016.次から次へと
 はぁ…
 今日は何回ため息をついても、先輩は何も言ってこない。
 多分俺のため息なんて耳に届いていないはずだ。
 当の本人だって何度もため息をついている。
 朝、出勤して来たら先生から引退を宣言された。先生の弟弟子という人に紹介してくれるというが、俺は先生が好きで弟子入りしたんだ。別の人の所へ行く気はない。
 先生の引退まであと一年。
 一年で独立するか、新しい師匠の下で勉強し直すか、難しい選択だ。
 大体、俺は最初から真面目ではなかった。
 何時でも頭の中では侑のことばかり考えていた。
 どうしたら自分の思いが成就するか、そんなことばかり…。
 この先一年間は、仕事に集中しよう。
 先生の教えを全て身に着けることが出来るよう、精一杯努力しよう。



「うん、それが良いと思う。」
 侑はすぐに賛成してくれた。
「それじゃあ、一年後に睦城が出した答えが、俺の転機になるんだな。」
 ん?
「だって、店を出すか、修行を続けるかってことだろ?」
 あ、そうか。
「ううん。修行は一年で終わり。他の先生には着かない。選択肢は二つ。進むか辞めるか。」
 侑は分かったと頷いて帰路についた。



 それから、侑は一切自分の仕事の話をしなくなった。
 時々、アパートにやってきて食事を作ってくれて、作り置きの物を冷蔵庫に入れておいてくれる。
 そして更に間隔を置いて、横浜や東京の美術館や博物館へ連れて行ってくれた。
 これは彼なりの優しさなんだろう…。
 和海にも同様の話をしてあるが、それ以来連絡が無くなった。これも彼なりの優しさだと思う。
 俺は思いっきり勉強だけに神経を注いで過ごした。



 睦城が仕事に集中している間に、俺にできることをしようと思った。
 まず、佐貝さんに話をして、自分の立場を明確にした。
 それから、店の経営について勉強した。
 更に、適当な工房兼店舗となる物件を探した。
 睦城が、辞めると言わないように。
 二人で、これから先の人生を歩んでいけるように。
 産まれてからずっと、鎌倉に住んでいたのに、こんなに鎌倉について知らなかったんだとつくづく痛感した。
 そして、ベストな場所を見つけ出した。
『睦城、良い場所を見つけたから、都合に良い時に連絡が欲しい』
 メールを入れたら直ぐに返事が来た。
「どうしたんだよ、最近全然来ないから、捨てられたのかと思った。」
 笑いながら言っているから本気ではないんだろう。
「工房家兼店舗兼住居を見つけたんだけど。」
「なにそれ?すごくいいね。」
「坂の下」
「イイね、場所が。実家に近いしね最近カフェが多いからお客も増えそう。」
「その、カフェに睦城の作品を置こうと思うんだ。」
 睦城は少しだけ考えていた。
「うん、いいと思う。」
「わかった、じゃあ契約するよ?」
「え?もうそこまで話が進んでるんだ。」
「うん。詳しくはまた行った時に話す。」
「了解…待ってる。」
「うん」
 カフェで、今の会社の土産物を売る。
 いずれランチや喫茶が出来るようにするけど、最初はお茶と菓子だけで行く。
 これなら誰でも頼めるし、今の会社を辞めても角が立たないと思うんだ。
 本社に近いのがネックだが…。
 海にも近い、大仏や長谷観音の観光ついでや成就院の恋愛祈願に来た女性もターゲットになる。
 …と、この計画を会社で辞表と一緒に話したら、その事業は会社で引き受けるから辞めないで企画書を提出しろと言われた。
 土産物屋で試食と一緒にお茶を提供するのはOKらしい。
 俺が見つけた物件を会社で契約してくれて、なんだかとんとん拍子で話が進んでいった。
 店内装飾も俺の好きなようにしていい、置きたい商品も好きなものを選んでいい、他にこんな商品があったらいいのではないかという提案も依頼された。
 ま、この時点で俺の所属は商品販売部兼開発部となっていたのだが…。
 店の二面はベンチを置き、一面は鎌倉彫の展示販売、一面は大きく開口した入り口とレジ。会社の商品は中央にどどんと積み上げようと思っている。
 なんだか…超絶忙しくなって来た。