= 確認事項 =
「ただいま」
 尚敬がほほえむ。


「…んんっ」
 俺は約束通り、一週間後の金曜、仕事が終わると新幹線に飛び乗った。
 尚敬と博多で落ち合う。
 誰にも邪魔されないで二泊二日、二人だけで過ごすつもりだ。
「由弘」
 改札に出迎えに来ていた君は臆面もなく俺に大きく手を振った。
 深夜の新幹線、乗客は少ないとはいえ終着駅だ、それなりにいる。
「尚敬」
 改札を出ると君は俺の背に腕を回し、きつく抱き締めた。
「会いたかった」
 俺は戸惑った。
 四位と浮気していた事実を知られて、それでもまだ好きだといってくれた恋人。今まで通りに会っ
ていいのだろうか?
「由弘?」
 尚敬が微笑む。やはり薔薇の花びらが開くように優雅で上品で綺麗な微笑みだ。
 四位の笑顔も好きだ。あいつは朝顔のようだ。花開く瞬間は多くには見せない。でも花開いたら
可憐で優しい。
 ホテルに着くなり、尚敬は待ち兼ねたように唇を重ねた。いくら汗臭いからと頼んでも風呂を先に
…という希望は拒否された。
 で、今に至る。
「っん…由弘っ」
「ごめん」
 痛いほどわかるのに。惚れた相手が他の人を見つめる目が違っていたらという恐怖。
「もう、不安にさせないから。」
 こんなに愛しているのに。
「いや…今回のことは全部っ…ちょっ、待てっ」
「言っておくけど、尚敬に飢えているのは俺の方だ。」
 兎に角、今は尚敬が欲しい。


「だから!悪いのは僕なんだ。」
 唇を噛む。しばらく無言で俺を見ていた。
「愛してる、なのにいきがって強がって…僕は自分が男に欲情するって事実をまだ受け入れられ
なかった。けど身体は君を欲しがる。それはつまり、男の由弘が好きなんだ。プロポーズはする
ものでされるものではないと思っていた。けど…」
 腕を伸ばし、尚敬の小さな頭を抱き寄せる。
「嬉しかった。それは本当だ。そして君は浮気しないと、勝手に信じた。だからいいんだ、僕が悪い
んだ。」
 両手で尚敬の頬を包むように支え、唇を重ねた。
 泣いたように瞳が濡れていた。
「僕が、今度は僕がプロポーズする。もう迷わない。」
 俺は黙ってもう一度抱き寄せた。
「今、俺は尚敬にプロポーズされる権利はないんだよ。こんな風に君を抱いていて言うのもなんだ
けど、きちんと四位とのことを清算してそれから…それまで待って欲しい。でも…尚敬が好きだ。そ
れは変わらないから。」
 腕の中で尚敬は音もなく頷いていた。

 暫く、俺たちは言葉を発することもなく、ただじっと抱き合っていた。互いの心臓の音を聞きながら
・・・。
 どれくらいの時間が流れただろうか。
 ふいに尚敬が俺に聞いてきた。
「僕が、君のプロポーズを断ったとき、どう思った?」
「断られたとき?ショックとかなんて言葉じゃ表現できないよ、背中に燃え盛る隕石が叩きつけられ
たようだった。」
「うん。」
 再び沈黙の中に身を投じた。


 尚敬が長崎から戻ってきたら一緒に暮らそう。そしてどこか…南の島で二人だけの結婚式をしよ
う。


 なんてね。



 儚い夢。



 尚敬が大坂に戻ると同時に俺に辞令が下りた。
 なんで?
 池袋営業所 所長
 池袋?営業所なんてあったか?いや、それより所長ってなんだよ?

 ちょっと待ってくれよ〜。
「福永専務」
 俺は直ぐに"同期"の福永専務にねじ込んだ。
「天罰だ。」
「…個人的理由?」
 だって、知らなかったんだ。福永専務が社長の息子だったって事と、四位のことを好きだったな
んて。
「浮気相手に上司の想い人を選ぶなんて、絶対に許さない。」
「じゃあなんで栄転なんだよ?」
「不服か?」
「ああ、不服だ。内示が無い上に入れ違いなんて、絶対におかしい。それに出世するのは武のほう
だろう?」
「いいんだ。お前が四位君から離れれば問題は無い。」
「福永さんと結婚したんだろう?四位は。だったら俺は手出ししない。」
 すると、彼はものすごく不安げな表情で俺を見た。
「あいつ、まだお前のこと、吹っ切っていないよ。オレで、お前への失った愛情の穴を埋めているだ
けだ。」
「ちょっと、別の場所にうつそう。」
 ここで話すことじゃない、そんなこと。
 福永専務の腕を取り、引き摺るようにして外の駐車場へ場所を移した。
「あの子のこと、疑っているのか?」
「あの子って誰だ?」
「四位だよ。」
「疑ってなんか…いない。ただ不安なんだ。時々、何でも無いときに焦点の合わない視線でため息
をついている。あいつはオレじゃない、横山君を愛しているんだ。」
 俺は福永専務のネクタイを根元からグイッと引っ張った。
「はっ倒すぞ。あの子、俺になんて言ったか教えてやろうか?『絶対に離したくない人を見つけた』っ
て幸せそうに言ったんだ。あんたに頼らずに、自分の給料で払える精一杯のマンション探して迎え
入れるんだって、幸せそうに笑ったんだ。俺にはたとえ武と別れたって、あの子と一緒になるってい
ったって決してあんな顔はさせられない。だから…俺の言うことじゃないけど、大事にしてやって欲
しいんだ。」
 右手で俺の手を払い、ネクタイの位置を直す。
「一つ、教えてやる。今度の人事異動はオレの意思じゃない、親父だ。お前、親父に目をつけられた
んじゃないか?…逃げられないぞ。」
 福永専務はなんとも意味深な表情で去って行った。
「社長、かよ。」
 気付いたら声に出して言っていた。
 悪夢の、始まりだ。

 やっぱり、儚い夢だった。