072.肉屋の恋の物語
 突然、和海がやって来た。
「どうしよう」
 視線が定まらず、泳いでいる。
「睦城…三条、俺どうしたらいい?」
 なんだ?なんで苗字なんだ?
「好きな人が出来た?」
 侑がサラリと問う。
「ああ、そうなんだ。むつ…三条への想いが恋だと錯覚していた。恋ってこんなものだったんだ。全然違う。」
 全くわからん。
「和海、一から順に話してくれないかな?」
「うん」

 二年くらい前から来るようになったお客さんなんだ。
 その時は普通に接客して、話しもしていた。
 「最近越してきました、これからよろしくお願いします。」なんて、笑顔で挨拶されたのが印象に残る程度の人だった。
 次に来たときに「転勤ですか?」と聞いたら「いえ、起業しまして。」って。なんの仕事かと聞いたら、Tシャツとかパンツとかマリンウエア専門店だって言うんだ。
 すぐ近くに店を出していた。
 デザインもしていて、休みは平日だった。
 たまたま、店に行ったんだ。本当にたまたまだった。
 好みのデザインだったから購入した。
「それが、これ」
 桜色の海がプリントされたTシャツだ。
 彼が、店に来た。
 よく、焼き豚を買ってくれる。

「待った!」
 侑が和海の話を遮った。
「まったく、相手の影が見えないけど」
 影どころか実態すら掴めない。
「判ったよ」

 彼は料理が得意じゃなくて、度々うちの店にやって来ては簡単に出来る食べられるものを教えてくれと言うんだ。
 稲村ヶ崎の駅前には、惣菜も置いてある唯一のスーパーマーケットがあるにも関わらず、うちにくる。

「左貝、それは睦城にも俺にも、答えは出せない。だって俺たちはその人じゃないから。大体睦城が左貝に散々相談していたんだから、ムリなのはわかるだろ?」
 和海が項垂れる。
「ごめん、僕もそう思う。でも…手伝うことは出来るよ。」
「睦城、いいのか?」
「うん。和海、その人は次何時来る?その時、僕が行ってもいい?」
 和海はよくわからないらしく、少し首を傾げながら頷いた。
「いつも通りでいいからね?」
「わかった」

「和海の気持ち、わかるなぁ。侑の一挙手一投足が気になっていた時があってね、僕のことなんて眼中になかった頃から、もしかしたらって思ってしまったり、女の子と話しているとその日は1日ガッカリしていたり。人の気持ちが判る機械とかあったらいいのになぁ。」
 侑の腕が僕を抱き寄せる。
「その時の睦城に会いたいなぁ。気付かなかった俺にも怒鳴ってやりたい。」
「いいんだ、今が幸せだから。」
 言って、恥ずかしくなる。
「考えたら、僕はいつも侑に幸せにしてもらっている。ありがとう。」
 侑が照れた風に「左貝、上手くいくといいな」と、呟いた。