037.特別じゃない
 そろそろ時間かな…そんなことを考えながら覚醒する。
 時計を見るとあと20分くらいで目覚まし時計のなる時刻だ。
 隣では、睦城が静かな寝息を立てながら、寝ている。
 その唇に自分の唇を押し当てる。
「おはよ」
 まだ瞼はひらない。
「おはよ…もう時間?」
「そう、時間、」
 言いながら、身体を抱き寄せる。
 睦城は再び眠りにおちそうになっている。
「好きだよ。」
 腕をほどき、布団から這い出る。
「睦城、布団たたんどいてな。」
 言うと、部屋を出て洗面所へ向かった。
 口に歯ブラシをくわえたまま、キッチンへ向かうとまず、ヤカンに水をたっぷり入れて火に掛ける。
「侑ぅ、」
 まだ寝ぼけているようで声が若干甘え口調だ。
「ん?」
「今日、漆職人さんの所へ行くんだった。」
「そうだっけ?なら急いで朝飯食わないとな。」
 炊飯器はタイマーを掛けてあるから、もうご飯が炊けている。
 冷蔵庫に味噌玉を作ってあるので、お湯を入れれば味噌汁が出来る。
 大根と豚肉を煮た物を夕べ作っておいた。
 サラダもポテサラがある。
 完璧じゃんと、心の中で自画自賛。
 洗面所へ戻り、水を流す。そこへ手を入れ顔を洗いながら口を濯ぐ。
 俺用に掛かっているフェイスタオルは、近所の材木屋で貰った、ロゴ入りの物だ。
 ついでに睦城のフェイスタオルは、前に横浜で買った今治産のタオルだ。
 洗面所の棚に置いてある、電気カミソリ用ローションを塗ってから髭を剃る。
 大抵はこれで大丈夫だが、念には念を入れるときは、剃刀を使う。
 大体身支度は終わったので、朝食の準備に掛かる。
 それぞれの皿におかずを載せて、最後に茶碗にご飯をよそう。
 炊飯器からは食欲をそそる匂いが立ち上がっている。
「睦城ー、ご飯できたよ」
「はーい」
 毎朝、返事だけは良い。
 しかし、なかなか来ない。
「睦城?」
「出掛けるんだろ?」
「うーん」
 歯切れが悪い。
 きっと、そうだ。
 洗面所へ行くと、案の定髭剃りに苦慮していた。
「本当に職人なのかと疑うよ。」
 朝の睦城は、恋人ではなく、大きな赤ちゃんだな…言わないけど。
「彫刻刀は問題なく使えるんだけどなぁ、剃刀は苦手なんだ。」
「だったら電気カミソリ使えばいいのに。」
「うーん」
 ここにも睦城のこだわりがあるらしい。
「侑ってさ、いっつも僕のこと可愛いって言うだろ?」
 え?俺?
「うん、言う。」
 実際、可愛いもん。
「その可愛いは電気カミソリだと作れないんだ。」
 …よく分からん。
 でも、睦城は俺のためになんだかわからない努力をしてくれているようだ。
「ありがとう。」
「いや、礼を言われるようなことでは…」
 言って照れる。だから、可愛い。
「じゃあ、ご飯にしようか。またバイトの連中がやってくるからさ。」
 バイトと言っても姉貴と佐貝だけど。
「侑、」
 名を呼ばれ、振り向いた。
「好き。」
 言うと、唇を重ねてきた。
 可愛らしいキスだったけど、悔しいので、腕を取り引き寄せ、角度をつけるて、キスを深めた。
「んっ、」
 腕の中で、睦城の息遣いが苦しげになってきたので解放する。
「…ずるい」
「なにが?」
「僕にも、キスの仕方、教えてよ。」
 は?教える?
「そんなもん、実践で磨くもんでしょ?」
 俺は、態勢を整え、もう一度キスをした。
 いつもの、全くと言って良いほど、ごく普通の特別でも何でも無い、一日のはじまり。
 …階下で、左貝の声がした…気がする。
 ま、いっか。