= 迷路 =
 なんでこんなに急いで結婚したんだろう?
 そんな疑問を抱きつつ、僕は流されるように正海と籍を入れた。
「晴秋さんの赤ちゃんが欲しい」
 そう言って俯いた彼女は正直綺麗だった。
 けど。何かが引っかかる。


「あ、柴田さん。先日はありがとうございました。」
『いや、何、お前が元気そうで良かった。横山が東京へ連れて行くと言ったとき、正直泣いて辞め
るんじゃないかと心配したよ。』
「まさか、子供じゃないんですから。」
『だよな、父親になるんだから。』
「はい。」
『良かったな。』
「柴田さんにそう言ってもらえて嬉しいです。出来ればそばにいて指導して欲しいんですけどね
。」
『子育てくらいしか指導できることがないぞ。』
 はははと、受話器から乾いた笑いが流れてきた。
 柴田さん、なんとなく元気がない。
「又横山異動なんです。新規事務所立ち上げ係りですね。僕が所長代理ですから心配です。」
『何弱気なことを言っている、頑張れよ。で、横山はどこへ行くんだ?』
「静岡です。伊豆高原だったと思います。」
『あいつも大変だなぁ。』
 柴田さんとの会話はいつも当たり障りのないことだ。でも安心する。
「なんでも今回は大異動があるらしいですから気を付けて下さいね。」
 本社に近いと色々な情報が入ってくる。
 岡部部長がついに本社営業本部に部長として戻るとか、四位が福永専務付きの秘書室に来
るらしいとか、武が東京営業所に復帰とか…柴田さんの栄転はまだ聞いていない。
 なんか出遅れている気がする。


「ねぇ、可愛いでしょ?」
 正海は子供の靴下を毎日少しずつ編んでいる。今日はピンクだ。
「もう黄色と緑は飽きちゃった。どちらでもピンクは可愛いもの。」
 幸せそうだ。
「晴秋さん、幸せ?」
「うん。どうして?」
「寂しそうだから。」
「僕は生まれてこないと実感がないんだよ。」
「そんなものかしら。」
 光希さんもそう言っていた。柴田さんがつまらなそうだって。
 皆、元気かな。
 柴田さんの子供たちはみんな僕によく懐いてくれた。だからきっと生まれてくる子供はちゃんと
懐いてくれるはずだ。


「ナカ。ここの所長、決まったよ。今ごろ内示を受けているはずだ。」
 何やら不敵な笑み。
「お前は又異動だろ?今度は静岡だって?」
「あ、それ無くなった。川崎に支社を作ることになってさ…武が来る。四位は福永…じゃない、専
務と札幌支店だ。」
「そうか…みんなバラバラになったな。」
「後藤と勝浦を残すのが大変だったよ。でもここはナカに任せれば大丈夫だから安心して俺は
川崎に行ける。」
 そうか。
「所長、柴田さんだよ。ナカは次長、代理よりいいだろ?」
なん、だって?
「少し離れて、ちゃんと心の整理は出来ただろ?柴田さんだってナカとどうにかなりたいなんて思
ってはいないはずだよ?正面から向き合ってきちんと距離を置けるように…」
 僕の目から知らずに涙がこぼれた。
「嬉しい。又柴田さんと仕事できるんだ。僕にとって柴田さんは先輩でシニアで先生で戦友で友
達で兄…でも憧れなんだよ。」
「そっか」
 そう言うと横山は口の端に笑みを浮かべて去った。
 僕は横山や後藤、四位とは違う感情で彼をずっと追いかけてきた。彼等のような恋愛感情では
決してない。
 だけど失いたくない、大切な人なんだ。


「東京に帰るぞ。」
 家に着いて玄関ドアを開けた瞬間、俺の口はそう発していた。
 やっと、東京に帰ることが出来る。長かったな。子供たちは大坂人になってしまったからなぁ。
「栄転だぞ。池袋の営業所長。」
「あら、又田中君と一緒?良かったじゃない。」
「そう、見えるのか?」
「うん」
「ま、あいつはいつも心配ばかりさせるからな。丁度いいかもしれない。」
 俺はそんなに嬉しいのか?田中と共にあるのがそんなに嬉しいのか?
 違う。
「光希」
「ん?」
「愛してる」
 しかし光希はヘンな顔をした。
「子供達が起きてるわよ。」
「だからどうした?俺はお前を愛してる。間違っているか?」
 困ったように苦笑して台所に消えた。
 そうだ、俺は光希を愛している。決してホモじゃない。
 田中だって結婚して子供が産まれる。
 その子は専務に子供が出来ないから当然次期社長候補だ。
 そうしたらあいつは雲上人だな。
 俺は無意識のうちに大きく一つ、ため息をついた。