仲間に心を開いて。…恋の相談は仲間にしたらいい。」
 え?
「おや、既にしたって感じだね?でも陸君の恋はなんだかとっても子供っぽいように思えるけど…ってこれは歌詞を見ての感想だけどね。」
 そういえばこの間もなんだか気付いているようなことを仄めかされたんだけど。
「何で、分かるのですか?」
「年の功。」
 ふふふ、と言ってまたほほ笑む。
「田沢さん、僕はどうしたら大人になれるでしょうか?」
「もっと恋人にワガママになったらいい。恋人は絶対にあなたの言うことをきいてくれる。」
「ワガママを言うと大人になれるのですか?」
「陸君は子供の頃から我慢をしていたのではないかな?ってこれは零君から聞いたんだけどね。我慢していたら自分を表現できない。今更親にワガママ言いたくはないでしょう?だったら恋人に言ったらいい。」
 山嵜さんが興味津々に僕を見ている…のが、目の端に映っている。
「…いない、時は?」
 のどがからからになって、舌が張り付いてしまったけれど、精一杯の思いでそれだけ、言葉にした。
「私に言いなさい。」
「はい。」
 拝滋おじちゃん、やっぱり気づいている?
「表現者は自由であるべきと言うのが僕の持論です。」
「そう、ですね、はい。」
 ビンゴ…だね。
 山嵜さんには分からなかったみたいで、収録後おじちゃんに意味を聞きだそうとしていたので僕は慌てて逃げ出した。



 結局僕の話で終始してしまって、おじちゃんの音楽修行の話はまた今度になってしまった。
 おじちゃんのピアノと僕のアコギでのセッションは…置いといて。
 とっても楽しくて有意義な時間だった。
 僕の、人生が変わる様な気がした。


「で?誰を指名したの?」
「伊那田 和海。」
「やっぱり。」
 定期ライブが再開し、楽屋での会話。
 全員が興味津々で僕に質問を投げかけて来たけれど、納得の回答だったらしい。
「いつ放送?」
「2ヵ月先。そういえば零を指名してきたのって誰だったの?」
「軽井沢 留衣」
 え?
 あの、オペラ界の姫?って言われている新進気鋭の?
「僕のファンだって言ってた。今度一緒に舞台に立ちませんか?だって、無理無理。」
 そう言って笑っているけど、零だったらいつか、きっと可能にしてしまいそうな気がする。