= 戦線離脱2 =
「いつか、由弘が男の嫁さん連れてくるとは思っていたけど、おかまだと思ってた。普通の、男性(ひ
と)なんだ。」
 兄貴が尚敬を不躾にジロジロと見る。
「ヘンな病気、持ってないだろうな?」
 言葉にする前に腕が上がった。しかしそれは尚敬に止められた。
「毎シーズン、三か月に一回検査へ行きます。今のところ問題はありません。」
 兄貴は鼻で笑った。
「親父はその男女に会いたいらしいぜ。」
 次の一撃は尚敬に邪魔されず、的確に左頬に当たった。


「由弘は優しい子です、素直な子です、一途な子です。」
 それは買いかぶりすぎだよ、じいちゃん。
「でも美人な嫁さんだねぇ」
 …まだらボケは健在だ。
「じいちゃん、尚敬は男だよ。」
「そうだろうな、どこからどう見ても男性だ。でも美人だよ。由弘が惚れる気持ち、わかるな。」
 相変わらずジロジロと見ている。ボケてはいないのか?
「もう少し太らないと子供が産めんよ。」
 ニコッと笑われ、やはり駄目らしいことを確認した。
「わしがボケていた方が弘子さんも楽なんだよ。」
 なんだ、母さんのせいか。
「真弘の嫁はなかなか決まらんしな、イライラしてるよ。」
「なんだ、兄さん彼女に振られたから嫌味なんだ。」
 ま、子供の時からだけどね。
「真由は尚敬さんに会うのを楽しみにしている。本当だ。由弘がしょっちゅう連絡をくれるようになった
から、仕事も真面目にやって出世している。自慢の息子みたいだぞ。」
 まさか。ゲイの息子で嬉しいのか?
「ごめん、遅くなった。」
 牛舎から戻った父は作業着のまま現れた。
「どうも、父の…真由です。」
 一瞬、父が言葉に詰まったのを聞き逃さなかった。
 昔。まだ自分にゲイだという自覚がないころ。俺はこの父親に憧れていた。
 ただ黙々と仕事をこなす後姿を見て育った。
「由弘が、女性を連れて来ないことは承知していたのですが、実際目の前に突きつけられると流石に
ちょっと辛いですね。いや、貴方がどうこう言う意味ではなく、世間一般的な考えを持つ親としては、
やはりここは男性ではなく、女性にして欲しかった。」
 ふぅ…
 父は無意識のうちによくため息をつく。今も多分、気付いていないのだろう。
「でも。今まで私とあまり話をしなかった由弘が、三日に一回必ず連絡をくれるようになったのは、貴
方の力なのですよね?大阪に言ってから、本当に由弘は変わった。今の職場でそんなに頑張るとは
思っていなかった。そのうち尻尾を巻いて逃げ帰ってくると思っていた。」
 駄目だよ。僕は牧場から逃げたのだから。
「尚敬さん。嫌いになったら、いつでも捨ててください。こいつは子供の時から好き勝手なことしかしな
かった。牛の世話以外は、本当に何もしなかった。だから牛は好きなんだと思っていたのに、出て行
くときに牛が嫌いだとのたまわった。」
「横山さん、」
 尚敬は何故か父を苗字で呼んだ。
「由弘さんは、同じ時間が延々と流れ続ける空間に、いられない人です。秒単位でめまぐるしく動く世
界にいてこそ、能力を発揮する人です。今だって事務は一切、出来ません。」
「算数は苦手だったもんな、由弘は。」
 ひっひっひっひっひっひ…
 じいちゃんが笑う。
 沈黙の時間が流れた。
 1分
 2分
 3分…
 優に10分は経過しただろう。誰もその沈黙を破る勇気が無かった。
「父と…」
 尚敬を見て、言った。
「私を父とは呼んでくれないのですか?下らないことを言いましたが、これでも私は二人の結婚を承諾
しているつもりです。由弘が男性しか愛せないことは知っていましたし、尚敬さんが立派な方だという
ことは、由弘を見ていれば分かる。」
 承諾?許してくれると、そういうのか?
「お父…さん。」
 父が微笑んだ。
「先に、謝罪だけはしておきます。無理に由弘が貴方を不毛な道へ引っ張り込んでいないといいので
すが。」
 ごめん――引っ張り、込んだ。
「いえ。私は由弘さんに初めから惹かれていましたから。」
 尚敬の告白。
「お父さん。由弘はあなたの血を引いているのですね。」
 父が、祖父にそう、言った。