= 出走取消 =
 課長の昇進が決まった。
 すぐに東京に戻るのかと思われたが、もう暫くこっちにいるらしい。
 なんでも奥さんに「東京に戻ると二人になれない〜」なんて言われているらしい。
「昇進、おめでとうございます。次は取締役ですね?」
「惜しいことしただろ?」
「まさか。俺にはあなたを部長にする力はない。」
 小さく、笑った。
 この人が笑うのを見るのは久しぶりだ。
 昇進祝い…と称しての飲み会、ただ単に騒ぎたいだけのメンバーだ。
「本当だったんですね?」
「何が?」
 いつのまにか、隣の席にいたのは四位。また絡むのか?
「岡部部長が横山さんに好意を抱いていたというう・わ・さ」
「噂だよ」
 最近のやつらはうわさに振り回され過ぎだ。
「そんな噂を信じるより、他にすることがあるだろう?」
 四位は急に押し黙った。
「テル、こいつさぁちょっと相手してやってくんない?」
 俺は厄介払いをした。テルなら適当にあしらってくれるはずだ。
 一日中一緒にいるのにこれ以上はごめんだ。
「懐いてる後輩を邪険にしてるな」
 岡部さんが珍しい物でも見るような目つきだ。
「懐かれてないです。毎日人に絡んでばかりで仕事覚える気があるんでしょうかね?」
 空いたグラスにビールを注ぐと、最近は家で禁酒させられていると嘆いた。
「そうかな?四位の奴、いつもお前のこと、褒め倒してるぞ。…妬けるくらいにな。」
 そんな馬鹿な…
「俺、嫌われてますよ、あいつには。」
 すると本当にびっくりしている。
「おまえがへこむなんて武の時以来じゃないか?」
 そうか?そんなことないと思うが…
「遅くなりました」
 交通渋滞で帰社時間が遅れていた武と藤田がやってきた。一気に場が華やぐ。本当に華や
ぐんだ、うん。
「お疲れ」
 一番に声を掛けるのは岡部さん。彼は部下に対してわけへだてなく接する。武曰くお前にだ
けは絶対に甘い…そうだが…。
「お疲れ」
 藤田は標準男子よりいくらかサイズが小さい。
 グラスにビールを注ぐと困ったような顔で俺を見た。
「すみません」
 なぜか謝っている。
「四位に噂を流しているのはボクなんです。あいつ、真面目だからなんでも間に受けて面白くな
っちゃって…」
「だよな?普通はその程度だよな?あいつ、過剰反応なんだよ。」
 後藤のでかい手足に絡めとられて四位は身動きとれない状態だ。座敷とはいえ、プロレスか
?大人げない。
「そこ!ガキじゃないんだから!」
「だったら!」
 なんだ?
「私は先輩と飲みたいんです!こんな凶暴な奴はごめんです!」
 ガツン
 勝浦の行動は早かった。
「お前なぁ、いくらシニアだからって横山先輩はお前の物じゃない!俺等んだ!」
 …馬鹿
「ホモのくせに…先輩のケツ追っかけてるホモのくせに!」
 ゴツン
 今度は後藤だ。
「なに言うてんねん。」
 後藤が本格的に右手を振り上げた。
「馬鹿、暴力は駄目だ。」
 慌てて立ち上がり仲裁に入ったが…。
「先輩は私のシニアなんですから、一心同体なんです!」
 俺は四位の手元を見た、持っているのはビールが入ったグラス…酔っている?
「あらぁ、横山先輩、飲ませちゃいました?」
 藤田が飄々と言う。
「うん。何も言わなかったし。」
「こいつ、酒好きなんだけど全然弱いんです。」
 おいおい。
「かつみ…ちゃん」
 突然、呟いたのは武。しかし、意外にも四位が反応した。
「勝美(かつよし)です!」
 あ、武、もしかして思い出したのか?
「いつも航太郎にキスされてビービー泣いてた、かつみちゃんだ。」
「だからっ、かつよしです。」
「なんで気付かなかったんだろう?」
「…武さん、ずっと私のことそう呼んでいましたよね。女の子だと思っていたんですか?」
 目が据わってる。
「いい加減にせいっ。わいら今夜は何で集もうたんか忘れたんかい」
 後藤の一喝は利いた。
「四位、人のこと、確信がないのに皆の前で言うのは良くない。俺みたいに自主的に言い触らし
ているのとは違う。名誉に関わるからな。」
 本心、そんなこと思ってない。なぜかこの営業部には同性愛者が多い。もしかしたら一人(そ
れは当然自分だが)いると伝染するのだろうか?
「すみませんでした」
 四位が素直に謝った。
「部長、横山先輩と付き合っていたって本当ですか?」
 こいつ、何にもわかってない…
「四位君は誰かを好きになったことはあるのかな?」
 岡部さんはにっこりと微笑んだ。
「私と横山君は今の君達と同じ、シニアとジュニアの関係だったんだ。」
 うんうん、間違ってはいない。
「そうなんですか?」
 そんなに目を大きく見開くほど、驚くことなのか?
