| 雪柳…バラ科の落葉小低木。春、白色の小花を多数つける。鑑賞用。 
 「じいちゃん、早くしないと日が暮れちゃうよ。」
 謙一郎が叫んでいる。
 暮れの29日、仕事はかきいれどき。
 …本当は今年一杯で八百屋は閉店しようと思っていた。でも謙一郎がはりきっているからもう暫く続ける事にした。
 何故私が八百屋をしているか…きっかけはなんだったのだろう?多分信之助さんが何か影響していたのだろう。もう忘れてしまった。
 昨日で仕事納めだった温が家の大掃除をしている。男の子が欲しかった私にとっては嬉しい事だ。
 ここに信之助さんがいてくれたら…と何度も思ってしまう。
 だから妻に捨てられたのだろう…いつまでも最愛の人を忘れられなかった自分に嫌気をさして娘の嫁ぎ先に転がり込んだ妻…。
 肩身の狭い思いをしていないだろうか…。
 
 
 あの手紙をもらって、私は考えた。信之助さんはやっぱり姉を愛していたのだと思う。
 そして私の気持ちに気付いたのだろう、だからあんな手紙を残したのだ。そう思う事にした。
 あの人は優しい人だ、これくらいの嘘は言えるだろう…。
 「じいちゃん〜っ」
 また謙一郎が叫んでいる。
 
 
 はらはらと雪が舞い降りてきた。
 「きゃーっ、寒いと思ったら雪よ。」
 お客さんが肩をすぼめながら店にやって来た。
 「…雪柳…」
 「は?」
 「ゆきやなぎだ…」
 私はお客さんそっちのけで再び思い出に浸ってしまった。
 
 
 「信之助さん、あれなんていうの?」
 姉と三人で遠出をした時だった。真っ白な花を多数たたえた小木に目を奪われた。
 「あぁ、あれは雪柳ですよ。」
 花びらがゆっくり、ゆっくりと落ちてくる。
 「本当に雪みたいだね。」
 「…冬になったら雪を見に行きましょう。」
 「本当に?」
 「はい」
 「どこに行くの?」
 「そうですね…長野の、私の叔母のところはどうですか?」
 「約束だよ」
 「はい」
 優しく微笑む。
 しかし、約束は果たされなかった。
 姉も一緒に行くと言い出したので父が反対したのだ。
 「すみません、約束したのに…」
 「いいよ、いつか…」
 「はい、必ずいつか一緒に行きましょう。」
 信之助さん、雪柳の約束、覚えていますか?
 
 
 「一郎さん」
 ハッとして私は振り返った。
 視線の先にいたのは温だった。
 彼は信之助さんに背格好も似ているが声も似ている。
 「大晦日。こちらに伺っても良いでしょうか?」
 「いいよ、私は一人だから…。」
 「実は、その…もう一人連れて来たい人がいるのですけど。」
 「誰だろう?」
 「それは…秘密です。」
 
 
 ニッコリ彼は微笑んだ。
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