謙一郎&温シリーズ
=花『マリーゴールド』
【菊(きく)科 春から秋まで絶え間なく咲き続ける「聖母マリアの黄金の花」という意味メキシコ原産花壇によく植えられる インドでは首飾りによく使われる 水がない状態でもなかなかしおれない強い花独特の臭気により除虫の働きをする 8月20日の誕生花 花言葉は「常にかわいらしい」 季節の花300より 】


「僕には何も出来ない。」
 了は必死な目で僕を見ていたが、手を貸すわけには行かない。
「ここを出るときに了は言っただろう?もう僕の手は必要ないって。」
「それは父さんが元気だって言う前提があったからで、入院してしまったらどうしようもないんだよ。」
 僕が一郎さんの事業経営に乗り出したために、弟の了が父の仕事を継ぐこととなった。その際、謙一郎の元へ行く僕を批難し、軽蔑し、罵倒した了が泣きついてきたのは昨日の事。
 父が脳梗塞で入院してしまった今、了が頼るべき人間は僕ではなく会社の役員たちではないのだろうか。
「専務は父さんのやり方に反対だった。僕が副社長になったのだって気に入らなかったんだ。」
「そりゃあ、そうだろう。大学を出ていきなり副社長じゃ、誰だって納得しないさ。」
「そんなこと言ったって、役員会で承認されてしまったんだから仕方ないよ。」
 父の経営する会社は親族会社だ。会長兼社長の父、専務の父方の伯父、常務の母、取締役に母方の叔父、叔母。そこにいきなり副社長として転がり込んだ弟の了。
「兄さんには社会勉強とか言って外で働かせたのにどうして僕はいきなりだったんだ?」
「僕の例があるからだろう」
「…納得いかないなぁ…」
 ぶつぶつ文句ばっかり言っている。
「父さんは、現役復帰難しいのか?」
「わからない。そうしたらやっぱり僕が社長になるのかな。」
 まだ社会人三年目の了にとって、そんなに早く重責を負わせていいのだろうか。父の会社には100人の社員がいる。
「…母さんは?」
「ずっと父さんの所。」
「専務は?」
「会社」
「叔父さんと叔母さんは?」
「殆ど会社にこない。名ばかりの取締役だから。」
 実質、動けるのは伯父だけか…。
「役員会を招集、社長代理を決定しろ。それからだ、お前がやるべきことは。」
 伯父に代理になってもらい、了は取締役に降格、伯父のサポートに移る。それしか手はなさそうだ。
「兄さんに帰ってきて欲しいんだけど。」
「だからそれは無理だ。今の会社がやっと軌道に乗ってきた。今だってこうしているのがもったいないんだ。」
「楽しい?」
 不意に、関係ない質問が飛んできた。
「まぁ、な。」
「あの人とは、上手くやっているの?」
「謙一郎か?」
「うん…僕ね彼に酷いことを言った気がする。親がいないとか、貧乏人だとか、盗人とか…」
「おかま野郎…とも言っていたな。」
「だって…兄さんはあの人と…するんだろう?」
「うん。」
「だったら…」
「了、違うんだよ。僕が、僕の方が彼に助けられているし、僕の方が彼にちょっかいを出したんだ。僕が彼に何もしなければ
今ごろは別々の道を歩んでいたかもしれない。でもそれが出来なかった。僕には彼が必要だった。」


「了くんはいくつだったっけかな?」
 テーブルの向こう側とこっち側、二人で黙って黙々と箸を口に運んでいたら、ふいにじいちゃんが手を止めて僕に質問してきた。
「僕と同い年。」
「そうか…」
「何?」
「いや、ずいぶん子供っぽい子だなぁと思ってさ。」
「そうかな?」
 彼は大学時代休学してアメリカに3年間留学していた。だから同い年だけど社会人暦は浅い。
「会社の経営は大変だよ、100人もの社員を抱えているんだからね。」
「うちは1,000人だ。」
 じいちゃんが創めたスーパーは今、娘婿の正敏さんがやっているけど、確かに全国チェーン展開をしている最大手スーパーだ。この不況下でもちっとも経営に揺らぎがしょうじない。それは全てじいちゃんの経営理念をきちんと守っているから…とは娘さんのご意見。
「けどあっちゃんの経営手腕のほうが明らかに上だ。」
ぽつり、呟いた。
「だから了くんは兄さんを頼ったのだろう。」
「じゃあ、しばらく帰れないね。」
「かもな」
 じいちゃんの手が、僕の頭を優しく撫でた。


