= 青天霹靂 =
 何というか…そう、まさに晴天の霹靂だ。


「おはようございます。」
 いい加減ぶちキレるころだろうとは思っていた。何故か俺は飲むと横山の部屋に転がり
込むのだ。
 しかし。
「大変だったんですよ〜、テルと二人で運び込んだんですから。そろそろ自重してください
ね。奥さん、迎えに行くんでしょ?」
 ドキッ
 自分がどうして田中の部屋にいるのか困惑しているところに俺が今抱えている問題で最
も最大級の問題を投げつけられた。
 奥さんと子供たちがいなくなった。正確には実家に帰ってしまったのだ。
 原因不明…
「夕べのことは酔った上での戯言だと、思っておきますからね?」
 なんだ?たわごと?
「何か、食べますか?」
 首を振った…と同時に激しい嘔吐感に襲われた。
「あー゛っ、洗面器はこれ。布団は駄目ですからね〜」
 叫びながら背をさすってくれている。
「飲み過ぎです。」
 よく冷えたミネラルウォーターを手渡された。
 何故だろう、突然田中に口移しで飲ませて欲しいと思った。
「奥さん、待ってますよ?」
「うるさいな、さっきから。わかってるよ!」
「ごめんなさい!」
 俺は田中の二の腕を捕らえ、こともあろうか…さっき思ったことを実行していたのだ!
「んっ…」
 意外にも田中は抵抗せずにそれに応えている。
 身体を放すと力なくヘタヘタとベッドにもたれた。
「いい加減にしてください。夕べからこればっかり…オレは奥さんの代わりじゃない。」
「これ、ばっかり?」
 心臓がバクバクいっている。
「…覚えて、ないんですか?もしかしてヨコの部屋でもやっていたとか?」
「悪い、何のことか…わからないのだが。」
 大きくため息をつかれた。
「部屋に入るなりずっとオレにしがみつくみたいに抱きついて、その…キス、されました。」
 …ガーン
「そのうちズボンの上から撫でたり揉んだりされて下着、ぐちゃぐちゃです」
 な、なでたりもんだり?
「それは、悪かった。」
 バツが悪すぎる。
「横山の部屋では何もしていない…多分」
「そうですね、オレだけの方がいいと思います。オレでいいなら、ですけど。」
 おいっ。その件に関して俺は回答できないぞ。
「オレは朝ご飯食べますからね。」
 田中はにっこり微笑んでキッチンに立った。その後ろ姿を見て…欲情してしまったんだ
。 あんな話を聞いた後でこんな状態じゃ説明出来ない。慌ててトイレに立つふりをして個
室で処理した。
 最近自覚したこと。
―俺は田中に特別な感情を持っている―
 それがなんだか分からないから困る。でも俺は光希と恋愛結婚したんだから…なんだ?
「はい、味噌汁位のんだらどうですか?」
「うん…」
 はっきり言って今は食べ物を口にしたら吐きそうだ。けど俺の意思とは関係無く、勝手に
脳が田中が作ってくれた朝飯を食えと命令するのだ。
 味噌汁を一口、飲んだ。
「うまい。」
「良かった、おふくろ直伝ですから。」
 嬉しそうに微笑む。
「そういえば彼女とはその後どうだ?」
「普通です。」
 普通ってなんだ?
「仕事帰りに待ち合わせて、デートして…そうだ、彼女就職が決まったんです。奥さんに連
絡したら…」
 そこで田中は慌てて言葉を切った。
「すみません、西原さんの就職、柴田さんの奥さんに頼んだんです、あてがあると言われ
たので…」
「光希と連絡をとっていたのか?俺に内緒で?」
 田中は声にしないで頷いた。
 俺は大きく溜め息をついた。
「男女の仲…」
「違います。柴田さんを裏切るようなことは絶対にしません!ただ、他に女性の知り合いが
いなくて困っていて。奥さんが内緒にして欲しいってことだったんで…。」
 俺は馬鹿だ。田中の言うことは簡単に信じてしまう。
「あいつ、何を考えているんだ?」
 もう一度、溜め息をついた。


