謙一郎&温シリーズ
=宴『庭師』
 感情の無い電子音が携帯電話から流れる。これは恋しい人からの電話じゃ、ない。
 年末、営業の僕は一人で事務所にいた。休日出勤の電話番だ。
 ポケットから電話を取り出し、表示を確かめる。1年ぶりに見る名前だった。
 2・3の挨拶を交わし、その人は本題を切り出した。
「本当ですか?」
 そう言ってから自分なんかに嘘を言っても仕方がないことに気付く。
「一郎さんのご家族、誰一人あの家に戻っていないなんて。」


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 街中がクリスマス一色になり、花屋の店頭は他には何もないかの様にポインセチアが置かれている。
 僕は一鉢、ピンク色のを買った。これはじいちゃんの家のキッチンにある、出窓に飾ろう。
 明日は久し振りに二人の所に行く予定なんだ。
 信之助さんが、嘘の様に元気になり、今では庭木の手入れを出来るようになったそうだ。
 じいちゃんは幸せに暮らしているはず。愛する人と、愛する家族に囲まれて。
 本当は僕なんか行かない方が良いのかもしれない。でも、気になるじゃないか。…ただのお節介でも。
 僕はもしかしたら信之助さんに嫉妬しているのかもしれない。だって逃げる様にあの街を後にして、だけど遠くには行けなくて。
 僕の祖父は父方も母方も僕が生まれる前に他界していて、『祖父』という対象がいなかった。僕はじいちゃんにそれを求めているのかもしれない。
 じいちゃんは始めから僕がゲイだと気付いていた。なんとなく解るのだそうだ。
「歩き方がヘン?それとも内股になってるとか?」
「いやいや、違う違う。匂い立つ雰囲気が違うんだ。」
「わかんないよ。」
「けんちゃんがじじいになればわかるって。」
「待てないよ。」
「待たなくていいだろう?けんちゃんにはあっちゃんがいる。」
「…あっちゃんに悪い虫がつかないように…って思って。」
「大丈夫、絶対につかない。」
 そう言って笑ったのはつい1年前のこと。
「若いうちは…恋に浸かっているからな…」
「浸かる?」
「見えなくても仕方ないんだよ。」
 大きく一つ、溜息をついた。あれは信之助さんへの消すことの出来ない思慕だったのだろう。
 じいちゃんと信之助さんが幸せそうに微笑みを交わす。僕の胸がチクチクと痛む。
「謙一郎?」
 道の真ん中でぼんやりしていたら、背後から温さんの声がした。
「お帰り、早かったね。」
「買ったのか?」
 鉢を指差して微笑む。
「うん。」
「また鉢が増えたな。」
「あっ、これは…」
「いいよ、全部謙一郎の可愛い子供達だから。」


 …あんな風に言われたら言えないよ、
「僕じいちゃんが気になる…」
なんて。
 気になるっていったって、恋したわけじゃない。
 僕が大好きなのは温さんだけで。
 だけど解って。僕、じいちゃんが好きなんだ。


 お互いの身体を抱き締めあって、求め合って…。
 僕は温さんに愛されている。
 どうしてこの幸せだけで満足出来ないの?
「謙一郎…実はね。」
 僕の頭を胸に抱き寄せ、ゆっくりと背を撫でる。
「一郎さんの家族が、反対しているそうなんだ。だからあの家には今、一郎さんと信之助さんしかいないんだそうだ。」
「…」
「行って、あげないか?僕達が行ってあげれば、一郎さんも楽になるだろうから…。」
 今、温さん、何て言った?
「だけど…」
「気付いたんだ。謙一郎にとって一郎さんは特別な人だって。」
 僕は激しく首を振る。
「いいんだ。嫉妬しているんじゃない。一郎さんになんか嫉妬しないよ、僕は。」
 全部、見抜かれていたんだ。
「ごめんな、引越ししようなんて言って。だけど二人が幸せになるのなんか見たくないんじゃないかって勘違いしていた。謙一郎は素直に一郎さんが好きで、心配なんだろう?」
 首を縦に振ることで意思表示をする。
「一郎さんの側に帰ろう。」


