| ただいまー、と威勢良く聖が玄関ドアを開けた。 バタバタと廊下を歩く音。もう少し静かに歩くように言っているんだけどわざとやっているようだからしばらく静観している。
 「ねー、陸。先生が夕べの零くんのラジオ、もの凄いこと言ってたって言うんだけど何を言ったの?」
 僕は手にしていた包丁を取り落としそうになるほど動揺した。
 「陸もいたよね?」
 そりゃあ、二人で家を空けたしね。
 「どうせ、また録音してあるんだよね?」
 「うん。」
 はぁ…ため息。
 「セイの話をしちゃったんだ。」
 「えっちな話?」
 わざとボケてくれたのかな?
 「違うよ、君の話。」
 「なにかいけないこと?」
 別に聖の話はいつもしているからいいんだけど…。
 「聖が寝室を覗くって言った後に、大人の夜に興味を持つ年頃だから気を付けないとって言ったんだよ。」
 別段顔色を変えることもなく、平然と「なにを今更…」と呟いた時には僕が動揺したよ。
 「零くんと陸が仲良いのは分かっているもん。」
 「そうじゃなくて…聖が何に興味を持ったのかっていうことに関してメールが一杯来ちゃったんだよね。零は寝室で何をしているかなんて言ったんじゃないから、大丈夫だと思ったんだけどさ、僕たちが一緒に住んでいるってことは知られているから、二人の関係を聞いてくる人が多くてね。スタッフの人が途中で気づいてメールを読むのは止めたんだけど、明確な答えをまだ出していないから、次回の放送で零は釈明しなきゃいけないんだろうなぁ…可哀想に。」
 僕にとってはこの時点では完全に『零のこと』として受け止めていたから、自分自身の身に降りかかってくるなんて、到底考えていなかったんだよね。
 聖は特別に何にも感想がなかったらしく、「ふーん」とだけ言って部屋に消えていった。
 ちょっと早目に晩御飯を聖と済ませて(零は別の仕事先から合流)、僕はテレビ局へと向かった。
 
 
 夕方の都内の道路は意外と混んでいて、そういえば今日は五十日(ごとうび)だったなぁ…などと考えて、頭の中で計算をする。
 なんとか時間までには間に合うかな、と当たりを付けて、近道をするべく脇道にそれた。
 最近は随分道路事情にも詳しくなったから、どこが一方通行でどこが子供が多くてどこが穴場かが分かるようになってきた。
 でもこれは零のお陰ではなくて、斉木くんに伝授してくれた剛志くんのお陰です。多分少しでも長い時間、2人でいたいと思っている剛志くんの苦肉の策だと思う。
 だから僕は最近自分で車を運転して現場に向かう。時々都竹くんも同乗するけど、彼はまだ免許取り立てなので僕が道案内している状態なんだよね。
 運転しながら考え事はいけないって分かっているけど、ついつい、夕べのことを思い出してしまう。
 小学校六年生くらいの子は、性に対してどれくらいの興味とどれくらいの知識を持っているんだろう?
 一般の子供が分からない。
 零は自分から両親の行動を見て知ったんだけど、僕もパパの行動から色々知った方だから意外と早かった気がする。
 聖には僕が早くから教え込んだから今更って気がするけど、他の同級生とかは知っているんだろうか?
 誰に聞いたら分かるのかな…。
 グルグル考えていたら現場に到着。
 とりあえず、後で考えよう。
 
 
 控え室に入るとそこにいたのはマネージャー三人。
 メンバーじゃないことでちょっと気が緩み、早速疑問を投げつけた。
 「中学生…じゃないでしょうか、きっかけは。エロ漫画とか学校で回し読みしましたから。」
 都竹くんはそう言った。
 「だけど女の子の生理が始まる頃に小学校でビデオを見たじゃないですか、受精の仕組みみたいなの。だから小学校六年生だったら当然知識はあるんじゃないですか?」
 とは辰美くんの意見。
 「受精させる行為は教えないんじゃないかな?」
 これは斉木くん。
 …先生に、聞いてみよう。
 
