「んっ…」
僕は必死で声を殺しながら、温さんの胸に顔を埋める。
僕の声を掬い取る様に温さんの唇と舌が僕の唇を翻弄する。
意識が薄れる。もうすぐ…。
僕等の朝は早い。3時には出掛けないと間に合わないからだ。
温さんも僕も青果市場に行く。
温さんは支店一号の店長兼社長、僕は支店二号の店長、そしてじいちゃんは本店の店長兼会長。
温さんは家を継ぐのに条件を出した。それは八百屋の事業拡大。
温さんも僕も会社を辞めた。八百屋に全てを掛けるのだ。
支店を二つ増やすことはじいちゃんすごく渋ったけど、今は楽しそうだ。
休みの日はフラワーアレンジメントの学校に通っている。
本当は信之介さんと同じ位詳しくなりたいと言っていたけど、とりあえず趣味の領域から初めていくそうだ。
じいちゃんが前向きになれて良かったと、本当にそう思う。
本当の孫の様に僕等を可愛がってくれるじいちゃんに、少しでも生きる元気を出して欲しかった。
けど、そんな風に思っていたのは僕だけで、じいちゃんはずっと前から信之介さんがいなくなってからのことを考えていたみたいで…。
当然、いなくってしまった時は辛かったって言っていたけど、少しでも同じ時間を恋人として過ごせた事が幸せだったと教えてくれた。
じいちゃんの昔と比べたら格段に逞しくなった(と言ったのは信之助さんだ)腕で信之助さんの細くなった肩を抱きしめて、じいちゃんは幸せも一緒に抱きしめていたんだ。
信之助さんが僕達に教えてくれた事。
人を愛することの悲しさと嬉しさと大切さと優しさ。
そして信之助さんが僕達にくれた物。
前を向いて生きて行くこと。
僕はもう迷わない。
温さんと一緒に生きて行く。
じいちゃんを本当の親だと思って大事にしたい。
夜、温さんが風呂に入っている間、じいちゃんと夕涼みと洒落込んで縁側にビールを持ち出した。
「けんちゃん、あのさ…私達…。まぁ、いいか…」
そう言って俯いた。
「どうしたの?」
「いや、夕べさ…」
夕べ?
「何?」
「ああ、その…声が聞こえたから…」
声…
「ご・ごめんっ」
僕は両手をついて謝る。
「違うんだよ、ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。二人の仲の良さは知っている…違うんだ。信之助さんとさ、接吻した…」
じいちゃんの頬がほんのり色づく。
「毎晩、寝る前に接吻したんだ。それだけだ…」
聞いたことがある。男は一生性欲が絶えないって。
「感じた?」
「感じる?」
「違うの?」
「わからん」
相変わらず、照れたまま横を向く。
「なのに私は信之助さんを責めてしまった…。どうして逢いに来て、声を掛けてくれなかったんだって、責めてしまった…。私はあなたとの約束を果たしただけなのに…。小さくなった肩を抱きしめた。この腕は私しか抱いていないなんて切なかった。信之助さんの子供に会いたかった。私はそう思っている。」
…信之助さんの子供?会いたい?
そうか…僕が温さんと一緒にいたら、温さんの子供には会えないんだ。
「けんちゃん、会えない時間が長かったから子供に会いたかったんだ。 子供がいたら寂しさを紛らわせられる。だけど今は何もない…。ほんの一瞬の思い出しか残ってない。けんちゃん達は沢山の思い出を作りなさい。思い出が二人の証しだ。」
証し?
「子供って証し…なの?」
「私にはそうだった。妻に感謝はしているが愛の証しは…信之助さんとの約束があったからだ。」
「私達では駄目ですか?二人の愛の証し。」
背後から声がした。
「私達に色々教えてくれたこと、見せてくれたこと、全てそうだと思っていたのですけど。」
僕の横に腰掛けて、温さんは僕のコップを奪った。
じいちゃんは横を向いてしまった。そしてぽつりと言った。
「そうだな、うん。きっとそうだな…」
庭の月見草が風に揺れた。 |