| 「ただいま」 店先に睦城が立つ。
 今日は朝食の後、漆職人さんの所へ行くと言っていた。
 いつもは裏にある二階の居室専用階段から、家に入るのに珍しいな…と思いながら顔を見ると、なんとも表現が難しい、しかし明らかに嬉しそうな表情を浮かべていた。
 「お帰り」
 「これ」
 そう言ってポケットから、小さい紫陽花の根付けを取り出した。
 「やっぱりプロに仕上げして貰うと見違えた。」
 睦城は、自分でも漆を扱う。師匠が全行程、自分でやることにこだわっていたからだそうだ。
 でも、今日は職人さんの元を訪れるというので、何か思うところがあったのだろう。
 「睦城が仕上げたって綺麗だったけどな。」
 「うーん、そうか、素人さんにはそう見えるのか…」
 今度は如何にも残念そうな表情をした。
 「侑…あ、いらっしゃいませ。」
 何か言いかけたとき、タイミング悪くカフェに客が来た。
 場所柄、ちょっと休憩、という客が多い。
 喉の渇きを癒やすと言うより、ちょっとだけ座って休憩という客だ。
 観光地に行くと、意外と座れる所が少ないことに気付いた。
 だから、二人掛けのテーブルと椅子を多めに配した店内になっている。
 睦城は上に指を向け、ニコリと笑って店を出た。
 
 
 「確かに、並べてみると全然艶が違うな。」
 一段落したところで、左貝くんにカフェを任せて遅い昼休憩を取った。
 平日は昼は一旦看板を下ろす事が多いが、左貝くんが来てくれる日は開けておく。
 左貝くんは実家の後を継ぐ決心をし、現在肉屋の修行をしている。
 名物の焼き豚は、まだ父親が作っている。週に一日だけ、左貝くんは修行のために厨房に入るが、まだ売り物にならず、翌日うちに持ってやって来る。サンドイッチの具材にするためだ。
 商品にならない物なので、ほぼ材料費で卸して貰える。
 そのサンドイッチを手に、二階のダイニングテーブルで休憩中、件の根付けを再度見た。
 「でしょ?細かい点が僕だと無理があるみたいなんだ。」
 「でも、師匠さんからはお墨付きを貰ったじゃないか。」
 「経験値だと思う。だからさ、細かい彫りはお願いして、ラフな物は自分でやろうかと思うんだ。そこで金額に差をつける。」
 睦城は睦城なりに、試行錯誤しているわけだ。
 「実はさ、職人さんは僕のこと、知っていてくれたよ。雑誌で見たって。」
 「有名人じゃないか。」
 「侑だって、有名人だよ。職人さん知ってたもん。」
 帰宅時とは違う笑顔が向けられた。
 「…アンケートなんかに答えなきゃ良かったな。」
 「アンケート?」
 「うん。インターネットで、鎌倉の穴場ってあってさ。そこに侑のこと書いたら採用されてて、店を取材に来た。」
 あ、いつだったか、口コミで来た取材があったな。
 「睦城だったんだ。」
 「多分。その辺りから侑目当てのお客さんが増えた。」
 嬉しいようなどうでもいいような…。
 「嫉妬してくれるんだ、嬉しいな。」
 「馬鹿にしてるだろ?僕はね、幼稚園からずーっと、侑だけが好きなんだ。」
 その時、ちょいちょい出てくる幼稚園からというフレーズが気になった。
 「睦城?もしかして幼稚園一緒?」
 無言のまま首を縦に振る。
 「そっか。ごめん。」
 「ううん、侑が謝る事じゃないよ。僕が意気地なしだっただけ。友達になりたくてもクラスが違ったから。」
 俺達の幼稚園はクラス単位で活動するので、隣のクラスは全く話をしなかった。
 それが睦城との壁を作っていたとは知りもしなかった。
 「中学の時に、勇気を出してくれたんだ?」
 俺は、悉く睦城に関しては、勘違いだったり、気付かなかったり、遠回りしたり、本当に不誠実な人間だと思う。
 「これからは、大事にするから。」
 このままベッドに連れて行き、押し倒したいのはヤマヤマだけど、相変わらず下から左貝くんが呼んでいる。
 耳元で「夜にね」と、囁き、俺は階下へ降りた。
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