 僕等が決心したのは、ほんのちょっぴり遅かった。


「信之助さん、ここに置いても良いですか?」
 ニッコリ微笑み、頷いた。僕はこの間買った、ポインセチアをキッチンの出窓に置いた。
 じいちゃんは今、病院にいる。
 僕等がここに来ると決めた夜、倒れた。
 家族よりも先に、僕等のマンションに電話が来たので飛んで来た。じいちゃんは家族に連絡しないで欲しいと言ったらしい。
 しばらく入院することになったので、僕は会社を休んで信之助さんの世話をしている。
「じいちゃん…一郎さんは店をやっていたんですね。」
「はい、『けんちゃんが買い物に来るから』って言っていました。」
 僕が?だってもう遠くに行ったから来れないって言ったのに…。
「一郎さんはけんちゃんが好きなんです。」
 どうしたんだろう、僕は胸が熱くなった。
「僕も一郎さんが好きです。」
「はい。」
 安心した様に信之助さんは頷いた。
「私は、もう長くないのです。自分の寿命は自分が知っています。だけど一郎さんが迎えに来てくれて、もう少しだけ生きていたいと言う欲が出てしまいました。だから一郎さんが…。」
 涙声になりながら、信之助さんが話す。
「もう、十分です。だから私を病院に戻してください。そうすれば一郎さんも元気になります。」
 涙をポロポロ零していた。
「信之助さん、僕、温さんが好きになっちゃったんです。色々問題もあったけど、やっと今は一緒にいられる様になったんです。でもそれでも悩みました。僕が温さんと一緒にいることで、会社で非難されたらとか、出世できなかったらとか…。そんなとき、一郎さんに出会いました。くじけそうな僕をいつでも支えてくれたんです。だからっていうわけじゃないけど、恩返しがしたい。僕、本当はここの八百屋、やりたいんです。だけどじいちゃん、駄目だっていうんですよ、この八百屋は自分の道楽だから、自分の代で終わりだって言うんです。もしかしたら僕は邪魔をしているのかもって思ったんです。だけど違ったんです、じいちゃんはやっぱり僕のことを考えててくれて、仕入れとか店番とかしていたらあっちゃんとすれ違ってしまうことを心配してくれたんです。どうしてじいちゃんが僕等のこと、一生懸命心配してくれるのか分かったんです。自分に出来なかったことを僕等にはやらせてくれているんです。信之助さん、じいちゃんの夢、壊さないであげて下さい、じいちゃんはずっと、ずっと…信之助さんを想って、生きてきたのです。お姉さんを追い詰めてでも自分のものにしたかった信之助さんを…。僕が生まれたのは平和な時代なんで全然分からないのですけど、国家の力で引き裂かれるのは嫌です。」
 ポンッと、肩を叩かれた。振りかえるとそこに、じいちゃんと温さんが立っていた。
「随分と演説をしている様だな。でも信之助さんが疲れてしまうよ。」
 じいちゃんが心配そうに信之助さんを覗きこんだ。
「じいちゃん、もう、大丈夫なの?」
「あぁ。」
 静かに返事が返ってきた。
「3日間で6本も点滴を打ったからね。」
「謙一郎。」
 温さんに腕を引っ張られ、僕は部屋を連れ出された。
「これから、愛を確かめ合うんだってさ。」
 肩を竦めて笑う。
 二人は何をするわけでもない、何を話すわけでもない。ただ並んでぼんやりと庭を眺めているだけだった。


