= とまどひ =
 田中先輩に言ったことは本当。但し母のことだけ。
 ボクに暗示をかける力はなかった。だから母はボクを諦めたんだ。ボクがし
たことはただひたすら願うこと。
 あの人が一瞬でもいいから、ボクのことを愛してくれるように―


 由弘さんごめんなさい
 無理矢理誘って寂しさに付け込んで二人きりになって。
 貴方がこんな可愛い寝顔だとは思わなかった。
 やっぱり、うちの家系はホモセクシャルなんだ。どんなに否定しても駄目だっ
た。でも、それは貴方だから?
 料理に睡眠薬を混ぜて眠らせ、強引に身体を奪おうかとも思った。だけどそれ
以上に貴方の寝顔は魅力的だ。目を奪われ、ただ見入るばかり。
「由弘、さん」
 ごそっ
 貴方は寝返りを打つ。
 我慢できなくなり、手を延ばす。形の良い、唇。この唇でボクの唇を吸ってもら
ったら…死んでもいい。
 まぶたがぴくぴくしている、お目覚めだ。
「おはようございます。」
 また、感情を奥深くに仕舞い込む。
 口を開くと憎まれ口…本当は甘くて溶けそうなセリフを吐いてみたい。だけど
武さん…貴方の恋人はボクの幼なじみで憧れの人だった。その人を愛した貴方
を無理に引き裂くなんて出来ない。
 なのに愛されたいなんて矛盾…


「風邪?」
 ボクは『風』と聞かれたのかと思い、窓を見た。
「違うよ、四位の目が潤んでいたから風邪かと思ったんだよ。」
 さりげなく、貴方はボクの額に手を当てた。ボクは思わず身体を引いていた。
「熱はないみたいだな。」
「煙…じゃないですか?」
 約束通り、日参してくれる貴方。
 また眠ってしまったら。もう自信がない。
 自分の気持ちを認めてしまったらこんなにも素直に受け入れられるのだと知
った
「あのさぁ…」
 鍋を前にして箸を持ったまま、視線を合わすこともせずにいきなりの問いか
け。
「武のこと、好きなんだろ?ガキん時、憧れてたって言ってたもんな。」
 そんなときもあった。
「そうですね、なおちゃんは優しかったですから。」
「なお、ちゃん…ねぇ。なあなあ、あいつガキんときも可愛かったか?今みたいに
プライドが中途半端に高かったか?でもすぐに泣くんだよな。」
 いやだ、ボクと二人でいるときまで、あの人を連れて来ないで…。
「泣かすのは先輩しかいないじゃないですか?」
「まあ、そうだけどね。」
 ぱちん
「なんだよ、何でカセットコンロの火、消しちゃうの?」
 それはね、すぐにわかるよ。
 バタン
 先輩は小さくうめいた。それでも構わずに唇を重ねた。
 貴方はあらがいもせず流れに身を任せている。
「貴方が、欲しい」
 何、言っているんだ、ボクの唇。
「やんねーよ。俺は尚敬のモンだからさ。」
 分かっていすぎる現実。
「今だけでいいんです、貴方の全てが欲しい。」
 惨めだ。
「駄目だ…」
「やだ…好きなんですっ。好きで好きで、どうにかなりそうなんです。助けて…」
「俺は嫌いだ。」
 ボクに組敷かれているのに、平然と嫌いと言う。
「嫌いな奴とは抱き合えない。」
「そんなに、嫌いですか?」
「ああ、大嫌いだ。」
 何度も、その唇はボクを嫌いだと吐き捨てる。
「好きに、させてみろよ。尚敬のこと捨てることも厭わないくらい、好きにさせてみ
ろよ。今夜だけじゃなくて、何もかも捨てても構わないくらい、好きにさせてみろよ
。」
 貴方は、ボクの身体を力強く抱き締めた。
「でもさ、ありがとう、好きになってくれて。」
「…無理、です。貴方は私のことなんて見てもくれない。だったら無理にでも抱い
て、ボクの方を見てもらうんだ。」
「ばーか。強姦された女が犯人に恋するか?俺は毎日、俺に付き合ってくれる四
位は好きだよ。…確かに一目惚れってあるけどさ、やっぱりそいつの本質に触れ
て、初めて好きになるんじゃないかな?俺はまだ、お前の本質が分かっていない。
だってずっと隠し続けていたじゃないか。」
 優しく、子供をあやすような手つきでボクの背をさする。
「好きに、させてみろよ。」
 もう一度、唇で唇にそっと触れる。
「わかりました。半年の間に、あの人から貴方を奪ってみせます。」
 貴方は、そっと目を閉じた。
「…あいつさぁ、浮気して良いって言うんだ。好きな人が出来たら捨てても構わな
いって言うんだ。…あいつは男なんだ。やっぱり俺はただの通過点なんだ。いつ
か、うんと年下の女の子と結婚するんだ…」
 瞳は濡れていた。瞬きすればこぼれる涙。
「会いに…行けばいいじゃないですか。そんなに愛しているなら迎えに行けばいい
のに。ボクを巻き込まないでください、いまならまだ間に合う、ボクは諦められる。」
 横山先輩の身体がゆっくりと起き上がり、ボクの唇を唇でふさいだ。温かい舌が
唇を割り、歯列をこする。ボクはすぐに抵抗する力がなくなる。
「んっふぅっん…」
 喉の奥から漏れる音。
 キスはどんどん深くなり、互いの唾液が唇の端からあふれる。
「おまえが、火をつけたんだからな、責任とってくれ…」
 責任…ってどこまで?戸惑いながらボクは貴方を受け入れ…ん?
「ばーかっ、うそだよっ」
 !!一体、何処までが本当でどこまでがウソなんだ?
 …今まで散々虐めた罰を受けている気が…する。