096.静寂
 喫茶店にカタカタとキーボードを叩く音が響く。
 上階からは木を削る音が聞こえる。
 店内には三組ほど客がいるが、みんなその音をBGMにして海を眺めている。
 なんか癒されるよね〜と、言いながら。
 結局、喫茶店にはコーヒーと紅茶しか置かなくなった。
 観光客の休憩所になればと思っていたが、近所の憩いの場となっていた。だから余計なものは要らなくなった。
 コーヒーはサイフォンで淹れている。豆は専門店で購入して挽いてもらう。だから種類は少ない。
 基本は紅茶だ。
 侑が喫茶店のホームページに、鎌倉の古い昔話を掲載していたところ、出版社から本にしないかとの打診があり、現在三冊目を執筆中だ。
 三冊目ともなると、知っている話ではネタが足りないのか、あちこちに問い合わせたりしている。
 一番のネタ元は、侑のお母さんだ。
 だから喫茶店に手が回らなくなったのが実情だ。
 それでも通ってくれる常連客がいる。
 「店長、この話知ってる?」などと言って腰越や山崎(※どちらも地名)の方の話を教えてくれる。
 どの話も祖父母や近所のおじさんおばさんから聞いた話なので、途中が違ったり結末がなかったり様々だ。それを切ったり貼ったりして、一つのものに仕上げると、一応市役所に確認する。
 バイトを雇えばいいのにと言われるけれど、もうそんなに手広く経営するつもりはない。昔いた学生バイトは、すでに社会人となって地元にいない子が大多数だ。
 そのうち、看板を下ろして、近所の人がただ集うだけの集会場にしようかとも思っている。
 雨が降ったら客足も途絶え、雨音とキーボードと木を削る音だけになる。
「睦城、そろそろ終わろうか?」
 階下から侑の声がする。
「うん」
 時計を見ると19時を回っていた。
 二人で晩飯の支度をして、二人で片づけて、二人で風呂を使う。
 ずっと、二人だ。
「高校時代、こんな日を夢見たことがあった」
と、睦城がつぶやいた。
「夢じゃ、ないだろ?」
「うん」
 侑は静寂の中、睦城を抱きしめた。
 このまま…。