097.振り向かせたい
 あれは、幼稚園の入園式だった。
 未だかつてない程の人間の数に驚き、怯えていた僕は、ずっと俯いていた。
 明日からは絶対に来るもんかと心に誓いながら。
 母に何と言われようと、怖いものは怖いんだ、だから行きたくないと言わなきゃと、ブツブツ唱えた。
 式はつつがなく終了し、其々にクラス分けがされ、教室に向かった記憶はあるが、その後何をしたかは覚えていない。それ程緊張していた。
 明日からはこのお部屋に来てくださいねと先生に言われ、もう来ないから関係ないと、この時までは思っていた。
 教室を出て、靴を手にした時だった、廊下を大声で歌いながら歩いてくる男の子が居た。ドラえもんの歌だった。
 彼は、怖くないのだろうか?沢山の人に囲まれて、怖くないのだろうか?
「すすむくん、一緒に帰ろうよ」
 彼は既に女の子たちから声をかけられる程、人気者だった。
 母に手を引かれて帰路に着く。
 その前をすすむくんと呼ばれた彼も歩いている。
「ねえちゃんに言われた通り、顔を上げて笑ったら、怖くなかったよ。」
 すすむくんには、助言をくれる姉が居た。羨ましかった。
「でもさ、女の子ってスゴいよな、全然怖くないんだってよ。お友達が沢山出来て楽しいって言ってた。」
 おともだち?
「睦城は、お友達が出来そう?」
「おともだちって、なに?」
 僕は引きこもりだったから、今まで外で遊んだことがない。だから友達が居なかった。
「一緒に遊ぶ子のことよ。」
 一緒に遊ぶ?
 僕は前を見た。
 すすむくんなら、遊んでみたい。

「睦城?」
 店に向かおうとする侑を、後ろから抱き締めた。
「どうした?」
「思い出してた」
「なにを?」
「侑に、初めて会った日。侑に振り向いて欲しいと願った日。あれから、8年掛かった。」
「そっか…頑張っていたんだな。」
 僕は、相変わらず俯きがちだったけど、侑に見留めてもらいたくて、上を向いた。
 幼稚園でも、小学校でも、同じクラスになれなくて、お友達にはなれないと諦めていた所の、中学でのクラスメート。
 しかも通路を挟んだ隣の席で。
 きっと、これは、僕の伴侶たるべき人なのだと、悟った。
 それくらい、僕は侑を恋うていた。
 8年の間に、お友達ではなく、恋人になりたいと、思うようになっていた。