僕は時々、引退した師匠の家に相談へ行く。
本来、鎌倉彫とは芸術作品だ。その芸術性を極めていくことが必要なのだが、それでは生きて行くことが出来ない。
芸術家であることと雑貨として生産することを、きちんと理解して、頭と心で切り替えていく作業が必要だ。
今のところ、僕は作家というより一制作者でしかない。
作品展に出品出来るほど優秀な作家ではない。
生活の中に、商品として潤いとして置いてもらえたなら幸せだ。
「おかえり」
「ただいま」
空元気を出しても、侑にはバレてしまう。
なのに今日は何も言わない。
「少し、向こうの部屋に居る」
「分かった。」
まだ、夕飯には早い時間。
「あ、睦城。少し出掛けてくる。」
「あぁ。」
侑は優しい。
気を遣って僕を一人にしてくれるんだ、きっと。
僕の制作用の部屋で、丸い盆に向き合う。
実家の山に咲く、藤の花。
何度も心を奪われたこの花を表現したい。
しかし、師匠は今の僕では無理だと言う。
きちんと所帯を持って、安定した生活をしろと言う。
安定した生活は送っている。
結婚しましたと、言えないからいけないのか?
一度、師匠をここに招待した方がいいのか?
恥ずかしくはないが、否定はされたくないのだ。
ただでさえ、母に否定され続けているから。
母は、僕が女の子を連れてくると信じて疑わなかった。
ずっと、侑の話しかしてこなかったのに、どうして女の子と未来を夢見るなんて思ったのだろう?
僕を否定しないでいてくれる、侑を幸せにしたい。
それだけのこと。
しかし、それは逆に僕が母を否定しているのだ。互いの気持ちがすれ違っていく。
でも、今は母には父がいる。
ずっと、愛人の子供で、私生児だと、思わされる節が多かった。
それが、突然単身赴任していたのだと言われても、信じる方が無理だ。
戸籍を見れば分かる。
それでも信じた振りをしてやるのが、子供としての精一杯の愛情だ。
母親にも、それに応えて欲しいと思うのは身勝手だろうか?
何と言われても、僕は侑を手放したくない。
僕がサラリーマンにならず、手に職を持ったのはそんなこともあるからだ。
ただ、『鎌倉』に拘りすぎてしまった。
この場所から離れられない。
「ただいま」
侑が帰ってきた。
僕はその事実だけで浮き足立つ。
本当に本当に、侑が、侑だけが居てくれれば、何も要らない。
「たこ焼き買ってきた。食べよう?」
僕は思わず吹き出した。
「たこ焼きって言ったら鎌倉駅前まで行ったの?」
「いや、今は長谷観音の前にもあるよ」
「…バレてた?」
「まあ、な。」
それでも黙って見守っていてくれる。
「あのさ、師匠に、会ってくれないか?」
「いいよ。」
何でとかは全く聞かない。侑は僕なんかより全然大人だ。
「会社勤めではほぼ着なかったスーツも偶には役に立つな。」
店の硝子に映る自分の姿を見て、満更でもなさそうだ。
「侑のスーツ姿は見惚れる。」
「睦城のスーツ姿は色気がある。」
互いに褒め合いながら帰路に着く。
「師匠さん、気付いてたんだな。もっと早くに行けば良かった。」
「うん。」
今日師匠に会いに行った。侑を紹介したら、早い段階で僕がゲイと気付いていたと言われた。
「別に身を固める相手が女じゃ無くてもいい、生活に潤いがあれば問題ない」と、優しい目差しで祝福してくれた。
帰り際、「彼は一度ウチに来たことがある」と、教えてくれた。
「侑」
腕に腕を絡める。
「裏の銀座アスターで飯食っていこう?」
「あ、なら津久井でお好み焼きがいい」
「いいね、行こう」
「入れるかな?」と言いながら腕は離さずに歩いた。 |