= ラチ =
「アホやなぁ」
 テルが呟く。言いたいことはわかる。
「僕に気ぃ使こうてどないすんねん。毎日言わな覚えられへん言うなら何べんでも言うたるさかい、これから
は一番に言わな…」
 あとの言葉が続かない。顔を上げてテルの顔を覗き込むとやはり泣いていた。
「僕はそないに信用あらへんかな?雅治が一番に打ち明けてくれるんは自分や思うてたから、なんも考えん
と、雅治は僕のこと嫌いになったんやって納得したんや。」
 拭いもせず、涙はひたすら頬を濡らす。
「ごめん」
 僕が言える言葉はそれだけしか見当たらなかった。
「謝るくらいならしなきゃええんや」
 痛い程強く抱き締められた。
「僕が口説いたんやから嫌われたんなら諦めるさかい、そん時はちゃんと言うてくれてええから!」
 耳元で消え入りそうな声が囁く。
「嫌いじゃないし、あの娘が好きなわけでもないのに、体を重ねたのには違いないからさ…」
「辛いけど…失なう苦しさより何倍も耐えられる。」
 掌でゆっくりとテルの背中の体温を感じながら上下に動かす。
「輝基に、悪いと思ったんだ。酒を飲んでて未遂とは言え女の子と寝たのは事実だし、君との約束を破ってし
まったから」
 そう、約束。
「…忘れた、思うてた。あの日、別々に暮らそう言われた時、忘れたんやと思うたさかい、それでもええかって
自分を納得さしたんや。別れよう言われてもきっと自分を無理矢理納得さしたと思うけどな。」
 首を左右に振った。
「忘れるわけないじゃないか。」
 テルとの約束。
『僕を選んで後悔した思うたらすぐに言うて欲しいんや。一緒におれただけで僕は十分に幸せなんやから、そ
れ以上は望まへん。』
「浮気、する気なんてなかった。僕の腕の中にいる人間って言ったら輝基だけだと信じて疑わなかった。僕は
輝基を傷つけてばっかりでかなり落ち込んだ。一緒にいたらまた輝基を傷つけてしまう。だったら、離れてい
たほうがいい。」
 テルの腕が僕の体から離れた。
「雅治を、この体で感じたい。一回でも多く、抱き合いたい。」
 うん、そうだね。
 テルの顔を引き寄せ、額に額を重ねる。
「なし崩しにして、いいのか?」
「なし崩しやあらへん。僕は納得したからええ。…好きやから。」
「もう、しないから…堪忍な。」
「アクセントがヘンや。」
 テルが笑ったから、僕らは唇を重ねた。


「色々お騒がせしてすみせんでした。」
「夫婦喧嘩は犬も食わないからね。」
 岡部支社長が苦笑する。
「それだけ、互いに想ってるってことだろう?」
 そうなんだろうか?
「好きな人は、隣にいてくれたほうが良いに決まっている。」
 そう言うと支社長は視線をデスクに戻して、書類に目を通した。
 あなたは、今でも横山先輩が好きなんですか?

ラチ…競馬場のコースにある柵