003.理由
 俺が地元に戻ってきた理由。
 ま、理由があったと言えばカッコいいように聞こえるけど、就活に失敗したのがそもそもの始まりだった。
 大学の就職情報も無くなりかけていた頃に何気なく見たアルバイトの掲示板に「正社員同時募集」の文字。
 思わず齧り付いたら地元、しかも家の直ぐ近くだった。
 面接してもらったら即採用という今までの苦労はなんだったんだ状態。
 仕事はあればいいと思っている程度の人間だ。
 なにかをしようと思っていたわけではない。
 追いかけている夢があるわけでもなく、何かを成し遂げようとしていることも無い、詰まらない男だ。
 仕事して給料もらって、食って行ければいい。
 時は過ぎて年取って死んでいく。それでいい。
 世の中の邪魔にならないようにひっそりと生きていこう。
 睦城の女装姿を見たときに、思った。


 大学を卒業し、地元に戻ってきた日だった。
 JR横須賀線から連絡通路を通り江ノ電の改札へ向かった。
 荷物は送ってしまったから手荷物程度しかない。
 改札を抜け、ホームに差し掛かったとき、何となくホームを見てフリーズした。まさにロックオン状態だ。
 もう、恋なんてしない…そう、誓ったのに。
 俺のハートは、誰かに縋りたいのだろうか?
 少し俯き加減にして列に並んでいた。
 手元を見たらスマホをいじっていた。
 身長は175〜8センチ位だろうか?ま、そこには多分に願望も混じっている。
 最近はあちらこちらから流入してくる人が多いので、同年齢くらいかなと思っても、同窓生ではないことがある。
 見覚えがないからそういうことだろう。観光客の可能性もある。
 昔の観光客は着飾っていたが、今はジーンズにティーシャツの出で立ちでやってくる。
 江ノ電がホームに入って来た。
 車内でも、ずっとその人の横顔を見つめてた…。
 その日はそれだけだった。
 追い掛けなかったのは、同じ駅で降りたことと、ごく自然に道を歩いていたこと。
 何となくだけれど、地元感があった。
 ということは、また会えるということだ。
 案の定、週に2回ほど電車内か駅のホームで見掛けた。
 でも、相変わらず追い掛けることは出来なかった。
 どうやって知り合いになれるか、模索中。
 …そんな時に睦城が現れては困るんだ。
 いや、現れた方がいいのか?
 大体あの人の性癖を知らないし…。
 八方ふさがりだ…。


 元カノが現れてから美矢間君の元気がないね〜と、パートと店長が俺の後ろで聞こえるようにひそひそ話をしている。
 そうか、彼女たちには睦城が元カノに見えたのか。
 ということは、自分の性癖は知られていないということなんだな。
 俺としては別に自分がどういう嗜好の持ち主か、知られても一向にかまわないのだが、世間の風潮からして他人と何か
が違う人間は排除される傾向にある。
 社会人として、ごく普通の人間を演じていなければならないのだ。
 …ま、好奇の目に晒されなければいいということなのだが。
 そう言うことで、女装してきてくれたことにちょっとだけ睦城には感謝している。
 しかし。
 『元カノ』という認識でいるために、女の子を紹介してくれようとしているのだ。はた迷惑である。
 一応、今のところは仕事を覚えたいから恋愛はもっと先にとは言ってあるけど、いつまでこれが通用するかわからない。
 年上の女性はどうしてすぐに誰かを紹介したがるのだろう…。必ずしも気にいるとは限らないのだから、気まずい思いを
することになるって気付かないのだろうか?
 商品が欠品していたらいけないと思い、店先を覗いた時だった。
 店の前をあの人が、通った。