= 先輩、後輩 =
「あっ」
 互いに顔を合わせた第一声だった。

 四月吉日。
 指定されたホテルのロビー。女性を待つという行為はなんだか華やいだ気分になる。
社長の娘、なんて何かがなければ顔を拝むことなんてないだろうし、ヨコの顔を立てる、という名目もあっ
たので折角の休日だったが出かけてきたのだ。
 相手も一人で来るらしい、ブルーのワンピース(が、上から一繋ぎのスカートだと初めて知った)を着て
いると言われて来たのだが…。


「田中なんてどこにでもある名字だから、まさか、ねぇ…。」
 確かに。
「正海さん、そういえば福永って苗字だったね。ずっと正海さんって呼んでたから気づかなかった。」
 彼女は懐かしそうに目を細めた。
「私だって。まさか高校の先輩が現れるなんて思わなかった。」
 僕たちは同じ高校の剣道部で先輩後輩だった。
「もしかして僕が採用になったのは正海さんと同じ高校だったからかも知れないな。」
 そういうと彼女は露骨に嫌な顔をした。美人がそんな顔をすると迫力がある。
「多分、そうだと思います。うちの父、かなりおかしいんです。兄はゲイだし…。」
 え?
「専務って…」
「先輩、知らなかったんですか?じゃあ横山さんのことも?」
「いや、横山は直接聞いたから。」
 すると彼女は突然笑い出した。
「だから先輩は鈍いんですね?学生時代だってかなりもててたのに気付かなかったんですね?」
 あまりにも楽しそうに笑うからつられてしまった。
「じゃあ、私は振られたわけじゃなかったんだ」
 え?
「何度もアタックしていたのに全然何のリアクションも無かったから、これは脈がないんだなぁ…って諦め
ていたんです。」
 知らなかった。

「でもね、私が名前で呼んでくださいってお願いしたら先輩だけは本当に呼んでくれたから嬉しかったんで
すよ。」
 彼女の笑顔は少女の頃のまま、無邪気だった。
 しかし、すぐに黙り込んでしまった。
「どうした?」
「先輩…やっぱり、断りますよね?」
「何を?」
「今日の、お話。」
「話?」
 たっぷり5秒は考えた。
「あ…あぁ…見合いね。忘れていた。」
 本当にすっかり忘れていた。
「先輩に問題がなければ、私は、お付き合いしたいです。」
 へ?
「来年、30歳になっちゃうんです。そんなときに先輩に再会できたのって、何かの縁だって思いません
か?」
 ん〜…まぁ、僕だってつい先日、再びのフリーに戻ってしまったことだし、問題は無いけど…。
「社長の娘って思わないでください。ずっと、先輩を慕っていた後輩だって、思ってください。そりゃあ高校
卒業して随分経ってしまったから、その間に色々な男性とお付き合いもしてきました。けど…先輩の顔を
見て、私泣きそうになっちゃいました。」


「本当か?」
 僕は耳を疑った。一体どうなっているのだろう?
「西原さんに何も言わなかったんですか?」
「言うわけないよ、振られたんだから。」
「彼女は喧嘩程度だと認識しているようです。」
「見合い、したんだ。」
「知ってます、結婚したら先輩は私の義弟になります。」
 は?
 まさか!
「専務の相手って…」
「私だと思います。」
 四位がそう言うと背後から「もう一分経ったぞ〜」と、なんとも不機嫌な専務の声が聞こえた。
「兎に角、連絡してあげてくださいよ。」
 つっけんどんに言って電話は切られた。この後、四位が専務に泣かされるなんて関係ない…って、どうし
てさっきまで一緒にいた人が大坂にいるんだ?


 さて。僕の人生の中で二人の女性に同時に告白された経験はない。ま、恋人がいなかったのだから、当
然といえば当然だが。
 悩んだ挙げ句、僕は柴田さんに電話をしていた。
「……」
「柴田さん?」
「あ?あぁ、ごめん。」
 なぜか反応が遅い。
「もしかして、物凄く僕に呆れています?」
「いや。」
 その後の返答も歯切れが悪い。
「一度、彼女に話を聞いて頂けますか…」
「自分で聞きに来い!」
 怒って切られてしまった。
 確かに。今度の土曜、大坂に行こう。柴田さんの奥さんに電話しておけば宿は確保だ。
 思えば入社してからずっとなにかあれば柴田さんと奥さんに相談していた。今回だってきっと…


「帰れ」
 かなり怒った声だ。
「お前は、自分の一生を人に決めてもらうのか?違うだろう?」
「でも…」
 本当にわからないんだ。
「お前の人生に本当に必要なことだったら、自然と結論が導き出されるはずだ。」
 柴田さんは腕組みを解いて僕を家の中に招いてくれた。
「兎に角、今夜は泊まっていけ。十分考えるんだぞ。」
「はい」
 柴田さんが笑ってくれたから、それで安心した。
 昼間、西原さんの仕事先に行った。彼女は四位が言った通りただの喧嘩程度にしか考えていなかった
らしい。
 でも僕は気付いてしまった。彼女に対して愛情を持っていないことに。
 最後に彼女は言った。「私が告白した日に居酒屋にいたいた人、あの人私は嫌いです。」と。柴田さんを
嫌う彼女は嫌だった。

 日曜日の夜。僕は正海さんに電話をした。

「田中さん。」
 仏頂面で専務が僕の机の上に膨大な資料を落とした。
「父から預かってきました。まさか本当に田中さんが義弟になるとは思いませんでしたよ。」
 は?
 何のことか分からずに視線を資料に落とすと、それは結婚式場のパンフレットだった。
「家に戻ったらいきなり手渡されました。」
 意味深な微笑を残し、専務は去って行った。
 しかし。なんでパンフレットがこんなに届いたのだろう。僕は夕べ、確かに彼女に今回の話はなかったこと
にして欲しいと伝えたのだ。
「専務、毎日大阪から通っているんですか?」
「…悪いですか?」
「いえ。」
「人の心配より自分の心配をした方がいいですよ。うちの妹は執念深いですから。」
 …僕は遠い昔に記憶を辿るたびに出た。