「何ですか?」
彼は黙って私に手を差し出した。
私も黙って受け取ったが、掌に乗った物を見て聞いた。
「信之助には、色々世話になったから、やるよ。」
それは彼が中等学校を卒業した年の夏の事だった。
そのとき、彼は既に高等学校に進んでいて、夏休みを迎えていた。
私は嬉しかった。彼の匂いの染み付いた物を頂ける事が何より幸せだった。
それは大事に紐をつけて首から下げていた。
「へぇ、そんな話、聞いた事無かったよ。」
荷物の整理をしながら、僕は謙一郎に信之助さんから聞いた話をした。
「僕も相手が一郎さんだとは知らなかったよ。」
僕がまだ高校生だった頃、祖母の所にやってきた信之助さんがポツリ、僕に聞かせた話。
そしてその時も薄汚れた紐の下にはキラキラ輝く金釦がこっそり掛けられていた。
だから僕は無くさない様にと母に頼んで巾着袋を作ってもらった。
彼は嬉しそうにその中に釦をしまっていた。
「これでこの金釦は私だけのものです。」
このとき、僕は知ったんだ。
幸せは自分で叶えるのではなくて、誰かが叶えてくれるのだと。
そしてお金ではなくて、ひたすら無償の愛だけなのだと…。
自分は謙一郎を幸せにしてあげられるだろうか…。
僕は謙一郎に幸せにしてもらえるだろうか?
答えはきっと、もうこの胸の中にあるけれども…。
とりあえず僕達はひとつだけ隣りの駅に引っ越すことが決まった。 |