= 末脚 =
 入社試験の日。僕が見ても高価だと分かるスーツを着た人が面接会場で全員にこう言った。
「うちは社内恋愛は禁止です。しかし…同性愛者に偏見は一切ありません。」
 その人は社内恋愛で同性の結婚相手を得た、福永専務だった。


 福永正海さんと知り合ったのは大学時代の友達の家へ、昔音楽再 生用に使用されていたレコードとい
うものを聞くために出掛けて行った時だった。
「レコード?懐かしい。」
 今でも一部マニアや専門家などは愛用しているようだが、僕らの世代には全く未知のものだった。
 いや、家にもあったように記憶しているが物心付く頃には全てCDになっていて、レコード盤は蔵の中、プ
レーヤーは両親の部屋でテレビ台になり、廃棄された。
 なので実際使用したことはない。
 友人宅では父親がレコードコレクターなので世界中の音楽を網羅していた。
「素敵な曲」
 友人の姉が連れて来ていたのが正海さんだった。
 リビングのソファーに何故か四人で座り込んでアメリカやイギリスのロックを聴いた。
 こんな騒々しい曲を聴いて素敵と言う女も珍しいと、当時は思ったけれども、彼女は熱烈なサザンファン
だったのだ。
 それから時々、同様に友人宅で会った。
「晴秋さんも相当な鈍感よね。」
「そうだよね」
 友人の姉は無難な返事をした。
「父の会社に入社しておきながら全く私のことに気付かないなんて。悔しいから片っ端から良い男に声掛け
てやったわ。…でもすぐに見破られちゃうの。そんな風だから上手く行かないんだって。悔しい…」
 正海さんは僕たちが何か意見を言うことを望んでいたのかもしれない。
「武士沢君、彼女いる?片思いなんか、しないだろうな、君なら。」
 泣きそうな瞳で、微笑まれた。
 綺麗だった。
 簡単に、恋に落ちた。


「やだ、武士沢君じゃない!久しぶり。」
 僕たちに愚痴をこぼしていたことなんてすっかり忘れたかの様に、彼女は鮮やかに笑った。
 花が、開き切ったかのような鮮やかさ。
 それは誰でもない、田中次長の為なのだ。
 忘れもしない、「晴秋」と言う名。正海さんのお父さんが社長をしている会社。完璧だ。
「覚えていて下さったんですね?嬉しいです。」
 僕は泣きたいのを懸命に堪え、笑った。
「武士沢が片思いしていた相手って正海?」
 かーっと頭に血が上った。次長はいつもは鈍感なのにこんな日に限って勘が良い。
「嬉しい」
 正海さんはいつの間にかベビーベッドの横で赤ん坊の様子を見ていた。
「私、武士沢君よりずっと年上なのに、好意を持ってくれたなんて。晴秋さんなんて、全然私のことなんて眼
中になかったみたいだしね。」
 本当に、正海さんは綺麗だ。
「田中次長は、正海さんを幸せにできるんですか?」
 僕は思い切って本人に掛け合った。
「正海さん、次長と離婚して僕と一緒になってください。」
「この子も込みでいい?」
 正海さんは振り返りもせずに言った。
「勿論」
 田中次長は笑っていた。
「いつ?」
 正海さんが立ち上がる。
「晴秋さん、浮気してるから…」
「は?」
 田中次長が何を言われたのか分からないという顔で、正海さんを見た。
「好きな人、いるのに私と結婚してくれたの、知ってるよ。」
「ちょっと待って…」
 正海さんは次長を見て、僕が見たことがない最上の微笑みを返した。
「でもね、私は本当に晴秋さんを愛しているわ。」
 僕にできることは一つ。
「正海さん、冗談でも嬉しかったです。」
 そう言って去ることだけだ。
 怒檮の末脚で優勝したのは、次長だったんだ。