日曜日。君はいない。
「ただいま」
夕方18時を過ぎてようやく謙一郎はスクールから帰ってくる。
謙一郎が働く八百屋を閉めて勉強に集中するように言ったが、頑固者なので首を縦に振らない。
毎日忙しく働きながら週末に勉強するのは大変だろう。
朝の市場へ行く作業も人を一人雇えば僕一人で行ける。
夜の店じまいもバイトにやらせれば夜間のスクールに通える。
なのにどれ一つとして譲らないのだ。
一郎さんは僕にも造園業の資格を取って、みんなで花屋に転職しようと言うが、僕は花に興味がない。
あるのは謙一郎のことだけ。
それって何だか寂しいな。謙一郎にかける負担も大きくなってしまう。
そうだ、やはりここは店を運営して行くにあたって二人が花屋に専念できるよういかに稼いで行くか、真剣に考えて…って、これも謙一郎のことか?
なんかつまんない人間だな。
「辞める?なにをですか?」
「だから八百屋。二足のわらじは無理だ。一つに専念しよう。」
一郎さんが言い出さなければ謙一郎はずっと今のまま無理を続けるだろう。
「私も花屋を見てみたい。」
はたと、気付く。
今のペースだと何年先になるか?それが言いたいのだ。
「わかりました。本店以外閉めましょう。」
「いや、すべてだ。あっちゃん、君は弟さんの仕事、手伝ってやれ。こっちが軌道に乗ったら帰ってきてくれれば良い。」
謙一郎がニッコリ笑う。
図られた。
相変わらず了からは連絡が入っていて困ってはいた。でも。
「勿論、温さんが帰ってくるのはここだからね。」
「当たり前だろ」
ありがとう。
「でも、八百屋は私の夢ですから、閉店は断ります。」
僕は気付いた。八百屋が好きなんだ。
「一郎さんと謙一郎は花屋、僕は八百屋。問題は無いですよね?了の面倒を見させていただくのも固辞しません。しかし八百屋は続けさせてください。」
今、八百屋を辞めたら、了に言い訳が出来ない。
「二人も、気が向いたら手伝ってください。」
一郎さんが微笑んだ。
「あっちゃん。あっちゃんは本当に八百屋が好き?」
二人っきりになると謙一郎は僕をこう呼ぶ。
「好きだよ。もともと営業だったからね、物を売るのが好きなんだ。小売業は直接売買をするから、ストレートに感情が伝わって情報を得やすい。特に主婦層は会話をしないと何を要求しているのか分らないからな。」
愛想だけはいいと、達によく言われた。
「あっちゃんは奥さん達に人気だから…心配だな。」
口ではそう言っているが、目は心配などしていない。
「じゃあ、僕に何もしないでぼーっとしていろ…と言うのか?了の助言くらいはするが、全面的にバックアップを始めたら僕は二度とここへは戻れない。大丈夫だよ、本店は一郎さんのテリトリーだ、心配なんかいらないよ。」
おいで…と手招きして謙一郎の頭を胸に抱く。
「うん。ごめんね、僕の我侭に付き合わせてしまって。」
「お互い様だろう?」
そう、八百屋を続けるのは僕の我侭。
「八百屋から花屋に転職か。」
「…あっちゃんは八百屋が天職なんだね?」
一瞬、謙一郎が言ったことが分らなかった。
「そうだね、天職かもしれない。」
父親の仕事は継げない、高校生の時にそう感じた。だから何があっても自分は違う職業を目指そうと、技術職に着くことを願った。しかし、不運なことにどこの企業にも受け入れてもらえず、父と同じような道を歩むことになった。
「謙一郎に会うために、僕はあの会社に就職したのかもしれないな。」
電気系の設計技師になりたかった。なのに物を売る、営業職だった。
謙一郎も絵を描く夢を諦め、営業職に就いた。
「花屋だったら、絵が描けるな。」
「絵は…描かない。僕に絵の才能は無かったんだ。」
謙一郎には、何か挫折があったのだろう。
「天職だったらいいな、花屋が。」
「そうだね。」
唇を重ねようとして謙一郎の顔を見たら、その視線は出窓のプランターに注がれていた。
僕には名前の分らない、黄色い小さな花が咲いていた。 |