=転属=
「横山」
 武が俺の名を呼ぶ、一ヶ月ぶりだ。
「本当に来たんだな」
「ああ」
 先輩の阿井田さんに辞令が降りたのは武より一週間後だった。 そしてその二日後、おふくろさんが倒れた。
 阿井田さんが東京第一営業所にとって、いや会社にとって大事な人なのは誰もがわかっていた。
 だから転属を断ることは会社にとって大損害なのだ。
 俺は何も考えずに阿井田さんに言った。
「俺が代わってもらってもいいですか?」
 取締役に俺は直談判した。
 最初は軽くあしらわれた。
 武が異動になった大阪営業所は、現在社運のかかったプロジェクトを手がけている。
 そんなところに俺が行ったって足手まといだからだ。
 それでも俺は粘った。
 …それが一ヶ月かかったのだ。
 阿井田さんのおふくろさんはあれから一度も目を覚ましていない。

「荷物、これだけか?」
「そーだよ、今までは実家だったからな。」
「布団と、着替えだけか?」
「他に何かいるか?」
「洗面道具とか、調理器具とか…」
「そっか…」
 武は暫く悩んでいたが
「僕が、買って来てやる。お前は片づけを…することないか。」
と、つぶやき
「一緒に、行くか?」
 照れながら言った。
「武」
 俺は武の腕を掴み、一ヶ月ぶりに唇を重ねた。
 どんっ
 胸に痛みを感じて転倒した。
「馬鹿っ何しやがるっ」
 真っ赤な顔で武は抵抗した。
「何って…接吻、キス…忘れたのか?」
「…忘れてなんか…いないけど…いいのか?本当に?」
「良くなかったらここまで来ない。」
 言いながら俺は立ち上がり、今度はもっと深く、唇を重ねた。
「ん…んんっ…」
 今度は武が倒れた…というか腰砕けになったというのが正しいだろう。
「何してんだよ、買い物、行くんだろ?」
 …楽しみはまだまだこれからだ。