 
 皆が来る前にメイクを済ませてしまおうと、メイクルームへ向かった。
 いつものメイクさんがなんだか五割り増しの笑顔で迎えてくれたのには、訳があったんだ。
 椅子に腰掛けて首にタオルをかけてもらった時だった。
 「夕べのラジオ、聞きましたよ。」
 キタッ。っていうか、僕にも聞くのか…そうだよな、一緒にいたんだから。と、心の中で自問自答。
 「陸さんのご自宅って大豪邸じゃないですよね?」
 「う・うん…?」
 質問の真意が読めない。
 「じゃあ玄関は一つ?」
 「うん…」
 「誰かが来たら分かりますよね?」
 「うん…大体、僕が出るかな?」
 「最近、誰が来たんですか?」
 …最近?
 「零のお母さん…くらいかな?」
 「陸さんだけが留守にすることもありますよね?」
 「そりぁ、仕事があれば…って零の女性関係が聞きたいの?」
 「えー、やだぁ〜そんな、零さんのタイプなんて聞いていません〜。」
 いや、言ってない、言ってない。
 「インタビューとかでは声が小さくて上目遣いに男を見るような気の弱そうな子って言っているんですけど、私はどうも違うような気がするんですよ。多分ちゃんと自分の仕事に誇りを持って働いているような子じゃないかなぁ…って。どう思います?」
 せーかい。いいところ突いてるね。
 「聖くんのお母さんってどんな人なんですか?」
 「聖…の?零のお母さん…。」
 「えっ?聖くんって零さんの子供って噂ですよ。」
 何?それ?
 「知らないよ、そんな話。」
 「じゃあ本当に零さんの弟なんですか?」
 「うん。」
 ごめん、半分だけ嘘。
 「昨日のラジオが騒動になっているのは、聖くんのお母さんが長い別居を経て、ついに帰ってきた…ってことを零さんが非公式に伝えたかったんじゃないかってことなんですよ。だから陸さん、これからどうするのかなぁ…って。実家に帰るんですか?それともどこかで独立するんですか?」
 …
 「どれも、不正解…僕はまだ零と聖と同居を続けるつもりでいるよ。」
 そういう事だったのか。
 「あ、陸、ここにいたのか。」
 そこにタイミング悪く零がやって来た。
 「今日の収録だけどさ…」
 零は平然と仕事の話を始めた。
 
 
 「ふーん。」
 零は興味なさそうな返事だ。
 「今朝、インターネットで話題になっていたよ。」
 「そうなの?」
 「うん。」
 「そっか…」
 控え室で着替えに手間取りながら(先にメイクをしたのは失敗だったことに今更ながら気づいた)零にゲットした情報を伝えたのに。
 「だけど、どんな言葉がどんな風に伝わるか、全く分からないよね。」
 零がもうウンザリした…という口調で愚痴った。
 「気をつけているつもりだけど、とんでもない発言をしていることってあるんだよね。」
 気付かないうちに誰かを傷つけてしまう発言…って、確かにある。
 「だけどさ、それをいちいち取り上げていたらきりがないなって思うんだけど…それは当事者だからそう思ってしまうのだろうか?それとも第三者的な意見だとどうなんだろう?」
 僕は、言葉にする前に考えてみた。
 今回の零の言葉は誰かを傷つけたわけではない。零のプライベートが気になるファンの人たちの憶測に火を点けただけだ。
 「今回のことに関しては、そんなに問題はないと思うんだけどね。だけど、今後も同じようなことがないよう、ちゃんと事前に話すこととかを考えてからにしないといけないね。仕事が忙しいとか言って、打ち合わせをいい加減にしていたツケが回ってきたんだね。ラジオの担当さんにちゃんと話して、打ち合わせの時間を作ってもらおう。」
 これが、僕の意見。
 「そうだよな、うん。」
 零はなんだかちょっぴり嬉しそうな顔で、メイクルームに消えていった。
 「陸がちゃんと意見を言ってくれたから、零は嬉しいんだよ。」
 剛志くんがポツリ、言った。
 「えー、僕はちゃんと何時だって自分の気持ちは話しているよ?」
 「それでも、しっかり考えて答えられるようになったじゃないか。今まではもじもじしながら最後にポツリと発言するみたいな感じでさ。」
 そう言われれば、そうかも。
 「なーんか、陸が陸っぽくなくなってきた感じじゃん?」
 隆弘くんが後ろから僕を羽交い絞めにしながら絡んできた。最近、隆弘くんは元気がなかったから、ちょっと嬉しい。
 「隆弘…くんっ、くるし…い〜」
 「この様子じゃ、まだ零とは上手くいってるんだな。残念。」
 それだけ言うと、スッと僕から離れて行った。
 「隆弘くん、どうしたんだろう?」
 「別れたんだよ、例の彼氏と。」
 「え?」
 「気づかなかっただろ?元気がないだけで、それ以外は坦々としていたから。」
 剛志くん、いつ聞き出したんだろう?
 「あいつ、半年近く海外にいたからさ、相手の…なんだっけ?あの、俳優の卵の…」
 「馬砂喜くん?」
 「そうそう、それそれ。そいつが女と出来ちゃったらしいんだ。」
 そっか、女の子に、走っちゃったんだ。隆弘くん、ショックだろうなぁ…。
 「陸。そっとしておいてやれよ?陸が慰めることは出来ないんだからな?」
 「どうして?」
 「また、零ともめるだろ?」
 また?
 「…剛志…くん?」
 剛志くんが「しまった」って顔をして俯いた。
 「…零って全部剛志くんに話すんだ…」
 かなり、ショック。
 「違うって。何があったか本当に知らないんだよ。だけど、零が物凄く落ち込んでて、陸のこと殺すって勢いだったからさ…零はさ、陸の前ではいつだっていいカッコしたいんだよ。感情的になった姿、見せたくないんだ。それで陸のこと傷つけたことがあるって言ってた。原因を作ったのは自分だって、何も判らなかった自分が不甲斐ないって、言ってた。」
 零は、まだ夾ちゃんのこと、引き摺ってる。当たり前だよね。
 「零はそれだけ…」
 剛志くんが声をひそめて、僕に耳打ちした。
 「陸に溺れてる。」
 一気に顔が赤くなるのが自分でもわかった。
 「今日も生放送だからさ、発言には注意しろよ。」
 剛志くんってばー。
 