「すみませんでした」
 もう一度謝る。と、今度は四位。
「暴言を吐いたことは謝ります。…で、本当はどうなんですか?」
 四位は何も言わない。
「おい、いい加減にしろよ・・・」
 俺は静止せざるを得なかった。
「私は…恋愛が出来ないんです。女も男もどっちにも恋愛感情が湧かないのです。」
 それ、なんか、聞いたことがある。
「だから?」
 そう言ったのは、田中晴秋(はるあき)だ。彼は彼女いない歴が相当長いらしく、キレると手が
着けられなくなる…まさか?
「だから人を傷つけるかもしれない言葉を平気で吐いていいのか?自分の好奇心を満たせれ
ば満足か?」
 座敷の隅に座っていた彼は、おしぼりを右手に、立ち上がった。
「わかった、ハル、この話は明日にしよう?」
 とりあえずの収束を選んだ自分が馬鹿だった。
「ヨコはこんなこと、仕事中に話すのか?」
と、返されてしまった。しらふ…なのかな?
「いや、そういうわけじゃないけどさ、折角部長の昇進祝いで集まったし、店にも迷惑だろう?なんな
らこの後、うちに集まってもいいからさ。」
 武が苦笑いをしていたのを、俺は目の端に入れた…が、次の瞬間、
「かつみちゃん、子供時のあのメンバーの中に、誰か好きな人がいたよね?」
と、何気なく、誰に言うとでもなく発した。
「そうだよ、お前移動中に嫉妬がどうとかって言っていたじゃないか。」
「そ・それは…」
「かつみちゃんが可哀想だから言わなかったけどおにいちゃんの勝暁(かつあき)君、大好きだっ
たよね?」
 その一言で観念したらしい。
「本当にごめんなさい。初めは意識があんまりなかったんですけど、覚醒してきたら引っ込みが
つかなくなっていたんで酔いのせいで通せると思っていたんです。」
「あとで横山のうちに行くんだろう?僕も行く。しっかり説教、するからな。」
 武、君はもしかして…S?
 とりあえず、田中も後藤も怒りを武に預ける形でこの場は収まった。しかし全員から反感をかっ
たのは確かだ。
 どのようにして名誉を回復させるかが、問題だ。


「横山が悪い。」
 部屋につくなり、武に言われた。
「こいつが甘えているの、分かっているだろう?学生じゃないんだから、なんでも言うなりになると
思わせるな。何のためのシニアなんだよ。」
 何故か俺が叱られまくり。
「四位もいけない。嫌がらせにもほどがある。やる気がないなら辞めろ!」
 徹底的に責める。
「なぁ、藤田も毎日そんな調子で叱るのか?」
「当たり前だよ」
 武は冷蔵庫から勝手にビールを取り出すとテーブルに並べた。一つを手にとるとプルタブを開け
て四位に差し出す。
「酒が弱いのも嘘だろ?そんなに…横山の気を引きたいのか?」
 あ、こいつ…
「今年の新人は即戦力にするからシニアに着くのは二か月と短い。それ、知ってたんだろ?僕を出
し抜こうとしても無駄だ。」
 これは武の本音。
「…ちゃんと横山先輩に言ったじゃないですか。私は武先輩が好きなんです!」
 ほらみろ…。ん?
「ちょっと待て!」
 俺は戦線布告を受けた。
「…僕は………なんだ…」
 ?
 俺も四位も首を傾げることしか出来ないくらい小さい声で武が呟いた。
 俺たちがあまりにも無反応なので、俯いていた顔を上げた。すると耳まで真っ赤になっていた。
「……」
 酸素不足の金魚みたいに口をパクパクさせながら、何か抗議しようとしていた。
「分かったよ、言うよ。僕は由弘だから付き合ってるんだ。由弘じゃなかったら嫌なんだよ…」
 それだけ言うとベッドにダイブして布団を頭まですっぽり被って隠れてしまった。ま、あいつの性
格じゃ相当恥ずかしかったんだろうな。
「…だってさ。どうする?」
 今日の俺はちっともカッコいいところがなかったなぁ…なんて考えながら、四位の方を見た。
「じゃあ、先輩でいいです。」
 は?
 武がベッドから飛び出した。
「かつみ、お前帰れっ」
「かつよしです。」
 ニッコリ、微笑む。
「では先輩、又明日。」
 四位はすっと立ち上がるとそのまま玄関へ向かった。
 靴を履きながら、
「私の部屋、このアパートの105号室です。」
と、小さく言ったのを、聞き逃さなかったのは武の方。
「由弘、気付かなかったのか?」
「知らない。」
「馬鹿っ」
 武は再びベッドの潜り込んだ。
 遠くでドアが閉まる音がした。…で、あいつは一体誰が好きだったんだ?