 クリスマス・イブの夜だった。
 じいちゃんにも信之助さんにもクリスマスは関係ないのかな?と思ったけど、一応ケーキを買って帰った。
 晩御飯の後、ケーキを切ってティータイム。その時だった。
「あっちゃん、けんちゃん、聞いて欲しい事がある。」
 気のせいかもしれないけれど、ちょっぴりじいちゃんは頬をピンクに染めていた。
「離婚、しようと思う。」
 ここに来る前の晩、温さんに言われてはいたけどやっぱりじいちゃんの家族はここにはいなかった。
「伸子はこの庭を守る気が無いと言ったからね。だから慰謝料を払ってこの家は私が守ろうと決めた。」
 ちらっと、信之助さんに視線を送った。
「信之助さんと…結婚する、養子になる。そうすればここはあっちゃんに相続できるだろう?」
「ちょっと、待って下さい。どうして僕に?」
 温さんが慌てて立ち上がった。
「だってけんちゃんはあっちゃんと結婚するからね、養子には出来ない。だから私が信之助さんと結婚してあっちゃんと親族になればいいんだ。」」
「そんな簡単にはいかないでしょう?」
「大丈夫だ、慰謝料を払ってもこの家を守って行くだけの現金は残っている。」
 温さんは溜息をつく。
「相続税を僕には払いきれません。」
 財産が一億円を越えると相続税は70%支払わなければならない…はずたったよな、確か。
「あっちゃんとけんちゃん名義でマンションを買おうと思う。それを処分して支払える様にする。」
「じいちゃん、そこまでしてくれなくても…」
 僕は勘違いしていた。これは僕たちの為だと。
「違うんだ、この家を残したいのは私なんだ。…結婚したのは信之助さんの庭を残したかったからなのに拒否された、だったらどうすれば良いのかを考えた結果なんだ、どうかうんと言って欲しい。一緒に、暮らそう。」
 僕はじいちゃんがそうしたいのなら良いのではないかと思ったけれど、温さんは「少し考えさせて欲しい」と言って、部屋に消えた。


 キッチンで洗い物をしている僕の側に、知らない間に信之助さんが立っていた。
「けんちゃん」
 信之助さんの声はいつも静かで優しい。
「どうしたんですか?風邪引くといけないですから、ちゃんと暖かくしていてくださいね。」
 そう声を掛け、振りかえった。
「一郎さんの願いを叶えてあげてください。」
 両目に涙を一杯溜めて訴えた。
 僕は慌てて水を止めて、信之助さんの小さな身体を抱き締めた。
「僕は、叶えてあげたいです。だけどあっちゃんがうんって言ってくれないとどうしようもないんです。」
 僕の腕の中で小刻みに震える身体。
「私は知っていたのです、一郎さんが私に好意を抱いてくれている事。だけど一歩が踏み出せなかった。そして逃げ出したのです。」
 僕は何も、言えなかった。かわりにそっと背中を撫でた。
「なのに今更一郎さんの何もかもを自分の物にしようだなんて勝手過ぎる気がするんです。…私は、一郎さんもお父さんの跡を継いで代議士になるものだとばかり思っていました。」
 じいちゃんは代議士にはならなかった、一代で築き上げた食品メーカーを伸子さんの旦那さんに簡単に譲って、八百屋をやっている。
「一郎さんが代議士になったら私は秘書にしてもらおうと思っていたのです。それが私の唯一の夢でした。だから大学にも通ったし、春さんとも結婚しようと思った。一郎さんに相応しい男になりたかった。」
 春さんと結婚すれば、庭師の仕事も続けられるから――と、信之助さんは付け加えた。
「温さんに、ちゃんと言ってみます、だから新しい夢をみてください。」
 信之助さんが疲れたらいけないのでダイニングテーブルの椅子に腰掛けさせた。
「僕にはもう、両親がいません。僕にも夢を見させてください。…夢はいつでも見られるんです。」


 じいちゃんが奥さんと離婚しても、信之助さんの養子になっても、何も変わらなかった。
 相変わらず週に1回伸子さんからは電話がくるし、八百屋も普通に営業している。
 僕は誰にも内緒で1度だけ、伸子さんに会いに行った。
 伸子さんは僕より10歳くらい歳上だと思う。じいちゃんにとっては孫にあたる娘さんが二人、いるそうだ。
 あの家も父も好きだけど、今の私には夫と子供達が大事なんです、ごめんなさい――と、僕に向かって頭を下げた。


 12月30日の深夜、庭で一人、蹲っているじいちゃんを、見た。


 静かに、静かに、時間は流れて行った。


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 もしかしたら、僕は一郎さんに残酷な事をしたのだろうか?
 一郎さんに、恭二を引き合わせて1年、二人が最期の時を過ごしたのが1年弱。
 一郎さんは泣かなかった。
『温君は昔から優しかったね。』
 信之助さんが僕に向かって言った、最期の言葉。