= 折り合い =
 本当はこんなんじゃいけないのに。
 仕事のこと、覚えなきゃ主任に迷惑を掛けてしまうのに。
 正海さんは幸せになっていたのに。
 主任も今が幸せなのに…。
 それが今の自分の気持ちから逃げているだけだってことも分かっている。
 でも今だけ、今だけは現実逃避をしたい。


「武士沢、大丈夫か?」
 頭がぐるんぐるんする。
「寝てていいからね?」
 柔らかくて暖かい手のひらが優しく僕の額に置かれた。
「熱は無いわね。」
 うとうと…気持ち良くて眠くなる。
「もう少し眠ったらいいわ」
 その声に促されて僕は眠りに落ちていった。


「ご迷惑、お掛けしました」
 田中主任の家を後にして家路に着く。もう、誰も待つ人の無いアパートの部屋へ。
 松永さんとの短い交際期間が突然終止符を打たれた。
 僕の両親が松永さんとの情事中、部屋の鍵を開けてしまった。
 僕は松永さんの下で涙を流しながら喘いでいて、それを見た親は性的虐待だと騒ぎだし、遂には
松永さんを退職に追いやったのだ。
「会社にいたくない、連れて逃げて!」
 僕は彼に泣いて縋った。
「コウは将来があるのだから今辞めたら駄目だ」
 諭されて、捨てられたのだ。
 会社中に知れ渡り、身の置きどころのない僕に一体どんな将来があるのだろう。


「僕は経験ないんだけど、ヨコなら相談にのってくれるはずだから。」
 主任に連れられて川崎支店に辿り着く。
 そう言えば松永さんと横山取締役は同期だったっけ?なんか差があるな。
「親離れ、するのが先だな。そうしないと松永が辛いだろう?」
 解っている。今回は僕の親が出てきたから。
「ヨコ、この場合は子離れが正しいのではないかな?こいつはちゃんと親離れしている。松永が置い
ていったんだ。」
「それで納得して残ったんだろう?」
「納得なんか…」
 納得なんかしていない。だけど反論できない。
「ごめん意地悪が過ぎた。…あいつは元気でやってる。もう少し、待てるか?待つ覚悟はあるか?」
 横山取締役が真剣な瞳で僕に問いかけている。待つって?何を待つのだろう…。
「今、自分がやるべきことを一生懸命頑張れ。あいつは、お前が待っていてくれるなら、必ず迎えに
行くといっていた。但し、待てないなら忘れてくれ…だってさ。初めて愛した人だって、そう言ってい
た。」
「僕には、言ってくれなかった。一度も言ってくれなかった。」
 分かっていたけど、言葉にはしてくれなかった。
「自覚がないから。あいつはそういうやつなんだよ。そうやっていつも大事なところで躓く。こんどは
転倒したから、自力で這い上がるってさ。」
 本当に?
「待っていて、いいのでしょうか?」
「信じてやれよ。でないと、ナカが困るだろう?正海さんの心配ばかりしなければならない。」
「彼女のことは、もういいんです!」
 松永さんに誤解されるようなことは一切したくない。
 待てというなら待とう。何年でも平気だ。
「とりあえず、家に戻って親を納得させること。親不孝をする気なら構わない。だけど違うんだろう
?」
 親不孝でも構わない、あなたとともにあるのなら。
 なんでこんなに惹かれるんだろう?
 相手は男で僕に興味なんて無かった。
 それが悔しかったのだろうか?
 恋なんていつどんな状況でおちるか解らない。実際いつ好きになってどこが好きだか問われても
答えられない。ただ、一緒にいたいんだ。
「福永くんにかかると、皆同じ嗜好になるなぁ」
 感慨深気に武取締役が呟く。
「大丈夫、松永くんはずっと君を探していたんだから。」
 武さんはそういって戸口を指さした。


折り合い…レースの流れにのって馬を機嫌よく走らせること