= カップラーメン =
 今夜は一人。尚敬は来ない。
 まぁ、そんな日があってもいいかなぁ。なんて思っていたときだった。
 時計は既に深夜12時を回っている。
ピンポーン
 呼び鈴が鳴った。
 俺はてっきり四位が着たんだと思っていた。だからそげなく帰すつもりで、チェーンを外
さずにドアを開けたのだ。
「なんだよ、折角来てやったのに随分な仕打ちだな。」
 それは相当に泥酔している柴田主任だった。
「どうしたんですか?こんな時間に。」
 慌ててチェーンを外し、中に入れた。そうしないとこの人は外で騒ぎ始めるからだ。
「このアパート、四位もいるだろう?呼べ〜!!」
 駄目だ、これは今夜は寝かせてもらえない…。
 柴田主任は酒が入ると人格が変る。
 別に酒癖が悪いわけではないが、声がでかくなる。
 あまりにもしつこく四位を呼べと連呼しているので、主任の携帯から電話を掛けた。俺の
携帯からだったら絶対に出ないからだ。
「嫌です、私は行きません」
 コールが終わったと同時に耳に飛び込んだ言葉。
「何時だと思っているんですか?全部聞こえています。」
 そりゃあ、そうだ。
「この状態で三年ってはっきり言ってきついです。こんなにホモばっかりいる会社って、人事
の趣味ですか?」
 ・・・なんて失敬なヤツだ。
「柴田主任、男に振られたのか?」
「気付かなかったんですか?今まで。」
「全然。」
「本当に自分のことしか見えていないんですね。」
 当たり前だ、自分のことで手一杯だよ。
 けど…。
「おやすみなさい」
ツーツーツー
と、無情な音が響いた。
「四位は来ないです。」
スースー
 あんなに騒いでいたのに、安らかに(?)眠っていた。
 しかし。何があったのだろう?酔って寝るまで飲むなんて、らしくない。

「夕べはすみませんでした」
 泥酔状態の主任を、うちの前でタクシーから降ろし、自分はさっさと帰宅した吉田は、形だ
け謝ってきた。
「何が、あったの?」
 吉田が知っている話を聞いたが、ちっとも要領を得ない。
 田中さんを好きな女性が現れたからって、どうして?
 主任には奥さんも子供も(四人も)いるから色恋ではないと思うが…
「なんで、うちに来たんだ」
「さぁ?『ヨコんちに連れていけ〜!!』と叫んたでので、そのまま連れて行きました。」
 おいおい…。
 仕方ない、本人に聞くしかないか…

「ゆうべ?あー、悪かった。実はさ、勝浦と賭けてたんだ、田中に彼女ができるかって。負け
た方が駅前の焼き肉屋でギブアップするまで食べ放題…うちには四人の子供が待って居る
のになぁ。
…あっ!」
 柴田主任は慌てて駆け出した。
 しかし…四位に騙された…
「参ったなぁ…奥さん怒ってる。」
 戻ってきた主任は家に電話していたらしい。
 先輩の奥さんには夕べのうちに電話をした、けど…黙ってよう。
「今夜は早く帰ろう…」
 とぼとぼと歩く後ろ姿は哀愁しかなかった…

