= エンゲージリング =
 困った
 いきなり日曜日に呼び出されて連れて行かれたのは、ジュエリーショップ。婚約指輪は給料の三か月
分だと、社長に言われた。
「それは、無理です。三か月は…こっちです。」
 その気がないのに金額を提示した。
「…課長待遇にする、こっちにしなさい。」
 おい、そんな人事納得しないぞ。
「章介さん、無茶は駄目です。」
 社長の肩を叩いたのは横山だった。
「由弘さん」
 その声に反応したのは意外にも正海さんだった。
「こんな所でなにしてんだ?」
 僕は見当違いな質問をしていた。しかしブライダル専門のジュエリー店で横山の待つ相手は?
「もうすぐ来ますから。」
 横山は嬉しそうに頬を緩めた。
「正海さん。相手に背伸びをさせて嬉しいですか?」
「いいえ。私は先輩に買って頂けるなら何でもいいんです。」
 ちょっと待て。僕は見合いを断ったんだぞ。
「まさか先輩が私と結婚してくださるなんて思いもよりませんでした。」
 だから!
「章介さん、正海さんが可愛いのは認めます。でも私は田中先輩が好きですから敢えて言わせて貰い
ます。この人はあなたの後継者には不向きです。」
 がーん
 解っていても、ちょっと、ショック。
「優しすぎます。こんな優しい人を騙して何が楽しいのですか?」
 おいっ、話がみえないぞ。
「由弘さん…」
 ちらと、正海さんの方に視線を送る。
「あなたがずっと追い掛けていたのはやっぱり田中先輩だったんですね?話を聞いてそうじゃないかと思
いました。」
 店の入り口に武の姿をみとめた。
「兎に角、きちんと先輩と話し合って下さい。先輩も章介さんに流されたら駄目ですからね?」
 いつもは先輩なんて思っていないくせに。
「横山君。私は田中君に無条件で譲る気はない。」
 横山が微笑んだ。
「なら安心しました。先輩、飲み込みは遅いけど仕事が丁寧だから後を任せるのはこの人しかいないんで
す。特性を見てあげてください。」
「お前は数字が弱いけどな。」
 背後からそう言って、社長と正海さんに軽く会釈をすると、武は横山を引きずって出て行った。
「やっぱり、由弘さんは武さんなんだわ。」
 正海さんの唇がそう呟いた。
「あの、私は…このお話、」
「ごめんなさい。」
 突然言葉を遮られた。
「諦められないんです。私の夢、三十までに……結婚したいんです。」
 かなり、脱力した。なら僕じゃなくていいんだ。
「だったら他にも一杯男はいるじゃないか。何も僕じゃなくても…」
「再会出来ていなかったら本当にどうでも良かったんです、結婚なんてしなくてもいいんです。でも、出会
ってしまったから。先輩が好きです。ずっと、あなたに抱きしめてもらえる日を夢見ていた。あなたの卒業
式の日から。」
 なに?なんか忘れていた大事なことが胸をよぎった。
「あ」
 差出人のない手紙。試合の敗因、フォームの乱れの指摘…。
「いつも試合の後、教室の机に入っていた手紙、あれって正海さんだったの?」
 文字が女の子のものだったから、野郎じゃないとは思っていた。だから何度か返信のつもりで試合の前
日、机の中に手紙を残してきた。
「思い出してくれたんですね?嬉しい。」
 いや、だから…
「運命なんです、私たち」
 わかった。この家族はみんな恋愛に関しては自分勝手なんだ。
「エンゲージリング、欲しいです。」
 特上の美人に見つめられて断れるほど僕は強い意思を持ち合わせていなかった。
 今回の見合いは、断ることなんかできなかったんだ…。


「運命なんですぅ〜って言われてるよな、ナカのヤツ。」
「絶対」
 以前、それぞれ正海に迫られて墜落しなかった強い志の人間が二名、ジュエリーショップのウインドウを
、肩を並べて見つめていた。
「エンゲージリング…って何だ?」
「婚約指輪。僕は要らないよ。」
「ブライダルリングでシンプルなのがいいな。」
「うん。」


「何?」
 功一が小さな箱を投げて寄越した。
「正海が欲しがっているなら勝美も欲しいのかと思って。」
「だから何?」
 ボクはちょっとムッとしていた。
「エンゲージリング…って指輪を贈るわけにはいかないからさ、タイピンにした。」
 包みを解くこともせず、ため息とともに言葉を吐く。
「何も、いらない。ボクは功一がこうして無理して毎日会いに来てくれるのが嬉しい。」
 功一は破顔しながらも
「駄目だ。これは勝美が俺のもんだっていう、所有の証。誰にも譲らない。」
と言った。
「ボクの、どこが好き?」
「それはベッドで教えてやるよ。」
「駄目。ちゃんと今ここで言って。」
 まるで少女のようなセリフ。
「じゃあ、いつからボクが好き?」
「それは…」
 ガバッ
 唐突に抱きしめられた。
「教えない。」
「ズルイッ」