「母さん、社長を交代してください、今すぐ。でないと問題が出ます。私が部外者なのは分かっていますが、了の為だと思って今すぐにお願いします。」
 母は頷かない。
「お父さんが目を覚ましたときにがっかりするでしょう?」
「はっきり言います、父さんは後遺症で半身不随になります。先ほどお医者さんに聞いてきました。ということは社会復帰に最低一年は掛かるはずです。それを社員…いや、取引先の人間が納得しますか?」
 伯父のことは伏せた。
「母さん、あなたが社長として就任してください。」
「温、何馬鹿なこと…」
「でないと、了が潰れてしまいます。それが駄目だったら…兄さんを呼び戻してください。」
 母の顔色が変った。
「達<とおる>は駄目。絶対に駄目…」
 兄は会社の後継者としてまず丸物物産に就職し、暫く社会経験を積んで戻ってくる…という約束だったらしい。(僕の時もそうだった。)
 しかし、兄には大学時代に情を交わした女性がいて、その人は丸物物産の社長の一人娘だった。つまり兄の計画的犯行だったのだ。
 家には僕と了がいるから、例え長男であっても婿に行く、そう言い切って子まで成してしまったのだ。
 確かに父にとっては丸物物産ほどの大企業が親戚になれば、今後会社を大きくする際に有利になる、と考えたのだろう、案外あっさりと了承してしまったのだ。
 しかし、僕も新しく会社を始めてしまい、残るは了一人。父も母も心細い限りなのだ。
「温のほうでどうにかできないの?謙一郎君に代わって貰うとか…」
「冗談も程々にしてください。こんなに楽しいことを僕が手放すと思っているのですか?」
 僕が一旦言い出したら、絶対に引かないことを母は知っていて言うのだ。
「駄目なら専務を社長代行にしてください。兎に角了には無理です。」
 なかなか首を縦に振らない母を半日掛けて説得した。
 次に伯父の所へ出掛けた。
「私は温君に戻って欲しいんだ。悪いが君の母さんと弟さん、妹さんは経営にタッチしていない。了君は興味がない、彼はプログラマーだからね。」
 え…?
「大学は経済学部を出ているが、アメリカ留学中にプログラミングに興味を持って、路線変更したんだ。温君がいるから、自分には関係ないと思ったんだろう。」
 僕は、何にも知らなかった。
「八百屋は楽しいか?」
「…はい。」
「そうか。私は何も言わない。君の父さんもその方が向いていると思ったから何も言わずにやらせているんだろう。達君も温君も経営の才能があるんだ。だからそれぞれの才能を伸ばせる場所を見つけていったんだ。了君は自分の才能を持っているんだから、それを伸ばしたほうが良い、無理をさせてはいけない。」
「はい、それは分かっています。だから伯父さんに…」
「いや、私ではなく貞義<さだよし>君にお願いしたほうが良いだろう。うん、それがいい。私はサポートをする。」
 貞義は叔父のことだ。ここに来ても伯父は、サポートする立場にいようとしている。それが伯父の言うところの『才能』かもしれない。父の兄として、ずっと父を影から支えてくれていた伯父。
 いつか、恩返しをしなくてはいけないと思うが…。


「ただいま」
 了に呼び出されてから丸三日、全然連絡もせずに家を空けてしまった。
「温さん」
「あっちゃん」
 謙一郎と一郎さんが二人並んで夕餉の片付けをしていた。
「お帰りなさい」
「お帰り」
 共に、笑顔で迎えてくれる。
 それだけで胸が熱くなる。
「明仁<あきひと>君が温さんの留守はしっかり守っていてくれたよ。」
 バイトの明仁はとってもしっかりしていて頼りになる。もう少し利益が出るようになったらバイト代を上げてあげないといけないかな。
「弟さんの用事は済んだの?」
 謙一郎と了は同い年だが、謙一郎の方がずっとしっかりしているし…可愛い。
 謙一郎は大学の入学が決まって直ぐに両親と死別した。
 父親の「男は大学を出ていなければろくな職に就けない」という言葉を思い出したので、親の残した財産とバイトで大学に通ったそうだ。
 講義が終わると、クリーニング店の配達から始まって高校受験専門の家庭教師、深夜のコンビニのバイト。アパートに戻るのはいつでも深夜三時。それから急いで布団に潜り込み、翌朝又、大学へ行く。そんな生活をしながら大学を卒業した。
 了の方は親の金で大学に行って、友達と遊び呆け、そのうちふらりとアメリカへ留学・・・という名目で遊びに行き、ギリギリの単位で卒業した。特に目標も無く生きているので、父の跡を継げと言われても異論も反論も述べなかった。
「一郎さん。」
「なんだ?」
「どうして謙一郎はこんなに可愛いんでしょうか?」
「…惚気に帰ってきたのか?」
 それは事実だ。僕は今、謙一郎以外、見えない。
「…お父さんの具合、良くないんだね?」
 謙一郎は聡明な子だ。
「そんなことない。まだ気がつかないけど。」
 父には母も、兄も、可愛い孫娘たちも、弟も、いる。
 謙一郎には僕と…不本意だが一郎さん、しかいない。だから守ってあげたい。
 つい…と、近づいて抱き寄せる。
「一郎さん、離れに愛人を囲っていたっていうのは事実ですか?」
 腕の中で謙一郎が身じろいだが、離さない。
「それが事実だったら…」
 どうしようか…
「待って…温さん、それ…」
 必死で腕から逃れようともがくので、力を少し強くした。
「んー、違…う。」
「源八だろう?その情報源。」
 パン屋の先代の名前はそんなんだったような…。
「信之丞君だよ、それ。」
 何とか腕から逃れた僕の恋人が口にしたのは、知らない男の名前だった。それだけで何故か身体中の血が沸騰した。
「男を、囲ったんですか?」
 信之助さんに片想いしていたって言ったから、だから探したのに…。
「違うーっ、じいちゃんの死んだ息子さんだよ。」
 死んだ?
「産まれて直ぐに風邪をこじらせて肺炎になってしまって…母屋に置けないって言われて、じいちゃん泣く泣く手放して、離れに隔離されてしまったんだ。だから夜にこっそり会いに行っていたんだよ。」
 あの…じじい…
「温さん、じいちゃんのこと心配してくれたんだね。」
「当たり前だろう!!」
 そう、当たり前だ。今の僕には謙一郎と同様に一郎さんも大事な人だから。
「一郎さん、謙一郎。暫くの間弟と伯父から僕宛に連絡があるかもしれません。ご迷惑をお掛けしますが…」
「あっちゃん、それは水臭いんじゃないのか?けんちゃんも私もあっちゃんのこと、心配していたんだ。」
 あ…
「はい。ありがとうございます。」
「うん。」
 一郎さんが、微笑んだ。