謙一郎&温シリーズ
=花= 『紫陽花』

 切通しの途中にそこは存在している。
 月命日…と言っても本当に亡くなった日なんて知らない。
 死亡通知が届いた日が私にとっての命日だから。
 今日は紫陽花の花を切ってきた。
 唯一、ここにだけ家の庭の花を切って持ってくるのだけれどここは紫陽花の花が沢山咲いていることを忘れていたよ。
 階段の片側に咲き誇る紫陽花…あなたに似合っている。

「なん…」
 今何て言った?
「出征前に祝言だけ挙げようということになりました。」
「結婚…するの?」
「はい」
「好きなの?」
「はい、好き…です。いえ、好きなんてもったいなくて…」
 父は僕から信之助を取り上げるんだ。 姉と一緒にさせて自分の配下に加え、戻ってきたら秘書として一生父に仕えさせる…。
 ――嫌だ、信之助は誰のものにもならないで…一生庭師として傍にいて―― 「それは・・・良かった…」
 心にも無い事を言ってしまった。
 しかし、姉は信之助と祝言を挙げる前に他界した。いや、自殺したのだ。 僕が…姉を強姦した、取られたくなかったから。
 なんて僕は子供だったのだろう…しかしその時は必死だったのだ、必死で信之助を…愛したのだ。

「ごめん、姉さんと一緒にしてあげなくて…」
 あなたが姉に好意を抱いていたのは知っていた。完全に私の片想い。
『一郎さんは紫色ですね。高貴な色です。』
 あなたの目には私はそんな風に映っていた…。
『じゃあ、姉さんは?』
『春さんは…桃色です。』
『信之助は青色だね。』
 冷たい青だ…私の気持ちなんて知らないまま、頬を染めていた。
 紫陽花が紫色になったから持ってきた。
 でもきっとすぐに青になってしまうのだろう…それがあなただから。

「じいちゃん、温さんの就職が決まったんだ。」
 嬉しそうに謙一郎が報告した。
「じゃあ、けんちゃんもそろそろ就職活動しないとな。」
「うん」
 もしも…今の時代に産まれてきていたのなら、私は信之助さんに 好きだと言えただろうか…謙一郎のように…
「そうそう、じいちゃんの留守中に伸子さんから電話があったよ。」
 そのひとことで現実に引き戻される。
 私は、結局父の引いたレールの上を歩いたのだ。
 …いつ産まれてもやっぱり私は片想いのままだった…