= 入れ込み =
『入れ込み』…レース前に興奮して落ち着かないこと。体力を消耗するので、レースで能力を発揮できない場合がある。


「横山さん、やっぱり標準語でないとあかん気がします。」
 後藤がいつになくへこんでいる。
「東京ほどじゃないけどな。」
 岡部支社長が笑いながら諭す。
「テルから大坂弁取り上げたらなんか違和感感じるよ。」
「そない、あほなこと言わんといて下さい。これでもえらいきぃつこうてんやから。」
 尚敬が爆笑している。
「後藤君、全然駄目だよ。」
 頭を掻きながら照れくさそうに笑った。
「カツが問題無ければ構わないんじゃないか?」
 夫婦の問題だからね。
「よっ!」
 ドアを勢いよく開け、ナカが登場。この間の社内セックスを見られて以来だ。
「この間は悪かった。」
 さりげなく、隣で囁く。と、背後に子犬を発見した。
「可愛いな。噛み付かないか?」
 俺はその子犬の頭を撫でた。
「武士沢です。」
「知ってる、入社式で見た。お前、運がないな。ナカがシニアか。」
 途端に不安そうな目つきになる。
「こいつな、金持ちになりたいんだってさ。だったらここの方がいいだろ?」
 ナカは真面目が服着て更に真夏にコート着たような奴だ、一歩間違えたら変態だ。
「ばーか。こんな所に来たら病気になる。」
 途端に子犬の顔色が変わる。
「あの…」
 おずおずと前に出る。
「皆さんがゲイって、本当ですか?」
 きた。
「うん。俺はそうだよ。」
「ヨコ、脅かさないでくれよ。」
「事実だから。」
「どうしたら…」
 子犬は俯いた。
「ちょっと、待て。」
 ナカは子犬の正面に立つと、子供を諭す様に肩に手を置いた。
「さっきと、言っていることが違う。」
「ガールフレンドは沢山居るんです。だけどずっと、片思いしている子がいて、どうしても言えないん
です。」
 なんだ。又四位みたいなことになるかと思った、自分で言うのもなんだけど。
「好きだって言えばいいのに。」
「横山に言えた義理か?」
「岡部さん〜、勘弁してください。」
 参ったよ、高人には。「言われたらすぐに乗る人もいるけどね。」
「武まで言うか?」
 二人に毎日イジメられている。
「男の人をモノにできるくらいだから女の子なんて簡単かなって。」
「あのさ、俺はゲイなわけ。だから女の子の口説き方はわからない。だけどさ、いきなり連れてこられ
て初対面の人間にそんな質問できるなら大丈夫、好きだと言えば良い。」
 ま、よっぽど切羽つまっているんだろう。
「ありがとうございます。」
 子犬の武士沢君はペコリ、頭を下げた。
「次長、今夜お邪魔していいですか?」
 おい、待て。
「いいよ?」
 暢気に返事するな!
 でも、ナカは気付いていなかった。
 俺は子犬の肩を掴むと、奥の応接室に連れ込んだ
「正海ちゃんはナカに惚れてたんだからな、邪魔するな。」
 子犬は目をまん丸にして驚いた。
「次長が、ですか?」
「失礼な奴だな、ナカはモテるんだぞ。本人が気付いていないだけだ。」
 そう、あの人は天然で色恋に疎い。
「でも」
 子犬は俺を見るといった。
「次長は、所長に惚れているから。正海さんが可哀想です。」
「君から見てもそう感じる?」
「はい」
「だけど、あの二人はちょっと違うんだ。愛とか恋とか師弟愛とかでもない。何か違うものが二人の間
にあるんだ。それを気付かせてくれるのが、正海ちゃんじゃないかなって、思うんだ。」
 子犬は両手をぎゅっと握り締めた。
「彼女は、幸せなんでしょうか?」
 俺は、答えた。
「それは、彼女の人生の最期に分かることだから。」
 子犬の肩から、ほんの少しだけ、力が抜けた。