「何が気付かなかっただ。ったく。」
 四位が同行するのも今月が最後。来月からは独り立ちして担当がつく。
「先輩は勝手に勘違いしたんじゃないですか。私は何も言いませんでした。」
 う、確かに。
「しかし勝浦さんに奢るのが嫌であんなに騒いだのでしょうか?」
「そうなんだよな、ちょっと尋常じゃなかったよな?」
 うーん。
「考えるのは構いませんけど前見て運転して下さい。」
「あーあ。お前がいるからその席に武を乗せられないよ、まあ、あと少しの辛抱だけどね。」
「柴田主任、気付いていないのかもしれません」
「また?」
「今度は本気です」
「わかったよ。もうお前の話は半分だけ聞いとくよ。」
 真面目に聞くと恥をかく。
「先輩は、」
 そう言って少し躊躇うように間を置いた。
「何だよ?」
「いや、先輩は武先輩だけ、好きなんですか?」
「…どういう、意味だよ。」
「私は、彼女の他にも心を奪われる人っているんです。」
「…彼女がいるのかよ、生意気だな。」
「まぁ、途切れたことは無いです。」
 自慢話をされるとムカつく。
「…続けて、いいですか?」
「どうぞ。」
「だから、恋人がいるのに、凄く心惹かれる人間に出会ったりすることってあるじゃないで
すか。例えば…」
 少し言葉を切り、考えてから続ける。
「焼き鳥屋の親父の生き様とか、二着でいくらで売っている安売りスーツの店で必死にな
って接客している売り子のお姉さんとか、初恋の子に似ているアイドル歌手とか。いませ
んか、そういう人。…そうですね、先輩にはこう言えばいいんですね。武先輩という恋人が
いるのにジュニアの私が気になる…どうですか?」
「ばーか」
 何でお前なんかが気になるんだ。
「別に恋愛じゃなくても好意はあるじゃないですか。それだと思うんです。柴田主任は」
「…柴田主任、田中さんのシニアなんだよね。」
 言いたくなかったこの一言。
 四位がニヤリ…と音がしそうな笑みを浮かべた。


 今夜も、尚敬は来ない。…出張中なんだ。
 そんな時、やっぱり玄関の呼び鈴が鳴った。
 ドアチェーンを掛けたまま、隙間から覗く。
「なんだ、今夜は来たのかよ。」
 昨日は拒んだくせに。
「飯、食いました?」
 実は食べていない。尚敬がいないと食欲もない。
「材料を買ってきたんで一緒に食べませんか?」
 餌に釣られた俺は天敵を部屋に招きいれてしまった。
意外にも四位の料理手順は見事だった。
 特別、凄いものを作っているわけではないのに見栄えもいい。
「母が、女の子が欲しかったそうなんです。けど三人とも男で、一番素直な私に料理を仕込
みました。」
 素直…ね。
 出てきたものはオムライス。
「可愛らしい料理だな。」
「一番簡単で腹持ちもいいですからね。」
 持ってきたスーパーバッグの中から、カップラーメンが出てきた。
「スープがわりに食べませんか?」
「ああ」
 気付いていた、こいつはカップラーメンが好きなんだよな。昼によく食っている。
 女の子のようにいそいそとキッチンですでに湯を沸かした薬缶から準備したラーメンのカッ
プに注ぎいれている。
「昔、一度だけフラれたことがあるんです。その時食欲は無いけど腹が空くし、でも作る気が
湧かなくてコンビニでカップラーメンを食べてからファンになりました。」
 あっと言う間に食卓の準備が整った。
「お前でもフラれて落ち込むんだ。」
「かなり落ち込みました。そんなに好きだったっていう自覚が無かったのでダブルでショック
でした。」
 ケチャップをオムライスの上に滑らせながら、四位がフラれて落ち込む相手、どんな相手
だろう?と考えていた。
「私は、バイだったんです。」
 は?
「どっちでも、いいんです。」
「バイセクシャル…ってことか?それだったら訂正してくれ。どっちでもいいのではなく、人間
を愛せるってことだ。」
 スプーンでオムライスを掬った。一口、口に運び、咀嚼する。
「美味い」
「助けてください。言わないつもりだったけど、やっぱり苦しい。」
 カップラーメンの蓋を取り除いた。音をたてて啜る。
「シニアの仕事に色恋は無いぞ。」
「…」
 四位が突然笑い出した。
「ありがとうございました。完璧です。」
「は?」
 スーパーバッグを手繰り寄せ、中から原稿用紙を出してきた。
「脚本、書いているんです、ゲームの。」
 ポンッとその原稿用紙を床に投げると、勢い良く食事を始めた。
「主人公の女の子が恋した相手に、ホモセクシャルの男がいるんです。でも資料が足りなく
て困っていたんです。」


 四位は皿の中身を平らげると、とっとと帰っていった。
 又、俺はかつがれた。



 四位の放り投げていった原稿用紙。そこには何も書かれていなかった。