「やだ、田中くんったら本当に何も言わなかったの?それじゃあ、私の計画は失敗じゃな
い。」
 電話の向こうで光希が苦笑していた。
「最近のあなた、何を言っても上の空。反応するのは田中くんのことだけなんだもの。だか
ら意地悪したの。彼のことばかり考えていないで、私たちのことを見て?」
「見ているよ。」
 女はすごい。本当にそう思った。なんでもお見通しなんだ。
「田中くん、内示があったみたいよ?」
「内示?」
「新潟営業所だって言っていたわよ。」
「聞いてないぞ?なんで俺に打診がない?」
 俺は電話を投げるように切った。そのまま財布だけポケットに突っ込み、家を飛び出した



「はい。部長から直接。」
 あっけらかんとして言う。
「受けるのか?」
「はい。暫くは遠距離です。」
「そんなこと…」
 違う!
 次の瞬間。
「柴田さん…」
 何故だか分からないが涙がこぼれた。
「色々お世話になりました。」
「世話なんてしていない。…言ったじゃないか、側にいろって。」
「でも、オレだって幸せになりたいです。」
 幸せ?
「西原さんを連れていけない自分に腹が立ちました。」
「彼女を好きなのか?」
「はい」
 嘘だ―なぜかそんな声が頭の中で響いた。
「この歳になって惚れた女に着いて来いと言えないんです、情けないですね。」
 身体が動かなかった。指先一つ動かせなかった。
「だから奥さん、迎えに行ってくださいね。」
 金縛りから解き放たれたように突然、自由になった。
 同時に俺は田中を抱き寄せた。
「子供が四人いる、妻もいる。けど…」
 その先が声にならない。
「柴田さん。オレには勇気がありません。」
 両腕を伸ばし俺を退けた。
「平凡な幸せが欲しいのです。」
 俺は光希との関係が希薄になっているだろうか?
「奥さんとセックスしました。」
 そう言われてもまるでワイドショーを聞いているようだ。
「なんで、何も言わないんです?」
 何で…?
「嘘です、そんな貴方を裏切るようなことはしません。ただ…」
「好きなんだと、思う。」
 その先を遮る、口をついた言葉。
「俺は君が好きなんだと思う。いつまでも側にいて欲しい。けど君をどうこうしようとは思わな
い、西原さんと結婚してもいいんだ、側にいてさえくれれば。」
「無理です。」
 はっきり否定され戸惑う。
「あなたの言っていることは無茶苦茶だ。オレを好き?止めてください。だったらどうして…
。」
 田中は大きく息を吐いた。
「どうしてあの時に受け止めてくれなかったんですか?突き放したくせに。僕が必死で縋っ
たのに…」
「…気づいて、いたんだな?」

 田中は西原さんと付き合い始めたとき、悩んでいた。
 こいつはまだ恋に憧れていて好きになった人と付き合って結ばれたいと願う、少年の様
なヤツだ。
 コクられてなあなあで付き合ってセックスしてずるずる…となりつつある関係に早くも悩
んでいた。
「…好きだけど愛していない。」
 酔い潰れた田中はそう言った。
「俺だって似たような感じだ。偶然知り合って意気投合しただけだから。」
「なら!彼女を傷つけない方法を考えてください。」
 言いながら空を見上げた。
「あの時、あそこに貴方が現れなかったら…」
「本気にするぞ。今の俺はヘンだからな。」
「本気にしてください。」
 そう言って田中は道の真ん中で立ち止まった。
「彼女はオレ達のこと疑っています。」
 なぜだろう、この時すでに光希は実家に帰っていた。
「彼女の誤解を解かなきゃな。」
「今更、間に合いません。オレは今夜、彼女の両親に会いました。婚約したんです。」
「そうか、それはおめでとう。」
 なんだ?
「もう、いいです」
 田中は俺に背を向けた。



「で?ラストはどうなるんだ?」
「タイトルが『晴天霹靂』だから大事件がないと…あっ…」
「まずいと思うよ、これ。」
 ナカとカツ待望の女子社員が二名、採用されたのだが、最近はこういった類の小説が流
行っているらしく身近な人物をターゲットにしてストーリー展開を試みているらしい。
 全く…。どうせなら俺と尚敬にすればいいのに。
「でも田中先輩彼女と別れたみたいなんですよ。」
「そうなのか?」
 また暫く、一人じゃないか。
 俺は、豪快にため息をついていた。




「柴田先輩、酔っ払うたびにオレの家に来ないでくださいよ。あ゛〜〜〜っ、そんなとこでゲ
ロ吐かないでぇっ。」
 遠くで、田中が叫んでいる。