| 壁の時計と自分の腕時計を何度も見た。時間は正確だ。 「夏神(かがみ)さん、そろそろ帰る時間だよ?」
 常連客の一人、夏神さんという女性が今日に限って閉店時間を過ぎても帰らない。
 「この後用事があるんだよね。」
 「店長さん、好きなんです。やっぱり諦められない。」
 突然椅子から起ち上がると、抱きついてきた。
 「夏神さん、ごめんなさい。私には結婚と同等の誓いを立てた人がいます。だから、貴女の気持ちは受け取れないんです。」
 いつも通りの回答でやり過ごせると思っていた。
 「一回だけ、一回だけ抱いてください。」
 「無理です。私は貴女では勃たないんです。」
 「それは女性として魅力がないということですか?」
 「違います、貴女は可愛らしい顔立ちだし、性格も素直で優しい。でも、私には既に相手が居るから、その人と抱き合いたい。一分でも長くその人と居たい。」
 腰に回された腕を解いた。
 「ありがとう、ごめんなさい。」
 「侑?」
 ヤバい、睦城が降りてきた。
 「あ、まだお客様がいらしたんですね、失礼しました。」
 睦城が、微笑む。
 最高に綺麗で、冷酷な笑み。
 俺の横に立ち、夏神さんの耳元で囁く。
 「そんなに痩せてたら、侑が気持ち良くなれない。」
 夏神さんが後退る。
 「可愛い声で鳴ける?」
 「睦城」
 「それより、僕が許さないけどね。学校で習わなかった?他人の物に手を出したらイケないって。」
 夏神さんは飛ぶように帰って行った。
 「侑、ごめん。」
 睦城は困ったように俯いて見せた、見せているだけだ、目が笑っているから。
 「ブラックな睦城って、いいな」と囁き、抱き締めた。
 「偶には俺にもそんな顔を見せてよ、そそられる。」
 「その気になる?」
 「それはいつものこと。」
 態と音を立ててキスをする。
 「カッコいい睦城も好きだ」
 今度は照れている。
 「店、閉めたら行くから」
 「うん」
 
 「うまく出来たじゃんか」
 睦城が、晩御飯を用意してくれた。
 ま、ざるうどんだけど。
 つけ汁はめんつゆだけど。
 おかずとして並んでいるきんぴらゴボウは夕べの残りだし。
 「玉子焼き」
 そう、睦城は最近、玉子焼きを覚えた。
 徐々に上達していて楽しいらしい。
 「侑が食べてくれるのが一番嬉しい」
 俺の旦那さんは、可愛い。睦城の旦那さんだって負けてないけどな。
 「今度は肉じゃがに、」
 「ニラレバがいいかな?」
 「あ、そうする!」
 そっちの方が失敗は少ないだろう。
 「さっきの子、ショックだったかなぁ」
 箸を咥えたまま、少し後悔しているらしい。
 「いいよ、どうせ断るし。」
 「侑、昔から女の子にモテてたよね」
 「そうか?そんなん気にしてなかった。睦城が好きだったから」
 「侑は照れもせずよく言えるよね、そんな恥ずかしいこと…僕も好きだったけど。」
 食事中に好きとか言うと、したくなる。
 明日は睦城が師匠さんの所へ行くから、あまり色っぽい顔をさせたくないんだよな。
 「いいなぁ、侑。昔から、僕しか見てないよね」
 睦城に悪気はない、そうだ。
 
 「おはよ」
 目覚めて直ぐに確認した。
 やっぱり可愛いけど、目元が赤い。
 「師匠さん、睦城に欲情しないかな?」
 「まさか」
 そう言って笑う顔が艶っぽい。
 俺の目にだけそう映っているのならいいけどさ。
 睦城が出掛けて、店を開けた。
 「店長さん、昨日はすみませんでした」
 夏神さんが、いた。
 「で、昨日の方、いらっしゃいますか?」
 おいっ!
 俺は思わず、追い出した。
 睦城の気持ちがわからなくもない。
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