 
 夜。
 仕事から戻って、お風呂上がり。
 そのまま寝室へ向かって、ドアを開けた途端、零に抱き締められた。
 「寝室は、愛の営みをするところ…そう、言いたかった。だけどほんの少しの理性がそれを押し止めた。陸が、目の前にいると僕の思考は停止する。全てが陸一色になる。…愛してる。これ以外の言葉がみつからないのがもどかしい位、愛してる。」
 静かに、唇が僕の上に降りてきた。
 「だから、聖がいるときには陸を抱かない。陸とのセックスは、神聖なものなんだ。」
 「我慢できるの?」
 「陸は?」
 僕は…笑ってごまかした。
 だって、零が我慢できるなら、僕も我慢する。ううん、出来る。
 「聖が学校に出掛ける時間は何時だ?」
 …おいおいっ。
 
 
 零が楽屋に居なかったのは、あちこちの番組で出番待ちをしている人たちの楽屋訪問をしていたんだそうだ。
 「皆がどうやって恋愛しているのか、知りたかった。」
 殆どの人たちが(俳優さん、ミュージシャン、アイドル、芸人さんなどなど…)事務所から、見付からないようにだったら構わないけど、見付かったら別れてもらう…みたいなことを言われているらしい。
 ファンの人たちが一番知りたいことは、絶対に知られてはいけないことなんだなぁ。
 「大体が自分のマンションに相手を連れ込むんだってさ。それはマスコミの人たちも知っているから、マンションに一緒に入った人はイコール相手みたいな図式らしい。そうなると僕らのことが疑われるんだよ。…だから皆がマスコミに口封じをしてくれたんだ。僕は聖ももう来年には中学生になるんだから、わかってもいいと思っていた。…陸は僕のもんだって、皆に言いたいから。だけどそれはここに居る限りは暫く無理みたいだ。」
 そうなんだろうか?
 「聖が、高校生になったら。僕は公表してもいいと思っている。最初は二十歳かなって思ったけど、聖はちゃんと理解している。」
 約束も、あるしね。
 「ねぇ、零。僕はずっと、零を好きでいたいと、この先もずっと零を好きでいたいと思っている。…ううん、多分ずっと好き。好きって気持ちは休まなければずっと好きなんだ、僕はね。」
 零が小さく笑った。
 「ずっと…か。陸は休みなく僕を好きでいてくれたんだ、そしてこの先も。」
 零の手をぎゅっと握り締め、瞳を見詰めた。
 「うん。」
 我侭を言ったり、不平不満を言ったり、意地悪したりするのも、全部零が好きで、零も僕を同じように好きだと、確認するためなんだ。
 いつだって、相手の気持ちが自分の上にあるかどうかは不安。
 「あっ!!」
 「ん?」
 「あのね、剛志くんがね、隆弘くんと馬砂喜くん別れたって言って…」
 「ストップ!!」
 零の掌が僕の口を封じた。
 「余計なことはしない。隆弘には隆弘の考えがあるし、想いがある。」
 「だけど…」
 「隆弘が相談に来たら乗ってやればいいだろ?」
 うん…だけど…。
 「そんな、色っぽい目で見てもダメなものはダメ。」
 ええっ、そんな目付きした覚えがありませんが?
 「不服の申し立ては受け付けません。仕事行くぞっ。」
 いいもんっ、勝手にやるもんっ。
 
 
 「勝手なことしたら、…浮気してやる。」
 
 
 ええっ。
 
 
 ん?
 
 
 先手必勝…。それならいけるかも?
 
 
 僕は零に隠れて不敵な笑みを浮かべた…つもりだけど、バックミラーに映った自分はただほくそ笑んだだけだった。
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