074.海に集う
「佐貝さんは、和海さんというお名前なのですね。」
 不意に葉山さんが和海に話しかけた。
「買い物に来ても、お名前を伺うタイミングはなかなか無いので。可能であればまた、うちの店にもお出でください。ではまた。」
 爽やかに立ち去った。
「和海?追い掛けなくて、いいのか?」
「え?あ、うん。ちょっと店番頼んだ。」
 和海は、頼りない足取りで追い掛けた。

「葉山…さん」
 蚊の鳴くような声で呼んだ。なのに彼は直ぐに振り向いた。
「良かった、追い掛けてきてくれて。」
 葉山さんは身体ごと振り返ると、少し泣きそうな瞳で、ムリをして笑っているようだった。
「来なかったら、一生言わないつもりでした。あの、」
「付き合ってくれませんか?」
 慌てて言ったので少し食い気味だ。
「はい。」
 それでも彼…誉輝は回答をくれた。
「態とあの夫妻を連れてきたのですね?私が羨むように。当て付けられました。佐貝さん…和海さんが、好きです。」
 睦城、ありがとう。
「後で、店に来ていただけますか?閉店後で構いません。お待ちしています。」
「葉山さん、後悔しませんか?」
「なぜ?想い人に付き合ってと言われたのですから、後悔はありません。」

「和海、上手く行ったんだよね?」
「多分。」
 侑が、微笑んだ。

「抱き締めて、いい?」
 黙って頭だけ上下に動かした。
「和海…」
「誉輝」
 彼の背に、腕を回す。
「三条さん?佐貝…和海の好きだった人。忘れさせてあげるから。」
 子供じゃないんだから、互いに好意があるとわかったら性急だ。
 どちらからともなく、目を閉じて唇を重ねた。誉輝は上顎を舌でごしごしと擦る。
 気持ちいい。
 睦城に振られて、男女問わずに何人かと付き合った。でも気持ちがないから続かない。
「ん…ふっ」
 息が苦しい。
 唇と唇の隙間から誉輝が自分の名を囁いている。
 唇を離すと、再び抱き寄せられる。
「夢みたいだ。駅横の踏み切りで見かけてから、肉屋で見付けるまでに時間が掛かった。」
 え?
「偶然だと思ってた?」
 もう一度、背にしがみついた。
「君に好印象を抱いてもらうために努力した。好きだよ。」
 抱き合ったまま、ソファに転がった。